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 学校最寄り駅であるところの夢丘中北駅のホームには何人もの夢丘中央北高等学校の生徒がいたが、俺たちは特に気にせず2人で一緒に電車を待った。

 アリサはいつも以上に饒舌じょうぜつで表情豊かだった。

 まだ興奮が冷めやらぬのかもしれない。


 電車に乗る。あいにく席は一つしか空いておらず、俺はそれをアリサにゆずると彼女の前に立った。


「そういえば、思い出した」

 アリサの話が一段落ついたところで言った。


「えっ、なに? なに?」


「小学校4年生の時のことだ。俺たちは同じクラスだったんだな」


 パアっとアリサの顔が輝く。

「思い出した? ホント?」

 身を乗り出して顔を紅潮させて俺を見上げる。


「ああ、ちゃんとハツカネズミを逃がしたことも思い出したぞ」


「そ、そっか」

 言った後、アリサが当時を思い出すように目を閉じた。

「……あの時から、だから」


「負い目に思わなくても良いと思うがな」


「そうじゃなくて。……カッコいいって思ったの。トオルのこと」


 今度は俺の顔が赤らむ番だ。

 自分で振っておいてなんだが、公衆の面前でするような話題じゃないな。


「私、何度もみんなに言おうとしたんだけど。言えなくて。そうこうするうちに終業式になって。トオルはイギリス行っちゃうし」


「まあ、それを踏まえての行動だったからな」


「メチャクチャ泣いたんだから」


「そうらしいな。杉田怜音すぎたれおんが言っていた」


「誰それ」


 覚えていないのか。ヤツはアリサと3年間同じクラスだったはずなのだが。


「アリサとは3年から小学校卒業まで同じクラスだっただろう? 毎朝、ホームで出くわすぞ」


「ぜんぜん覚えてない。ていうか、ホント、あのクラス好きじゃなかったから。男子も女子も」


 そのままアリサは小学校高学年時のクラスの恨み言を話し出した。

 俺が転校した後もアリサはクラスにあまり馴染めなかったらしい。

 その体験があり、中学に入学する際に自分を変えようと頑張ったそうだ。おかげで無事、陽キャの仲間入りを果たしたわけか。


「トオルが帰ってきた時は、ホント、嬉しかったんだから」


「うん? 噂の種になるようなことなのか」


 自慢ではないが小学校時代もお世辞にも存在感のある方ではなかった。


「ほら、帰国子女だし。私のいたグループ、情報通の子がいてさ。B組に帰国子女の転校生が来たって。小4までこっちにいた奥山透おくやまとおるだって。もう、衝撃で震えちゃった」


「確かにイギリスから来たってことで一時いっときチヤホヤされたようだが」


 まあ、すぐにブームは去ったわけだが。


「それでみんなで見にいって。ホントにトオルがいて」

 アリサが顔を押さえる。

「マジで、泣きそうだった」

 

「悪いがこちらはまるでアリサに気付かなかった」


「遠くから見ただけだし。あっ、トオル君だ。ヤバッ。カッコいいって」


 またしても、こちらが赤面してしまう。

 そもそも、カッコいいなどと初めて言われた気がするぞ。

 だいたい俺に対する評価は、暗そう、だとか、何を考えているか分からない、とか、だからな。


「どうやって話しかけようか、そればっか考えて。でも、1年のときって、私も中学デビューだったし? なんか、浮かないように頑張ってて。ビビりだったし。ぜんぜん、行動できなくて。で、廊下なんかですれ違うと、もう一日、ボーとなっちゃった」


 電車が止まり。アリサの隣の乗客が席を立つ。俺は彼女の隣に座った。うるんだ目で見上げられるのは落ち着かなくて仕方がなかったのだ。


「3年の時、同じクラスになって。ホント、嬉しくて。私なりに頑張って話しかけたんだけど」


 言われて、中学3年時にアリサと行った会話を思い浮かべる。

 ほとんど会話らしい会話をした覚えがない。高圧的な態度で感じの悪いヤツだ、と思ったぐらいだ。


「大した会話はしていない気がするが」


「だって。トオル、カラみづらいんだもん。こっちだって友達の目があるし」


 まあ、そうだろうな。

 俺は現在と変わらず陰キャでボッチだったしな。

 

