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不遇職テイマーの最速育成録 ~経験値が自分にも入ると気づいた武門の三男は、従魔と最短で強くなる~  作者: 雅龍(がりゅう)
第一章 庭の小さな王様

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兄の踏み込みと、研究者への手紙

翌朝の訓練場には、ぴりっとした空気が張りつめていた。


条件は一つ。目を閉じて、ジークの踏み込みを一度でも避けること。


できたら、次兄が父に口添えしてくれる。朝稽古に混ぜてほしい、と。


「つまり、お前は目を閉じて、俺の踏み込みを読むと」


木槍を肩に担いだジークが、半信半疑の顔でレクトを見下ろしている。


「はい。ただし本気は禁止です」

「ほんきって」

「兄さんの本気は、見ても分からないので」

「ほめてんのか、けなしてんのか」


頭をかきながら、ジークは笑った。六つ年上の次兄は、〈雷槍士〉の補正をすでに受け始めている。突きの速さは、屋敷の騎士見習いが相手でも互角という噂だ。そんな兄が、七歳の弟のために手加減を約束してくれた。


訓練場の端には、長兄のレオニスが腕を組んで立っている。その隣に、父ガイゼル。気づいていたが、レクトは視線を向けないようにした。見たら緊張する。


「ルールを確認する」


レオニスが言った。


「木槍の穂先には布を巻く。ジークは一歩目の踏み込みだけ、三割の力。レクトは目を閉じて立つ。当てるな。外すな」

「「はい」」


砂の上に、二人の足が沈む。距離は五歩。


レクトは目を閉じた。


色が消えて、足の裏が広がっていく。砂の粒、固い土、さらに深くの石の気配。遠くで小鳥が降りた震えさえ、ひとつずつ拾えた。


(兄さんの足は……右が前)


呼吸の音。足が砂をつかむ音。重心が、前へ、ごくわずかに傾いていく。


肩の上のチップが合図を送ってくる。


(右足が沈む。次に、左が蹴る――)


どん、と地面が鳴った。


考えるより先に、身体が動いた。半歩ぶん、右へ。


布を巻いた穂先が、さっきまで頭があった場所を、風を切ってすり抜けていく。


目を開けると、ジークが目を丸くして固まっていた。


「……避けた?」

「避けました」

「俺の踏み込みを、目ぇ閉じて?」

「足音で」

「足音で!?」


ジークは槍を取り落としそうになって、慌てて握りなおし、がばっと長兄を振り向く。


「兄貴! 聞いたか!? こいつ、足音で!」

「聞こえている」


レオニスは短く言って、父を横目で見た。


ガイゼルは腕を組んだまま、何も言わなかった。ただ、レクトの顔を長いこと見ていた。その目の奥に、式の日には見えなかった光が、ほんのかすかに灯っている。


「……もう一度だ」


ジークが、にやりと笑う。


「次は、フェイント入れるぞ」

「え。ルールは、一歩目だけって」

「ルールは、さっきのが終わったら更新だ!」

「レオ兄さん!」

「許可する」

「許可するの!?」


今度の足は、速かった。三割どころではない。左に重心を寄せたと思った次の瞬間、右へ切り返す。足音が二つに割れて、レクトの感覚がぶれた。


(待て、足音、二つに分かれて――)


「そこ!」


穂先が脇腹をぽんと突いた。体勢が崩れたところへ足払い。砂に尻もちをつくと、鼻先で穂先がぴたりと止まった。


「連撃は、まだ読めないな!」

「悔しいぃぃ……!」

「ははっ、でも一回は読んだ! すげえぞ、三男!」


兄はレクトの手を引っ張り上げ、砂をはたきながら、大声で父に呼びかけた。


「な、父上! こいつ、おもしろいだろ!」

「ああ」


ガイゼルが、短く答える。


「明日から、朝の稽古に混ざれ」


レクトは顔を上げた。


「……いいんですか」

「足音を聞く耳は、いい。だが聞こえても身体が追いつかなければ、意味がない」


それだけ言って、父は背を向けた。去り際に、広い肩が揺れた気がする。たぶん笑っていた。


肩の上で、チップがぱちぱちと小さな爪を鳴らした。


(最速で行く。この人たちに、追いつく)


 *


庭の北の石垣の下には、三日前まで立入禁止の札が立っていた。


札を立てたのは庭師のガース。理由は赤背甲虫で、三匹が棲みついて植え込みを食い荒らし、庭師の脛を二人ぶん青くした。


「いつか」と先送りにしてきた場所だ。朝稽古の許しをもらった今日、その「いつか」が来た。昼までに片付けて、明日の稽古に胸を張って出たい。


「チップ、頼む」


石響鼠の耳が、ぴくりと動く。石垣の根元に前足を押しつけ、目を閉じて数秒、ひげだけを細かく震わせた。それから、きゅい、と短く三回。三匹。


足の裏の世界が、レクトにも流れ込んでくる。手前の二匹は脚をたたんで眠っている。奥の一匹は起きていて、右の前脚に体重を乗せたまま動かない。大きい。たぶん群れの主だ。


(右前脚から踏み込む癖があるな、あいつ)


分かっている突進は、ただの直線だ。


まず手前の二匹。木剣を担ぎ、足音を殺して三歩。眠っている背中の継ぎ目に、体重ごと突き下ろす。ぱきん、と乾いた音がして一匹目が沈黙した。二匹目は目を覚ましたが、起き上がるより早くチップが後ろ脚の関節に噛みついていて、転んだところへ二撃目を叩き込む。


「よし、あと一匹」


調子に乗ったのが、悪かった。


奥の主は、仲間が倒れる音を聞いて、突進の準備をしていた右前脚をそっと引いた。次の瞬間、赤背の巨体が石垣を蹴る。


(右じゃない、左から――!)


