お前の計画を、聞かせろ
ガイゼルが戻ったのは、夜明けだった。
馬も父自身も泥まみれ。別の防災地点での作業を終え、報告を聞くや、休憩もなしに駆け戻ってきたらしい。屋敷の門をくぐって、まず向かったのは水路の現場だった。
死んだ泥顎亀の巨体が、点検区画に横たわっている。ガイゼルは、それを無言で見下ろした。衛兵たちが直立不動で整列する。
「報告を」
「はっ。上流の岸壁崩落により、水路に濁流が侵入。使用人の娘が足場に取り残されましたが、全員無事に救出いたしました」
「亀は」
「ご子息の指揮の下、衛兵隊と従魔の連携で撃破いたしました。最後の一撃は、ご子息ご自身です」
ガイゼルの視線が、動いた。
離れた場所に、全身泥と雨にまみれたレクトが、肩にチップを乗せたまま立っていた。まっすぐ父の目を見返す。
「怪我は」
「ありません」
「従魔は」
「無事です」
「そうか」
父の視線が、チップ、ミュウ、リプルを順番になぞった。三匹とも、疲れてはいるが、目は死んでいない。
短い。ガイゼルは少し黙ってから、衛兵たちに向き直った。
「ベルク。縄隊、水門番、全員の名を記録に。功績を、一人残らず記せ」
「はっ!」
それからレクトを振り返る。
「判断は、よかった。図面を渡し、大人に任せ、自分は点検台から指示した。戦う前に、助ける順序を決めた。それができる者は、戦場でも長く生きる」
「……はい」
「剣も、よく入った。肩の癖は、完全に消えている」
それだけだった。ただ、大きな手が濡れた頭に置かれて、ぐしゃりと撫でた。
後ろで、ベルクが鼻をすする音がした。誰も、聞かなかったことにした。
屋敷に戻ると、母が玄関で待っていた。ずっと起きていたらしい。目が赤い。
「母さん、ただいま」
「……おかえりなさい」
セリアは泥だらけの息子を、何も言わずに抱きしめた。腕の力が強くて、少し苦しい。肩の上で、チップが抗議の声を上げる。
洗濯係のマーサが、ティナを抱いて何度も頭を下げた。ティナは泣きはらした目で、小さな声で言った。
「れくと、さま。ありがとう」
「どういたしまして」
照れくさくて、笑った。助けた子に礼を言われるのは、レベルが上がるより、ずっと胸に残った。
風呂に入って、飯を食って、昼過ぎまでぐっすり寝た。起きると、ミュウが胸の上で丸くなっていて、チップが足元に、リプルが枕元にいた。三匹とも、まだ眠っていた。
(今日は、休日だな)
誰が決めたわけでもない。ただ、そう思った。窓の外の空は、洗い立てのように青かった。
*
三日後の朝、レクトは父の執務室に呼ばれた。
重厚な机の向こうで、ガイゼルが書類をめくっている。窓から差し込む光が、部屋の隅の剣架けを照らしていた。
「座れ」
「はい」
「お前の計画を、聞かせろ」
重厚な机の上に、領の全図が広げてある。声は低くて短かったが、拒絶の色はひとつもなかった。
(三日、考えた。外に出たい。庭の外へ。ただ、それは勝手に決めることじゃない。父さんに、ちゃんと聞いてもらわないと)
「はい。まず、護衛付きで街道に出たいです。庭では、学べることが少なくなってきました。チップたちが探知できる範囲も、庭の外まで広がっています。外の魔物と外の地形で、連携を試したいです」
「危険は」
「あります。だから護衛の方と一緒に。行き先は点検済みの範囲だけ。帰還時刻を決めて、時間が来たら戻ります。それと、運搬テイマーのハロルドさんの仕事に同行して、街道の運び方を見たいです」
ガイゼルが、書類から目を上げた。
「ハロルドか。いい師匠を選んだな。ほかには」
「……あと、図鑑の生息域が、庭の外まで続いています。屋敷の外に、何がいるのか、見たいです」
沈黙が落ちた。
窓の外で、鳥が鳴いている。長い数秒のあと、ガイゼルが口を開いた。
「許可する」
レクトは、目を見開いた。
「ただし、条件が三つある。よく聞け。一、護衛を必ず付ける。二、行き先と戻りの時刻を、毎回報告する。三、危ないと判断したら、迷わず引け」
「はい!」
「それと」
父は、少しだけ目をそらした。
「……土産を、忘れるな。セリアが、お前の旅の話を待っている。私にも、何か持ってこい」
レクトは、思わず吹き出した。
「父さんが、お土産を」
「悪いか」
「いえ! 絶対に持って帰ります!」
父の口元が、ほんのわずかに緩んだ。三秒前の厳しい顔は、もうどこにもなかった。
執務室を出ると、廊下の窓から庭が見えた。二ヶ月前まで、自分の世界のすべてだった場所。薪置き場、石垣、厩舎、納屋。小さく、見える。
あの庭で、鼠一匹から始めたのだ。それが今は、三匹と、護衛と、父の許可が付いている。
肩のチップが、きゅい、と鳴いた。足元でミュウが尻尾を揺らし、腕のなかでリプルがぷるんと震える。
図鑑の索引を開くと、生息域の欄が、地図の上で外へ広がっていった。その中に、一つだけ、空の色をした文字があった。
〈風羽雀 未遭遇 生息域:街道・開けた草地〉
最速で行く。でも、仲間は置いていかない。
門の向こうには、何が待っているのだろう。




