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カミングアウト

 翌日。朝、自宅最寄り駅のホームでアリサと合流した。

 ちなみに杉田怜音すぎたれおんもホームにいてアリサと話していると目が合った。

 露骨にうらやましそうな顔になった。


「ねっ、手、握ってもいい?」


「別に構わないが」


 答えた直後に左手を握られた。

 早業はやわざだな。

 視界の端で杉田怜音すぎたれおんが顔をそむけるのが見えた。


 電車は2人分空いているスペースが無かったためにアリサと俺は離れて座った。

 生成AIの出題は難問だったが、なんとか解くことができた。

 やはり難問を解いた時の快感は得難いな。

 数学者が数学を研究するのは、それが役に立つからではない。そこに喜びを感じるからであり、そこに美があるからだ。

 アンリ・ポアンカレの言葉だ。


 学校では授業合間の休憩時間のたびにアリサからレインがきた。

 頭の中で授業内容を思い返す時間にしていたのだがな。

 まあ、アリサも忙しいのか一言二言だ。こちらも一言で返すだけだから、1、2分ですむ。気分転換にはちょうど良いか。


 普段と違う行動を行ったためだろう、ずいぶんと1日を長く感じた。もちろん、ただ感じただけのことで時間の流れはなに一つ変わらないが。


 やがて放課後。

 ホームルームが終わったらいつも以上に早く教室を出た。

 アリサを待たせるのも悪いしな。

 アリサとの交際関係の継続を望むことを決めたせいか、彼女に合わせた行動をとることに抵抗がなくなったようだ。

 足早に玄関へと向かう。


 下駄箱前の廊下で何人かの生徒が棒立ちしていることに不審ふしんを覚えていると、彼らの視線の先にアリサと例の小倉という2学年の男子が話しているのが見えた。


「ですから、私、好きな人がいて。というか、彼氏なんでけど」

 アリサの声が耳に入った。

 興奮のためだろう顔が紅潮していて、顔つきも柔和にゅうわさを欠いている。


「別にいいじゃん、遊びに行くくらいさ。付き合ってたって他のヤツと遊びに行くなんて普通じゃね?」


「私はそういうの嫌なんで。ていうか、誤解されたくないんです」


「なに、アリサの彼氏、そんなちっさい男なわけ? 彼女がちょっと遊びに行くだけでくとか、ヤバくね。ダサくね」


「はっ?」

 アリサの声が剣呑けんのんになった。相手を射殺すようににらみつける。

「トオルのことなんにも知らないクセに」


「いや、知らねえけどさ。想像くらいつくって。どうせ、格下のヤツで、主導権握って楽しんでるんだろ。だけどさ。やっぱ女は男に引っ張られて身を任せるくらいが幸せなんだぜ。俺、経験豊富だからさ。知ってるんだわ、そういうの」

 言って、小倉がアリサの肩に手を置こうとする。


 パンと音を鳴らして、その手をアリサがはたいた。


「おあいにく様。私、今、超幸せなんで。何年も引きづってた初恋がやっと実って、サイコーに幸せなんで。あんたみたいなつまんないヤツに絡まれてるの見られて、もし、誤解されたら、最悪だってこと分かんない? ていうか、女子がみんなあんたのこと好きになるとか思ってない? マジで痛すぎですけど、先輩」


 痛快すぎるアリサの啖呵たんか

 一瞬、呆気あっけにとられていた小倉。すぐになにを言われたか理解し、そして行動した。

 てめえ、と声を荒げ、アリサの胸倉をつかむ。アリサが目を閉じた。


 体が勝手に動いていた。本当だ。止めようとか、割って入ろうとか、意識したわけじゃない。

 気づくと俺はアリサの胸倉をつかむ小倉の手首を握っていた。


「なんだよ、てめえ」

 小倉が俺を睨む。

「1年か? ああっ?」


「学年がなにか関係があるのか? 年上の権威でも振りかざしたいのか? とりあえず、アリサを離してもらおう」


 ギュっと小倉の手首をつかむ手に力を込める。握力は日本の16歳男子の平均握力である36.5kgをはるかに下回るが俺だが、親指の先に力を入れ、刺激するポイントさえ確保すれば相手に苦痛を与えるくらいはできる。