足の裏が教えた方向とは逆だった。主は、癖をわざと外してきたのだ。


木剣で受けたが腕ごと弾かれ、背中から芝に転がる。目の前に、赤黒い殻が迫った。


その鼻先に、灰色の塊が飛び込んだ。チップが、触角に噛みついている。甲虫が首を振った隙に、レクトは転がって距離を取った。


(癖を外してくる。ってことは、癖があると知ってるのか)


石垣、芝、三歩先の植え込み。視線を走らせて、閃いた。


「チップ、離れて! 俺が正面に立つ!」


虫が突進の体勢に入る。レクトは半身になり、木剣を下げて、わざと隙だらけの構えで待った。主は、さっき外した癖をもう一度外してくるはずだ。


(左から来る)


足の裏は教えてくれなかった。教えたのは、さっきの経験だった。


赤い殻が、左から滑り込んできた。レクトはその軌道に合わせてひらりと右へ身を引き、突進の通り道に、足を出した。


つまずかせたわけではない。ただ、甲虫は避けたレクトの後ろの石垣に、まっすぐ突っ込んだ。


ごつん。


自慢の頭を、自慢の突進で、自慢の石垣にぶつけたのだから、世話はない。星を飛ばして仰向けにひっくり返った腹に、チップが継ぎ目へ前歯を差し込んだ。それで終わりだった。


〈レクト:Lv5→6〉


芝の上にぺたんと座り込む。


「……生意気な虫だったな」


チップが得意げに胸を張った。飛びかかってくれなければ、危なかった。頭を撫でると、ひげがくすぐったそうに揺れた。


昼食の席は、さっそく話題になった。


「聞いたぞ三男。北の石垣の赤背、お前が片付けたんだって?」

「え、もう噂に?」

「庭師のガースが泣いて喜んでた」


焼き芋を頬張るジークの隣で、母がスープをすすった。


「ひと言ぐらい、行く前に言いなさい。怪我は?」

「ないです。ちょっと転んだだけで」

「転んだの?」

「あ」


母の眉が、ほんの少し上がった。父は無言でパンを千切っている。ただ、おかわりのスープを取るとき、視線が一瞬、レクトの肘の擦り傷のほうへ流れた。


食後、部屋の前に薬箱が置かれていた。誰が置いたのかは、聞かなくても分かった。


 *


午後は、台車に積まれた本が十二冊、書庫に待っていた。


「坊ちゃま。魔物の進化に関する書物をご所望とのことでしたので。読みやすい順に並べてございます」

「ハンス、ありがとう。でも俺、七歳なんだけど」

「ご安心を」


窓の光に埃が金色に舞っている。床に座り込み、一番上の一冊を開いた。背表紙の箔押しは、イネス・クロイツ。


頁をめくるたび、筆者が頭を抱えている様子が行間ににじんでいた。


〈これらの条件のうち、いずれが当該個体にとっての律速であるかを、外部から判定することは困難である〉


足りないものが何か、誰にも分からない。この世界のテイマーたちは、そうやって何十年も、暗闇の中で壁を叩いてきたのだ。自分は、たまたまその壁に窓がついていただけで。


(この人たちが候補を全部洗い出してくれたから、俺は図鑑の数字を読めるんだ)


そこへ、頭上から声が降ってきた。


「うわ、字だらけ。三男、これ全部読むのか?」


回廊の手すりから、ジークが逆さまにぶら下がっていた。


「兄さん、落ちるよ」

「落ちねえよ。……『りっそく』? 何それ、うまいのか?」

「全然うまくない」

「じゃあ兄ちゃんはいいや。槍の本ならあるぞ」


笑いながら去っていく足音を聞いて、もう一度、頁を繰る。赤い線が一本、頁の端に引かれていた。


〈魔核の安定には個体ごとの「最適な静止時間」が存在すると考えられるが、定量化には至っていない〉


(……あ)


あの日が、頭に浮かんだ。ジークと並んで日が暮れるまで座っていた、長い一日。魔核の安定が78%から96%まで上がり、夜中に百になった。


図鑑は百分率で教えてくれたけれど、「何時間」かは数えていなかった。いや、思い出せる。朝から夜中まで、およそ十一時間。


白紙を一枚引き抜いて、鉛筆を走らせる。


〈石響鼠チップ。進化前の静止時間:およそ十一時間。安定率:78→96→100〉


たった一行。けれど、この赤線の空白を埋める、世界で一件目のデータだ。


(これを百件にしたら、誰かの役に立つかもしれない)


気づけば、窓の光が傾いていた。夕食に遅れたレクトを、母が書庫まで迎えにきた。扉を開けた母は、本の山の向こうで、半分眠りかけたまま鉛筆を握っている息子を見つけて、言葉を飲んだ。


そっと近づき、紙を覗き込む。日付、時刻、数値。母は帳簿係だ。数字の並び方を見れば、その人が真面目か、いい加減かが分かる。


「……ハンス」

「はい、奥様」

「これを、王立研究院へ送る手紙に添えてあげて。差出人はレクトの名前で」

「畏まりました。旦那様のご許可は」

「私から取っておきます」


翌朝、父は手紙を三秒で読み、署名だけして返してくれた。


「……長い」

「すみません」

「次は、結論を先に書け」


レクトは大きく頷いた。本当に、いい忠告だった。


手紙は、その日のうちに王都へ向かう荷に載った。


その夜、廊下の向こうの母の部屋に、遅くまで灯りがともっていた。ぱら、ぱら、と帳簿をめくる音がする。


(……チーズの減り、絶対に見られてる)


返事が来る前に、請求書のほうが先に来るかもしれない。


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