七つ星と栞
机の上に、ふたつの紙が広がった。
閉館の鐘まで、あと二時間。それまでに、七つの星の謎に、筋を通したい。
左がレクトの写し、右がエレナの手帳。七つの点を結ぶと、レクトの図では歪んだ冠の形になる。エレナのほうは、古代星図の写しで、同じ七つの点が少しずれた位置にある。
「これ、距離がおかしいわね。あなたの図、点の間隔が、私の星図より狭い」
「写し間違いじゃなくて?」
「あなた、測量はした?」
「した。縄と杭で。歩幅も数えた」
「じゃあ、写しは正確ね。……だとしたら」
エレナは鉛筆を握りしめた。
「同じ七つの星を、地上とは別の位置から見ているのよ」
「別の位置?」
「上からでも、横からでもなく、もっと遠くから。視点が変わると、星の間隔は変わるでしょう」
鉛筆が紙の上を走る。観測者の位置、星の位置、見え方の違い。細かい矢印が、あっという間に増えていく。
「あなたが見た観測室の天井は、本物の星を再現したものじゃない。本物の星を、別の位置から観測した配置を、写したのかもしれない。そう考えれば、地上の星座と一致しないのも、説明がつく」
「…………」
レクトは、思わず椅子から身を乗り出した。
「すごい」
声が、裏返った。
「俺、そこまで考えてなかった」
「当たり前でしょう。私は天文の専門書を、八歳から読んでるもの。あなたは、現場に行ったのよね。実際に」
「うん。行った」
「羨ましい」
エレナは鉛筆を止めて、顔を伏せた。ほんの少しだけ、耳が赤い。
「私、本ばかりで、外に出たことがないの。星の位置は計算できても、星の下の景色は、見たことがなくて」
その言葉に、レクトは息を呑んだ。
「じゃあ、今度、見せるよ。あの観測室。絵も、床の刻みも、全部」
「いいの?」
「いいよ。俺は星の読み方が分からない。エレナが読んでくれないと、あの場所の意味が分からない」
エレナは目を丸くして、それから、ふっと笑った。
「じゃあ、取引ね。あなたが実地で見つけたものを教える。私が、星図の読み方を教える」
「賛成」
窓の外が、いつの間にか夕焼けになっていた。係員が閉館を告げに来る。
エレナは手帳から羊皮紙を一枚破って、さらさらと書きつけた。分かったこと、残った疑問、仮説。
「これ、栞にして」
両手で受け取る。
「俺も、書く。待って」
自分の写しの端に、七つの星の配置、観測室の場所、床の刻みをまとめて書き、栞の大きさに切って渡した。二人は、お互いの栞を自分の本に挟んだ。
「続きが読めたら、また教え合いましょう」
「うん。絶対」
エレナが出口で、ふと振り向いた。
「あなたの鼠、さっきから私の足元で地図を作ってるんだけど」
見ると、チップが床の上で、エレナの靴の周りに細い線を描いていた。
「ごめん! チップ、やめ!」
「……ふふ」
笑ったエレナの横顔が、夕陽に染まっていた。
*
帰りの馬車は、行きよりもゆっくり走った。
窓の外で、麦畑が金色に染まり、遠くの森が紫に沈んでいく。レクトは膝の上のチップを撫でながら、胸の中の栞を何度も取り出して眺めた。
「楽しかったか」
「……はい」
父は、窓の外を向いたまま、腕を組んでいた。
「お前の目が、変わったな。前は上を見ていた。強い者を。今は、遠くを見ている」
レクトは、少し考えて言った。
「父さん。俺、強くなる理由が変わりました。前は、家族に追いつくためでした。でも、いまは、観測室のさらにその先に行きたいんです。星の浜に。仲間と、一緒に」
馬車の車輪が、石畳を鳴らす。夕陽が、父の横顔を橙色に染めている。
「遠いな」
「遠いです」
