小火蜥蜴アンバー
「風呂に入っていけ。お代はいらん」
煤けた宿場町の入口で、顎の突き出た老婆に呼び止められた。
火の仲間を探しに来た。炉見に泊まれるのは三日。その間に、見つけなければならない。
鉱山の麓にある宿場町、炉見。屋根も壁も黒ずんで、道のあちこちから湯気が立ち上っている。住民の大半は坑夫か、その家族だ。老婆は、町外れの小さな湯屋の女将だった。
「坊や、ヴァルディスの三男だろう。鼠と猫とスライムを連れた子供が、亀を倒したって噂だよ」
「みんなで倒したんです」
「あはは、謙虚だね。ほら、入りな」
石の浴槽から熱い湯が溢れる湯屋の中は、壁一面に湯気が立ちこめていた。
浴槽の底に、赤い蜥蜴がいた。手のひらに載るくらいの小さな身体。背中の鱗が、炭火みたいにちりちり光っている。腹ばいで、気持ちよさそうに目を細めていた。
〈小火蜥蜴 契約済み(女将)〉
〈火を保つ。温度の調整が得意〉
「二十年来の相棒でね。炉見の湯が冷めないのは、こいつのおかげさ。撫でてみな。気に入ったら、尻尾を絡めてくる」
撫でた。蜥蜴は目を細めて、ごろごろと喉を鳴らすような音を出し、尻尾をレクトの指に絡めた。
(…………可愛い)
だが同時に、背筋がぞくりとした。図鑑の枠が、淡く点滅している。
〈小火蜥蜴 進化分岐:炉火蜥蜴〉
〈――遠い進化先:(閲覧には契約が必要)〉
女将の相棒を、自分が契約するわけにはいかない。でも、同じ種族の別の個体が、この町のどこかにいるかもしれない。
「女将さん。ほかに小火蜥蜴を見かけたことは」
「あるさ。鉱山の入口の石の隙間に、一匹だけ棲みついてるのがいるよ」
女将は、にやりと笑った。
*
その蜥蜴は、鉱山の入口の石の隙間で、ぐでんと寝ていた。
大きさは湯屋の子と同じくらい。ただ、鱗が焦げたような暗い赤で、炭火の光がほとんどない。腹ばいのまま、陽だまりに溶けている。
「三日前に見たときも、同じ姿勢でした」
坑夫が呆れたように言った。
「動くのは餌のときだけ。町の連中は『ごくつぶし』って呼んでる」
「ごくつぶし……」
レクトは石の隙間にしゃがんだ。呼吸だけが、ゆっくり背中を上下させている。鱗の色が悪い。火の勢いが弱い。
(病気かな)
図鑑を開く。
〈状態:栄養不足(軽度)〉
〈適温:高め〉
「…………あ」
気づいた。
この隙間は日陰だ。昼に少し日が当たるだけで、夜は冷える。炎を保つには体温が必要なのに、ここは寒すぎる。
「ベルクさん。この子を、お湯のそばに置かせてもらうよう、頼んできていいですか」
三日間、レクトは湯屋で働いた。薪割り、水汲み、掃除。女将は最初「子爵様の三男に仕事をさせるのは」と渋ったが、レクトは笑って斧を握った。ダリオが「俺がやります」と言うと、女将が「あんたはお湯を持ってきな」と指示して、護衛三人もまとめて下働きに回った。
小火蜥蜴は、浴槽の縁に置かれた。
一日目。ぐでんと寝ていた。
二日目。浴槽の湯を、ちらっと見た。
三日目の朝、薪を運んでくると、蜥蜴が浴槽の中に入っていた。
背中の鱗が、赤く、赤く、輝いている。女将の相棒と並んで、二匹とも満足そうに目を閉じていた。
治った。
蜥蜴がレクトに気づいて、ぱちん、と瞬きをした。浴槽から這い出して、足元までてくてく歩いてくる。ぐい、と膝の上に登った。熱いくらいに温かい。
「…………お前、湯が好きなのか」
蜥蜴は、レクトの膝の上で、くるりと丸くなった。
*
契約は、湯屋の浴槽の縁で行った。
「いいんですか、女将さん」
「あんたが三日間、毎日薪を割ってくれたんだ。この子は、あんたに懐いてる。それに、ごくつぶしを引き取ってくれるなら、町の連中が拍手するよ」
「ごくつぶしって呼ばないでください。この子は、湯が好きなだけです」
蜥蜴が、レクトの指先に鼻をすり寄せた。
「契約を、お願いしたい。俺は、レクト」
「〈テイム〉」
緑の光が、赤い鱗の上を走った。
〈契約成立〉
〈小火蜥蜴 Lv14 HP72/72〉
〈性格:のんびり・寒がり・温もり好き〉
〈適性:火属性(中) 保温(高)〉
〈進化分岐:炉火蜥蜴〉
進化条件の欄が開き、その下に、もう一行。
〈――遠い進化先〉
〈炉火蜥蜴 → 翼火蜥蜴 → 焔翼竜 → 紅天竜〉
「…………え。竜、って書いてある」
膝の上の蜥蜴は、くあぁ、と大きなあくびをして、また丸くなった。
「お前、竜になるのか?」
返事は、ぐうぐうという寝息だった。
蜥蜴から竜への進化は、普通の図鑑にも教本にも、ひとつも載っていない。でも、目の前の小さな赤い生き物は、膝の上で全力で寝ている。
笑いが込み上げてきた。
「アンバー。琥珀みたいな色の瞳だから。お前は、アンバーだ」
蜥蜴が片目だけ開けて、ふんす、と鼻を鳴らし、もう一度眠った。
帰り道の荷馬車では、アンバーが湯たんぽ代わりにレクトの腹の上にいた。ミュウが寄ってきて、ぴったりくっつく。猫は温かいものが好きなのだ。リプルが反対側に寄り添って、ぷるんと震える。
「アンバー争奪戦が始まるな……」
ガルフが荷馬車の横を歩きながら、空を見上げていた。
*
整列、という言葉の意味を、六体は全員が知らなかった。
屋敷の中庭。朝日の下で、レクトは六体の前に立った。チップは右肩、ピピは左肩。足元にミュウとガルフ。腕にリプル。頭の上にアンバー。
誰も、座っていなかった。
「紹介の儀式をしよう。チップ、地面と音の専門家。リプル、水と防御。ミュウ、暗闇と先陣。ピピ、空と偵察。ガルフ、守りと全体の見張り。アンバー、火と保温」
名前を呼ぶたびに、それぞれが一声鳴いた。アンバーだけ、寝言だった。
「六体、同時に動かす。それが今日の稽古だ」
最初の課題は、庭の端まで歩くこと。ただそれだけ。ところが、ミュウは勝手に屋根に登り、ピピは空に消え、チップは地面を掘り始め、リプルは桶に戻り、アンバーは頭の上で寝ている。ガルフだけが、律儀に全員を見て、遅れた者を鼻先でつついて歩かせていた。
「ガルフ、助かる」
ふう、と鼻息。
一時間かけて、庭の端まで着いた。全員が揃っていた。
「よし、完了。じゃあ、次は、ここから戻る」
全員が、固まった。ガルフだけが、ため息をついた。
柵の向こうで、槍を担いだジークが腹を抱えて笑っていた。
「三男。その狼、守りが得意なんだって? 明日、訓練場に連れてこい。兄ちゃんが試してやる」
ガルフの耳が、ぴくりと動いた。