「話せたときは、マジで、もう……」

 はあ、と溜息ためいきをつく。

「寝るまでドキドキしてた」


「そうか。会話が続かなくて悪いことをしたな」


 俺の方に問題があったことは間違いない。

 当時は今よりもさらに数学にのめり込んでいたからな。


「告るどころじゃなくて。でも、絶対、見ちゃうし。ぜんぜん、目が合わなかったけど」


「集中していたからな」


「でしょうね。チョコレートも3年間、自分で食べたんだから」


「なんだ、それは」


「だから、バレンタイン。渡そうと思って用意したの。3年の時は近所まで行ったんだから」


 母親の言う通りだったわけか。慧眼けいがんだな。


「絶対同じ学校行くんだって、こっそり情報集めて。夢丘中央北だって知った時はくじけそうになったわよ」


 夢丘中央北は出身中学からの進学先の中では偏差値が高いからな。


「受験勉強、マジで頑張ったんだから」


 それでも夢丘中央北に入れたなら、もともと平均以上の学力はあったんだろう。


「まずは現在どの程度の学力があるか確認するところからだな」


「なんの話よ」


「テスト勉強の話だが」


「うっ、一気にテンション下がった」


「来週のことだからな」






 その夜。

 電話でアリサと話した後、高揚した気分のままにベッドに入った。

 電話は明日のデートの内容を詰めただけだったが、アリサのテンションは高く、それに俺も釣られた形だ。

 自宅最寄り駅であるところの丘ノ下南駅に集合。そこから1時間ほど乗車し、新戸進しんとしん駅に向かう。

 そのため集合時間は8時と早めだ。しかし、9時に到着したところで店はやっているのか? 新戸進は都会だから問題なさそうではあるが。


 ベッドへ入ったものの中々、寝付けなかった。

 遠足前の小学生じゃあるまいし。

 寝るのをあきらめてPCへと向かう。

 なに、デートとはいえ明日は休日だ。睡眠不足でも、さほど問題はあるまい。


 JMOの公式を確認し、敬愛する数学者たちの情報をあさる。

 それらが一段落ついたところで、ふと、ハツカネズミの画像を検索してみた。

 すぐに写真が出てきた。


 ああ、そうだ、こんなヤツだったな。

 懐かしい思いでそれらを眺めていると、あの時の記憶が鮮明によみがえってきた。

 アリサにとっては俺に好意を持った最重要因子。俺にとっては解へと至るためにようやくたどり着いた記憶だ。


 放課後のことだった。

 一度、帰宅した俺は宿題のプリントを忘れたことを思い出し、しぶしぶ学校に戻った。担任教師は学習面で熱心というわけではなかったので、忘れた、と言えば済むことだったのだが。当時の俺はサボタージュした言い訳のようで気に入らなかったのだ。


 夕日の差し込む教室。

 後ろのロッカー前で呆然と立ち尽くす女子。

 その足元にはハツカネズミを飼育しているケースが置かれていて、そのふたは開いたまま。こぼれているオガクズ。


 逃げたな。

 一目で状況は理解した。前もケースの掃除をする時に逃げたことがある。捕まえるのにクラス中で大騒ぎになった。

 ドアを閉めると、女子に近づく。


「逃げたの?」

 

 女子が初めて俺を見た。焦げ茶色の髪の目の大きな少女。古野見有紗このみありさ。一度も話したことはない。

 アリサはすがりつくような顔で俺を見る。涙がいっぱいにまった目で。


「掃除しようと持ち上げたら、ふたが外れて」


 アリサの視線が窓に向く。4の教室は中庭に面した1階で、教室後部の引き戸から出入りできるようになっていた。活発な同級生たちは休憩時間のたびに外に出ては駆け回っていた。

 もちろん、俺はそんなエネルギーの浪費はせず、読書にいそしんでいたが。

 その引き戸は全開になっていた。


「外に……」


 恐らく引き戸がわずかに開いていたのだろう。ケースから脱出したハツカネズミはそのまま全力疾走して、中庭へ出た。アリサはそれを追いかけて外に出て見失ったというところか。