「何年かかる」
「分かりません。でも、行きます」
父は、息を吐いて、笑った。
「お前を、戦場で名を残せる子に育てると決めていた。だが、お前が選んだのは、戦場の外の景色だった。その道を、私は知らない」
大きな手が、レクトの頭の上に置かれた。
「だから、教えられることを教える。剣と、判断と、人との付き合い方だ。星の浜までの道は、お前が自分で作れ。ひとつだけ約束しろ。帰ってこい。何があっても」
喉の奥が、ぎゅっと詰まった。
「はい。必ず」
*
「星の浜……!」
夕食の食卓で、ジークの目が爛々と輝いていた。
「三男、とんでもないもん見つけたな」
「見つけたのは、チップです」
「そのチップを連れてったのは、お前だ」
食卓には、母の自慢の煮込みが湯気を立てている。ベルクたち護衛三人も、今夜だけは同じ席に座っていた。
「天井が、全部、星なんだ。光る鉱石で、本物の夜空みたいに」
「うおお」
「中心に台座があって、真鍮の器具がずらっと並んでて」
「うおおお」
ジークの「うおお」が、どんどん大きくなる。レオニスが、無言で次兄の肩を押さえた。
「兄ちゃんも行きたい!」
「お前は来週、試験だ」
「ぐっ」
母が、くすくす笑った。
「地下に、そんな素敵な場所があるなんて。レクト、いつか私にも見せてね」
「うん。母さんにも見せたい」
「楽しみにしているわ」
セリアはスープを混ぜながら、ふと付け足した。
「ところで、古書庫でお友達ができたと聞いたけど」
「え。誰から」
「ガイゼルが」
「父さん!?」
父が、パンを口に押し込んで目をそらした。
「…………事実を報告しただけだ」
「どんな子?」
「エレナっていう子。星図が、すごく詳しくて」
「ふふ。可愛い子?」
「えっと」
レクトは、一瞬、固まった。その一瞬を、全員が見逃さなかった。
「あっ」
「ほう」
「ははは! 三男の顔、赤いぞ!」
「赤くない!」
「耳まで赤い!」
トールが肩を震わせ、ダリオが「おめでとうございます坊ちゃん」と囁いて、ベルクに足を踏まれた。食卓の笑い声は、夜更けまで続いた。
*
その朝、レクトは図鑑の隅の文字を、三度確認した。
〈レクト:Lv40〉
〈契約上限:6〉
「…………来た」
声が掠れた。昨夜、屋敷の外壁を巡回していたチップが、近づいてきた森小狼の群れを撃退していた。その経験値が、眠っている間に、最後の一歩として届いていた。
寝台の上に、三匹と一羽が集まってきた。チップが胸の上。ミュウが膝。リプルが足元。ピピが枕元。
「六枠だ。いま四体だろ。あと二体、迎えられる」
四匹の目が、一斉に輝いた。
役割を整理する。チップは地面、リプルは水、ミュウは暗がり、ピピは空。四体とも、探すことと動くことの専門家だ。足りないのは。
(守り、だ)
洞窟の戦いで、痛感した。味方が動ける場所を作る、あの長兄の盾のような仲間が必要だ。
そして、もうひとつ。
(火だ)
洞窟の暗闇も、冬の野営も、鉱山の素材も、火を扱える仲間がいれば、できることが一気に増える。
「守りと、火」
図鑑の索引を開く。二つの名前が、淡く光って並んでいる。
〈土狼 街道・荒地に生息〉
〈小火蜥蜴 鉱山・火山帯の外縁に生息〉
チップがきゅい、と鳴いた。ミュウが尻尾を揺らし、ピピが羽根をばたつかせ、リプルがぷるんぷるんと揺れる。
「分かった分かった、落ち着け」
窓の外では、朝の光が庭に降りていた。薪置き場で出会った小さな鼠から、もう四年が経っている。
「よし」
レクトは寝台から飛び降りた。
守りの仲間は、荒地のどこにいるのだろう。




