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そうして静かな室内に、扉の外から騒がしい声が聞こえてくるのは少し経ってからの事。
「⋯⋯何だろう?」
「リーベルが騒いでいるな」
温度の変化には弱くなっていたとしても、人より耳が良い事は変わらないレヴィが答える。同時に制御練習のために翳しているルティウスの手へと大きな手を重ね、水滴を瞬時に凍りつかせてしまった。
「あっ、レヴィ?」
「集中を切らせたら、また弾けさせて周りを濡らすだろう」
カタンと小さな音を立てて床に落ちた極小の氷の粒は、やがて蒸発するように光となって霧散し、魔力へと還っていった。
「⋯くそぅ」
結果を予想された上に先手を打って対処された。レヴィが言う通り弾けさせてしまうだろうと自分でも分かってしまい、ルティウスは返す言葉を失い悔しげに小さく唸っていた。
軽く息を吐いて笑う気配を感じ、すぐ隣を睨み上げてみれば、案の定レヴィは楽しげな笑みを浮かべている。
「悔しければ、早く制御出来るようになるんだな」
「うぅ⋯分かってるよっ!」
ムキになればなるほど、レヴィは楽しそうに笑い、ルティウスはどんどんと不貞腐れ顔になっていく。
だがレヴィの意識が部屋の外へ向いている事は、視線の動きで一目瞭然だった。
「⋯騒がしいな」
「叔父様の声がしたんだよな?行ってみようか」
「おい、待て⋯──」
レヴィが止めるよりも早く立ち上がったルティウスが、扉へと向かう。けれど開け放つ前に一度振り返り、青い大きな瞳がレヴィを見つめた。
「ほら、レヴィも行くぞ」
その反応に、思わずレヴィは目を見開いた。
今までのルティウスならば、レヴィを放ってそのまま飛び出していただろう。だがルティウスは一人で向かわず、追い付いてくるのを待っている。
元より一人で向かわせる気など無い。
座っていたベッドから立ち上がり、レヴィもまたルティウスの隣に並ぶと少しだけ乱暴に緋色の髪を撫でた。
「面倒事であればすぐに戻るぞ」
放っておけば簡単に厄介事へ首を突っ込みかねない少年へ釘を刺してから、やはり不貞腐れ顔を浮かべるルティウスと共に二人は騒ぎの場へと向かった。
その頃、宿の一階。
玄関扉を境に声を張り上げるリーベルを、少し離れた位置からフィデスと、ゼフィラにウェンティも揃って見守っていた。
「来んなっつっただろ、ジェロア!ていうか何でここだって分かったんだよ!」
「えぇ~?俺とリーベルの仲だろぉ?それに、このラテーレ村で数人が泊まれるような宿なんて、ここしか無いんぜ?分からないわけ無いじゃないか」
片や笑顔のジェロアと、片や焦りを滲ませるリーベルの問答が繰り広げられていた。
「甥っ子君に会ってみたいって、ゆうべお願いしたじゃないか。なぁ、リーベルよ?」
「承諾した覚えもねえよ!とっとと帰れ!」
強引に扉を閉めようと考えるも、そんな事をすればもう一度出てくるまで扉の前に張り込み続けるだろう。旧友が持つ尋常なまでの根気強さと知的好奇心をよく知るリーベルだからこそ、ジェロアが自分の意思で去るのを待つしかなくなっていた。
そしてこの友人が、目当てのためならばどんな事でもすると知っている。その証拠に、ジェロアの手は献上品にも近しい手土産らしき荷物を抱えている。
「⋯ほら、ゆうべは一本空けただけで帰っただろ?だからほら⋯秘蔵の酒、色々持ってきてやったんだぜ?」
「ぐ⋯⋯⋯くそっ、そんなもんで⋯釣られてやるかよ⋯」
そうして酒への興味と理性の狭間で揺れるリーベルを、フィデスは呆れた目で見ていた。
「オジサン、お酒で買収されそうじゃん⋯」
扉の向こうに立つ若い風貌の男がリーベルの友人である事は、これまでの二人のやり取りから察している。けれどジェロアと呼ばれた男の目的が『甥っ子君に会いたい』というものだと知ったフィデスとゼフィラは、怪訝な表情を浮かべてジェロアの様子を窺っていた。
「⋯殿下の素性を存じている方なのでしょうか?」
小さな声で呟かれたゼフィラの一言を受けて、ゼフィラよりも低い位置から妹を見上げるウェンティが答えた。
「リーベルさんのご友人なのであれば、知っているのでしょう」
公女姉妹の見解は概ね一致している。
ルティウスの素性を知り、尚且つリーベルと旧知。ならば十年前の事件についても知っている可能性がある、と。
そんな人物がルティウスに会って、余計な事を言わないか⋯それが風の姉妹が抱く懸念。
「⋯甥っ子君て言ってたから、皇子ってコトも知ってるんだよね⋯?」
「多分、知ってるでしょうね。全く⋯ルティウス君の傷を刺激しようものなら、この私が許しませんよ」
腰に手を当てて僅かにふんぞり返る小さなウェンティだが、彼女が本気で怒ればジェロアの命は無いだろう。物理的な力だけならばリーベルをも凌ぐ風の国の第一公女の不快そうな表情を見て、フィデスが苦笑を浮かべる。
「ウェンティちゃん、手加減しなきゃダメだよ?」
「当然です。ルティウス君はセレーナちゃんの伴侶たるサルース君の弟。そんなルティウス君の叔父上のご友人とあらば、丁重に空の彼方へお連れするだけです」
「⋯⋯⋯オジサン、頼むよぉ⋯⋯その人、ちゃんと追い返してあげて」
姉の性格をよく知るゼフィラもまた、フィデスの祈りにも似た一言に同調し深く頷く。
「⋯だぁから!俺は⋯酒には釣られ⋯──」
「じゃあこれは?この世に数十本しかないっていう、めっちゃくちゃ秘蔵のブランデーなんだけどさ!」
「⋯ッ!こっ、の⋯⋯⋯」
女性陣の祈りも虚しく、リーベルの理性はジェロアが袋から取り出しチラつかせる秘蔵且つ希少な酒という最終兵器により、陥落間近まで追い詰められていた。
そうした無益な攻防と届かぬ祈りが捧げられる混沌とした宿の玄関フロアに、ついにその少年は降り立ってしまった。