 小倉が顔をしかめてアリサを離した。俺も小倉の手首を離すと2人の間に物理的に割って入る。


「関係ねえヤツは引っ込んでろよ」

 小倉がややひるんだ顔で手首を押さえて言った。


「関係なくはない。彼氏だからな」


「はあ? お前が」

 俺の顔をまじまじと見る。俺の後ろのアリサに視線を送り、それからニヤリといやらしい笑みを浮かべる。

「やっぱ、格下のダサいヤツじゃねえか。これだからまともに男と付き合ったことない女はさ。目が肥えてねえ、つうか」


「Shut it. Don't you dare talk about being a man when you’re the kind of coward who lays a hand on a woman. Haven’t you got any shame? I’ll say it one more time: she’s my girlfriend. You touch Alisa again, and I’ll rearrange that pretty face of yours so you won’t even recognise it. You got that?」


「あっ?」

 小倉がポカンと口を開け、アホ面になる。


「Can't you hear me properly then? What's the point of them ears, just decoration? Is that pretty little face all you've got going for you? Before you start messing with someone's girl, you might want to go and clean the wax out of your ears, yeah?」


「……なに言ってんだ、てめっ」


「Mind you, it’s not just your hearing that’s rubbish—your vocabulary is pathetic as well. I don’t know how you’ve got the nerve to act all big just ‘cause you’re a year older. I’m genuinely impressed by the sheer cheek of you, mate. If you want to deny it, go on then—say something back. I don’t care if you do it in Japanese, just try and give me a proper argument for once」 


 小倉が顔を引きつらせ、一歩、後ずさりする。


「What's the matter? Cat got your tongue? Or are you still trying to process those big words I just used? Honestly, you’re just a waste of space. Do yourself a favour—walk away before I lose my patience and do something we’ll both regret. Jog on, you mug」


 綺麗な英語とはとても言えないが。まあ、いいだろう。

 人間の習性として理解できないものに恐怖を感じる。

 英語でまくしたてられたら戦意が喪失するだろうと思ってやってみたが、効果はあったようだ。

 小倉がもう少し粗暴な人間だったら、怒りに身を任せて攻撃してきたかもしれないがな。


 言うだけ言うと俺は小倉をジッと見つめた。

 小倉はすぐに目を反らし、舌打ちすると、逃げるように立ち去っていった。


 ホッと胸を撫でおろす。

 ケンカにならなくて良かった。自慢ではないが殴り合いになったら一方的に叩きつぶされる自信がある。下手をしたらちょっと押されただけで倒れるかもしれない。


「帰るか」

 振り返り、言った。


 呆然と俺を見ていたアリスが、はっ、と気がつき、コクコクとうなずいた。


 2人して学校を出る。

 まあ、はっきり宣言してしまったしな。今更、隠すこともできないだろう。

 アリスには悪いことをしてしまったな。


「すまない」


「えっ、えっ、なにが」


「はっきりと俺が彼氏だと宣言してしまった」


「そ、そんなこと気にしてないわよ。ていうか、スッキリしたっていうか。わ、私は最初から隠すつもりなんてなかったし。トオルが変な文書作るから」


「そうなのか?」


 そういえば中学3年の時のあの俺に対する酷評は、アリスが俺を頻繁ひんぱんに見ていたことを指摘されたことを否定するためだったと言っていたな。


「そうよ。でも、これで変に人目を気にしなくてすむっていうか。一緒に登下校できるし?」


「そうか。そうなるのか」


「えっと、トオルが数学のなんかするっていうなら、私、隣で黙ってるから」


 ずいぶんと殊勝しゅしょうなことを言う。

 だが俺も隣のアリサを無視して没頭できるほど朴念仁ぼくねんじんではない。


「いや、恋人との時間も大切だからな。趣味の時間は一人の時に楽しむさ」

 アリサが足を止めたので振り返る。

 彼女は顔を両手でおおっている。

「どうした?」


「だ、だって、いきなり、不意打ち。今、顔、変なってるから」


「そうなのか?」


 アリサがようやく顔をあらわにし、俺をにらむ。ただ、取りつくろっているようにしか見えないが。


「ていうか、昨日から変わりすぎ。さっきだって、すごかったしさ」


「しっかりと自分と向き合ったからな。アルゴリズムが不確定だったことで生じていた揺らぎが無くなったせいだろう」


「わけわかんないところは相変わらずだけど」


「今のどこが分からなかったんだ? かなり明確な言葉を使ったつもりなんだが」


「もっと一般的な言葉で言ってよ。分かりやすく」


「そうだな。アリサと交際をしていくという方針をはっきり定めたことでブレることがなくなった、というところか」


「そ、そうなの? な、なんで? どうして決めたの?」


「アリサのことをよく考えている自分に気づいたからだ。数学に集中できないほどに」


「なっ」


 またアリサが足を止めた。

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