荒地の狼、土狼ガルフ
荒地を見下ろすピピの目は、一匹の狼ばかり追っていた。
荒地での滞在は、二日。今日のうちに、守りの仲間を決める。
土狼の群れは、全部で九頭。岩場の窪みに巣を作って、日の高いうちはだらしなく寝そべっている。その中で一頭だけ、眠らない奴がいる。
灰茶の毛並みの、まだ若い雄だ。巣穴の入口にどっしり座って、耳だけをあちこちに向けている。
「あいつ、さっきから一回も寝てない」
丘の陰に伏せたレクトは、ピピの視覚共有を切って、隣の護衛長に囁いた。
「番犬役ですか」
「ですな。群れの若い者の仕事です。ただ、普通はもう少し威張るものですが」
威張らない、というのが、確かにおかしかった。
昼になると、母狼が獲物を引きずって帰ってきた。子狼が三頭、転がるように駆け寄る。成獣たちものそのそ起き出して、争うように肉に噛みつき、獲物は半分になった。
灰茶の雄は、動かなかった。
子狼が群がり終えるのを待って、成獣が食べ終わるのを待って、最後に、残った骨に近づく。ほとんど肉のついていない部分を、黙って齧り始めた。
誰も気に留めない。母狼も振り向かない。
(…………)
レクトは、息を止めていた。
骨を齧る雄の足元に、子狼が一頭、ちょろちょろと寄ってきた。雄は一瞬だけ困った顔をして、自分の齧りかけを、そっとその子の前に押しやった。
「あ」
図鑑に、小さく灯りがともる。
〈土狼 遭遇登録〉
〈群れの結束が強い。他者の動きに合わせる性質の個体がいる〉
「ベルクさん。俺、あの子がいいです。いちばん最後に食べる奴」
「理由をお聞きしても」
「俺の仲間は、みんな自分の好きなことに一直線なんです。ミュウは寝たい。ピピは飛びたい。チップは掘りたい。誰かが、全員の動きを待ってくれる奴が必要で」
そこで少し笑った。
「たぶん、そういう奴が、いちばん強いんです」
*
契約は、巣穴の外で行った。
群れの大人たちが唸り声を上げる中、レクトはゆっくり丘を降りた。膝をつき、肩を落とし、両手のひらを見せる。護衛たちは遠くで待機。足元にはチップだけ。
灰茶の雄が、巣穴の入口で立ち上がった。
目が合う。琥珀色の、穏やかな目だった。牙を剥かない。唸りもしない。
「俺は、レクト。お前の力を、貸してほしい」
返事は、なかった。
その代わり、雄の後ろから子狼が三頭、よたよたと出てきて、足元にまとわりついた。母狼が、巣穴の奥から、じっとこちらを見ている。
(待ってるのは、あの子たちか)
レクトは、手のひらを下げた。
「無理には誘わない。この子たちが大きくなるまで、待つよ」
雄が瞬きをして、母狼のほうを振り返った。長い視線のやり取り。やがて母狼が、短く、低く、ひとつだけ鳴いた。
雄は子狼たちを一頭ずつ鼻先で撫でた。それから、レクトの前まで歩いてきた。
「〈テイム〉」
緑の光が、毛並みに沿って走る。
〈契約成立〉
〈土狼 Lv16 HP90/90〉
〈性格:温厚・面倒見がよい・待てる〉
〈適性:地属性(中) 防御(高) 統率(中)〉
〈進化分岐:岩牙狼〉
「ガルフ。お前は、ガルフだ」
太い尻尾が、一回だけ、ぱたんと振られた。
帰り道、三頭の子狼がずっと後ろをついてきた。ガルフが立ち止まって、鼻先で巣穴の方角を示す。子狼たちが「えー」という顔で足を止める。もう一度、示す。三回繰り返して、ようやく子狼たちは引き返していった。
見送るガルフの背中が、少しだけ小さく見えた。
「大丈夫。会いに来よう。ここは、そんなに遠くない」
ガルフは長い鼻先をレクトの膝に押しつけて、ふう、と鼻息を吐いた。荒地を下りる夕風が、新しい毛並みを金色に染めていた。
*
「ここが、お前の寝床だ」
屋敷の裏庭の一角、母が用意してくれた藁の巣の前で、レクトはガルフに言った。
「そっちがチップの。その隣がリプルの桶。あっちがミュウの定位置で、高いところがピピの止まり木」
ガルフが、ふんふん、と匂いを嗅ぐ。その様子を、先輩たちが遠巻きに見ていた。
最初に動いたのは、ミュウだった。黒い影が屋根から無音で降ってきて、ガルフの背中を狙う。猫なりの洗礼である。
「ミュウ、待っ――」
止める暇はなかった。が、爪は空を切った。ガルフが、ほんの少し身体をずらしたのだ。ミュウが着地して振り返ると、ガルフは何も言わず、藁のそばに座り直した。
次に、ピピが急降下して、ガルフの鼻先をつついた。ガルフは目を閉じて受け流した。
チップが石の上から降りてきて、ガルフの足元で仁王立ちをした。ひげをぴくぴくさせて、前足を突き出す。「俺が先輩だ」と言っているのが、ありありと分かる。
ガルフはゆっくり頭を下げて、チップと目の高さを合わせ、鼻をちょんと触れ合わせた。
それだけで、チップの毛が、ふにゃっと落ち着いた。
ミュウが、ふん、と鼻を鳴らして、藁の巣のそばに丸くなった。ガルフの隣、一歩ぶん空けたところに。
夜、様子を見に行くと、ガルフが藁の巣の上で横になっていた。そのお腹の上にチップが乗り、背中にミュウが寄りかかり、頭の上にピピが止まり、足元にリプルが張りついている。
全員が、ガルフに寄りかかって寝ていた。
ガルフが、目だけ開けてレクトを見た。困ったような顔だった。
「動けないな、それ」
ふう、と鼻息。
「頑張れ」
レクトは、そっと灯りを消した。
守りは、決まった。残る枠は、あと一つ。
次は、火だ。