「探そうか」

 無理だろうな、と内心思ったが泣きそうなアリサを目の前に、他に言うべき言葉もなかった。


「探したよ。でも……ムリ」


 それからアリサはついに涙をこぼして必死の捜索模様を俺に聞かせた。要するに俺が出くわしたのは、捜索を断念し、教師に状況を伝えるために状況を整理しているところだったわけだ。


「先生には?」


「これから言う」

 涙声。諦めたような顔。


 結果が分かっているんだろう。

 明るくフレンドリーで生徒に人気がある教師だが細やかな配慮はいりょに欠ける。怒られることはないだろうが、これから一緒に捜索することはないだろうし、明日、事実をそのまま話してクラスを騒がせるままにするだろう。

 結果、アリサはクラスメートたちからの非難を浴び、教師はそれを一応、なだめるが、それで終わり。


 前回、ハツカネズミを逃がしてクラスメート全員を捜索隊にした山本健也やまもとけんやいまだにからかわれている。無事に保護できたにもかかわらず、1ヵ月近く経っているのに。


 ちなみにケースの掃除を嫌がる女子も多く、男子に押しつけたり、適当に友達を巻き込んだりしていた。

 アリサが一人でおこなったのは付き合わせる友人がいなかったのだろう。

 俺は彼女が進級に合わせて転校してきたことを思い出した。大人しい性格なのか、クラスに馴染めているとは言いがたい。

 もっとも、俺が言うな、という話ではあるのだが。


 自分だったら教師に報告して、さっさと帰るけどな、などと当時の俺は思っただろう。クラスメートから非難されても、だからどうした、と。

 ただ、アリサにとってはとてつもない大事であり、今後、クラスでうまくやっていくための障害になるだろう可能性もあった。


「だったら、俺がやったことにするといいよ」


 父親からことあるごとに女子には優しくしとけ、と言われていた。勝ち組というものが世の中に存在するとするなら学生時代に恋人がいたヤツらのことだ、とも。

 父親の含蓄がんちくのある言葉はともかくとして、このままアリサを放っておいて帰るのは気分が良くない気がした。

 この件がきっかけでアリサがイジメられでもしたら、さらに気分が悪い。


 まあ、それらの要因よりも、さっさと解決して帰りたい、というのが一番大きな理由だったろう。


「えっ」

 アリサが驚いて俺を凝視する。


「教科書、忘れて教室に戻ったら、君がケースの掃除をしていた。俺は君が止めるのも聞かずにネズミをケースから出して遊んでいた。そしたら逃げてしまった。しかも、窓が開いていた。ネズミは外へ逃げていき、俺は面倒だったからロクに探しもせず、先生に報告して帰ってしまった。そんなとこで、どうかな」


「で、でも、奥山君がみんなに」


「別にいいよ。気にしなくて。じゃあ、俺、先生に言ってくるから。君もちゃんと口裏合わせといて」

 言って、俺はアリサを残して教室を出た。


 待って、という声が聞こえた気がしたが止まらず。廊下に出てからはダッシュまでした。これ以上のロスタイムはなんとしても避けたかった。


 職員室で担任教師に事情を説明。

 彼は他人事のように、へえー、と相槌あいづちを打ち。

「逃げたんじゃあ、しょうがないな。気にしなくていいから帰りなさい」

 などとあっさり言ってのけた。


「はい、そうします。すみませんでした」


 これで万事、解決だ。

 クラスメートからの風当たりは強くなるかもしれないが、どうせあと1ヵ月ほどの付き合いだ。実にどうでもいい。


 予想通り翌日はクラスメートからの非難轟々(ごうごう)だった。

 俺は別段、殊勝しゅしょうな態度を取ったわけではなく、いつも通りだったと思う。

 杉田怜音すぎたれおんげんでは態度が悪かったそうだが特に意図したわけではない。

 アリサがどんな顔をしていたか覚えてはいないが、たぶん、真相を話したいが、その勇気がなく葛藤をしていたのだろう。


 以後、俺はクラスメートから相手にされなくなったが、もともと大して関わっていなかったので、それほど支障はなかったように思う。たった1ヵ月ほどの期間だったしな。

 アリサの言うお別れ会のようなものは覚えていないが、想像するに、担任が俺の転校を告げ、友情めいた話をして、教室がしんみりした、というところだろう。

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