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シントシンデート②

 シントシンタワーから駅前に戻り、ファーストフード店で少し早めの昼食をとる。3階まである大型店だが、それでも店内は混雑していた。

 小さなテーブルをはさんでアリサと向き合いハンバーガーを食べる。


「そういえば、どこでバイトしてるの?」


「丘ノ下北駅前のスーパー『アヤメマート』だ」


 大型スーパーで日曜日は1週間分の食材をまとめ買いする客で繁盛はんじょうする。


「へえ。なんか普通。もっとパソコンとか使う仕事かと思った」


「自転車で通える距離だからな。仕事もそれほどハードじゃない。悪くないバイト先だと思っている」


 春休みから働き始めて、まだ3ヶ月程度だが社員もパートも親切にしてくれるしな。俺のようなコミュニケーション能力が欠けた人間でもやっていけるのはそれが大きい。


「何時から?」


「9時から17時までだ。途中、1時間休憩を挟んだ7時間労働だな」


「思ったより、ガッツリ働いてるのね」


「そうか? 週一日だし、大した負担は感じないが」


「私も、そこで働こうかな」


「そうなのか? 常時、バイトは募集しているから面接するなら話をしてみてもいいが。だが、同じバイト先だからといって話す時間はないと思うぞ」


「べ、別にトオルに会いたいから同じとこで働きたいって思ったわけじゃないわよ」


「まあ、知り合いが働いているというだけで心強くはあるだろうしな。アリサならばコミュニケーション能力も高いうえ、可愛いから俺より重宝されるだろう」


 それにアリサが驚いた顔になった。それから笑みを抑えるような半笑いのような顔になった。


「なんだ?」


「だって、トオルに可愛いって思われてるなんて。なんか、意外で」


「人並みの審美眼は持ち合わせているつもりだ」


 むしろ審美眼には自信がある。なぜなら、数学界の至宝であるオイラー等式や、数学の深淵を体現したマンデブルロ集合を美しいと思えるからな。


「いちいち難しい言い方しなくていいのに」


「うん? 別に難しい言い方はしていないだろう?」


「いいけど。トオルっぽいし」


「当たり前だ。俺は奥山透おくやまとおる以外の何者でもないからな」


 そういうとこ、とアリサが笑った。


 昼食後は地下街を中心にショッピングモールを散策した。

 主にアリサの行きつけの雑貨屋だ。

 雑貨屋は十代女子に人気らしく、店内は同年代の女性ばかりだった。あとは俺と同じく恋人に連れられてやってきた男たちだな。彼女の従者のごとく後ろについて歩いている。


 真剣にピアスを選んでいるアリサの横顔を眺めていると、彼女がこちらを向き、目が合った。


「退屈?」


「いや、そういうわけじゃない。アリサの顔を眺めていただけだ」


「なっ、なにそれ。変な顔してた?」


「見惚れていただけだ。気にするな」


 アリサが絶句。直後に真っ赤な顔になる。

 その様に愛おしさを覚える。

 なるほど、こうやって愛情というものは深まっていくんだな。


「ストレートすぎるから」

 つぶやく。


「不適切か?」


 アリサは小さく首を横に振った。気に入っているみたいだ。


 雑貨屋巡りの後は駅前の大型書店に入った。


「どうせ難しそうな本、買うんでしょ」


「別に難しい本を買うつもりはないが」


 数学書はもとよりJMOの過去問題集でさえも大型書店じゃなくては置いてないからな。もっともっと数学を愛する人間が増えるべきだ。

 今度はアリサが俺の後ろについて歩く。あまり話しかけてこないのは俺に遠慮しているのだろう。

 こういう姿勢はありがたい。真剣に考えている時に話しかけられるのは苛立いらだつからな。


 久しぶりに来たせいもあるがいくつか面白そうな本が手に入った。

 ここは洋書も販売しているのが素晴らしい。


「なんか、結構、買ったね」


「ああ。かなりの収穫だ。電子書籍もかさばらなくていいが、中を確認できないのが致命的だな。表紙で興味をそそられ、手に取り、購買意欲が湧く。この過程が楽しいんだ」


「わかる。私も雑誌とか立ち読みして、良さそうだったら買うし」


 楽しむということは効率や合理性、あるいは利便性とは基本的に別軸に存在するのだろう。

 効率とは解に最短距離で到達すること。一方で楽しむという行為は、プロセスに価値を見出す行為だともいえる。

 また情報理論の観点から見ると、効率化とは冗長性を削ぎ落として圧縮することだ。

 本来なら、娯楽的要素と効率は交わることはない。

 だが、数学ではそれらが劇的に交差する瞬間がある。


 100ページかかる計算を、たった3行の美しいアイデアで解き明かす究極の効率化は、数学を愛する人間にとっては最大の娯楽だ。

 またゲームのRTAリアルタイムアタックのように、どれだけ効率化できるか、というルール自体を楽しむ対象にする場合、効率は楽しさの目的関数になる。


 ふと、アリサの視線に気づいた。


「うん? どうした?」


「えっ、なんか、考え事してたし。邪魔しちゃ悪いかなって」


「大したことを考えていたわけではないが」

 そう前置きして、先ほどの思索をアリサに話した。

 

「なんかよくわかんないけど。数学は楽しいってことが言いたいの?」


「まあ……数学は楽しいが」


「でも、考え事してる顔、カッコいいかな」

 小声でつぶやく。


 聞こえなかったことにしつつも、顔が赤らむのはどうしようもない。


 駅のホームで電車を待つ。すでに空は赤く染まり始めている。

 今から家に着くのは18時過ぎになるだろう。


「終わっちゃった」

 アリサの声がさびしそうだ。


「まだ1時間以上一緒にいるんだが」


「うん。でも、なんか寂しいじゃん」


「そうだな」


 こうしてつないでいる手を離さなくてはならないということに寂しさを感じるのは確かだ。


「明日は会えないしさ」


「そうだな」


 電車が来た。

 予想はしていたが車内は恐ろしく混雑しており、座るどころではなかった。さらに次の駅になるといよいよ満員となり、俺とアリサは周囲からの圧力により密着状態となった。

 アリサの吐息が胸をくすぐる。これはまた脳裏によみがえる案件だな。


 しばらくすれば車両内の人口過密も緩和され、さらに俺たちの自宅最寄り駅に近づく頃には隣り合って座ることができた。

 疲れたのかアリサは無言。俺は今日の出来事を思い出し、時折、数学的要素を見出しては解いてみる、という遊びに興じていた。


 アリサの頭が俺の腕にもたれかかった。隣を見るとアリサは眠っていた。静かな寝息をたてている。

 唐突にアリサを抱きしめたい衝動にかられた。

 計算途中の数式を思い出す。

 

 恋人か。

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