交際2日目
翌朝。
いつも通り6時25分に自宅最寄り駅であるところの丘ノ下南駅に到着。6時30着の電車に乗るのが毎日の通学パターンだ。通勤、通学時間としては、まだピーク前。この駅からならば座席も空いている。
移動時間は同じにしても座っているのと立っているのではエネルギー消費が違う。15分間ならざっと12kcalといったところだ。エネルギーを消費することは悪いことじゃないが、無駄にエネルギーを消費することは許せん。
部活の朝錬のためだろう、高校生もホームに何人か見える。
今朝は珍しくうちの学校の生徒も一人いた。
うん? よく見たら古野見有紗じゃないか。こんな時間に何をしているんだ。昨日までは一度も見たことがなかったぞ。
古野見有紗がこっちを見た。バッチリと目が合う。
笑顔で駆け寄ってきた。
「おはよう」
「おはよう。珍しいな、時間がかぶるなんて」
それに古野見有紗が下を向いて髪の先をいじくる。
「別にあんたに合わせたわけじゃないから。偶然だから」
いや、さすがに昨日の今日で無理がある。
だが、おかしい。俺は何時の電車に乗っているなんて情報を彼女の耳に入れてはいない。
「……何時に起きたと思ってんのよ」
古野見有紗がつぶやいて。ばっ、と顔を上げた。
「あ、あの今のは違うから。待ってたわけじゃないからねっ」
そこへ電車が来た。
おかげで突っ込む必要もフォローする必要もなくなった。
車内はいつも通り、ちらほらと空席があった。
座る。隣に古野見有紗が座った。やけに近い。3人分はスペースがあるのに腕が触れ合うほどの距離だ。
「近くないか?」
「仕方ないじゃない。座席は詰めるのがマナーなんだから」
「いや、あらぬ誤解を生むんじゃないか?」
「なによ、あらぬ誤解って」
「俺たちが交際関係にあるというような」
「付き合ってるじゃない」
それもそうだな。
だが、その関係は秘匿するはず。
「公にしないという条文に抵触するぞ。実際のところ、公になって困るのはそっちじゃないのか?」
古野見有紗が俺を睨みつけ。
「ムカツク」
言った後、1.5人分ほど間を空けた。
さて、学校のある夢丘中央北駅まで所要時間は15分。その間、生成AIに問題を作らせ、解くことにしている。当たり外れがあるが、それがまた面白い。
スマホで出題をうながすプロンプトを打っていると、隣から、「ねえっ」と声が飛んできた。
「なんだ?」
「隣に彼女がいるのにスマホいじるとか、ないから」
また古野見有紗が新たなルールを持ち出してきた。
「そうなのか?」
「そうよ。今は誰も知り合いいないんだし。話しててもいいじゃない」
「まあ、そうだな」
「ねえっ、小学生の頃、学校で動物とか飼ってた?」
「いきなりなんだ?」
「別にいいじゃない」
「特に飼ってなかったんじゃないか? いや、カエルやらメダカやらがいたような気もするな」
クラスメートが家から持ってきて、プラスチックケースを教室の後ろに置いていたような気がする。
「他には?」
「そんなものだろ」
小学校4年からイギリスに引っ越したからな。そっちの体験が強烈すぎて、日本での小学生時代の記憶が薄いんだ。
「4年生の時は?」
「別に飼ってない」
と、答えた直後に、頭に白いネズミの映像が浮かんだ。
いや、ネズミを飼っていたような気がする。ハツカネズミ。
「そういえば」
言いかけたところで電車が次の駅に到着した。
ドアが開いて人が乗り込んでくる。俺と古野見有紗の半人分のスペースも塞がった。俺がさっとスペースを広げて場所を作ったためだ。
よし、これでいつものルーチンワークに戻れる。
そう思いスマホにプロンプトの続きを打ち込もうとした矢先。
ショートメッセージが届いた。
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そういえば?
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さっき俺が言いかけたのを聞き逃さなかったんだな。
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ハツカネズミを飼っていた
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それに対する返答はなかった。
ネズミ嫌いなのかもな。
生成AIの出題した問題を解いていると視線を感じた。
古野見有紗が見ていた。隣に座るサラリーマンの体越しにジッと。
目が合うと、さっ、と目をそらす。
暇なら数学を嗜むといいのにな。
オイラーも言っているぞ。
数学には、結論が完全に疑問の余地がない、という他に類を見ない幸福がある、と。
次の駅で同じ高校の生徒が2人乗ってきた。うち一人の男子が古野見有紗の知り合いらしく彼女に声をかけ。まだ他に席が空いているにも関わらず彼女の前に立って吊り革をつかむ。
「あれ、アリサ、部活やってたっけ」
「やってないわよ」
「早いじゃん」
「谷山君は陸上だっけ」
「そっ。朝錬ダリー」
なるほど。
自宅最寄り駅である丘ノ下南から谷山の乗ってきた丘ノ下北までは7分。例え、電車の時間をズラしても古野見有紗が合わせてくる可能性を考えれば電車は変えない方がいいな。
7分間は諦めよう。どうせ、来週中には終わる。
さらに次の駅では別のクラスメート(女子)が乗ってきたようだ。古野見有紗は谷山とその女子と楽し気に話していた。
4限は体育だった。体育は男女別2クラス合同で行われる。
俺の所属しているDクラスはCクラスとの合同。ちなみに古野見有紗はAクラスに所属している。教室の位置でいえばフロアの端と端だ。遭遇確率はそれほど高くない。
授業内容はサッカーのミニゲームだった。4チームに分かれて15分間の試合をする。
スポーツはあまり得意じゃない。いや、そう言うと語弊があるな。はっきりと苦手だ。
1試合目ですでに体力がつきてしまった。
「おい、奥山、大丈夫か? 無理すんな。そこらで休んでていいからよ」
クラスメートの佐藤隆が言った。
俺があまりにも荒い呼吸をしていたのが気になったのだろう。
「そうだぜ。どっちみち戦力外なんだから、オフサイドもないし。端っこで突っ立ってろって」
やはりクラスメートの井川良哉
「そ、そういう、わけにはいか、ない。お、俺が全力で走ることに、よってボールに接触する確率は、10%前後は上がるはずだからな。全力で走らなければ2パーセントは切るだろう」
はあはあはあ、と荒い呼吸を挟みながらも語って聞かせる。
「いや、12%くらいなら別にいいだろ。体育のお遊びみたいなもんだし。だいたい、ボールに接触してたところで、なあ」
佐藤隆が言って。
「ああ、女子が見てるわけでもないしなあ」
井川良哉。
「マジで過呼吸で倒れそうだからさ。ほどほどにな」
そして、また試合が始まる。
俺は無駄なことが嫌いだ。エネルギーを不必要に消費するのも嫌いだ。
体を動かすことも苦手だし。中でも球技は自分でもヒドイものだという自覚がある。
ただ、どうせやるなら勝ちの確率を高めたい、それだけだ。
別に仮初とはいえ仲間ができて嬉しいからってわけじゃない。本当だぞ。
女子が見ているわけでもない、か。
井川良哉の言葉を思い浮かべ、校舎を見る。
ついAクラスのあたりを見てしまった。
なんとなく、古野見有紗がこちらを見ているような気がしたが、もちろんただの気のせいだ。
そもそも、彼女が窓際に座っているとは限らないのだから。




