エウレカ
入浴後、集中力を欠いた状態でPCのモニターに向かう。
いつもならアリサが電話をしてくるが、今日はそれがない。
おかげで寝る前の自由時間を堪能できるはずなのだが。まるで数学の世界に入り込めない。
アリサが最後に見せた、今にも泣き出しそうな顔が何度となく脳内で再生され、そのたびに罪悪感が胸を刺す。
家に帰ってからも楽しみにしていた『ProfessorKAZU』の配信も上の空で眺めていた。
今も、JMOの公式ページを見ているのだが、まったく頭に入ってこない。
そもそも俺はなぜこんな状態になっているんだ。自問してみる。
アリサの顔が頻繁に思い浮かぶことから、自分の態度を後悔しているのは間違いないだろう。
人を傷つけて罪悪感を感じる程度には、まともな感性をしているということだが。
いや、罪悪感を感じるほどに親しさを感じていたと考えた方が自然だろう。
そもそも本当にただの罪悪感なのか?
どうも答えが出てこない。解を求めるには前提条件が足りないのだ。
心には理性が知らない理由がある、か。
結局、なにをしても集中できず、早々にベッドに入った。
謝った方がいいのだろうか?
しっかりとした理由があるのならば謝罪するのは恥ではない。
だが、そもそも、これは俺が望んだ状況じゃないのか?
アリサが俺に三行半をつきつけ、それをもって交際関係の終了となる。それで結構じゃないか。
アリサの顔が思い浮かぶ。楽しそうな笑顔。はにかみ笑い。キッと睨みつけてくる怒り顔。そして、あの泣きそうな顔。
ふと、その顔にオーバーラップするように小学生くらいの少女の顔が浮かんできた。それは、やはり今にも泣き出しそうな顔だ。
誰だったか……いや、いつだったか?
思い浮かぶということは見たことがあるのだろう。想像の産物で見覚えのない女の子の顔が現れるというのも考えにくい。
恐らく小学校高学年だろうが。いや、もう少し下か? 難しいところだ。だが、イギリスに行く前だろうから、小学校1から4年ということになる。3年か、4年だろうな。
記憶をたどっているうちに眠気が襲ってきて、そのまま睡眠への道程を進んでいった。
翌朝、ホームにアリサの姿はなかった。
胸中が波打つ。どうも良くないな。謝罪するにしろ、放置するにしろ、しっかりと意思決定をしておいた方が精神的に安定しそうだ。
ふと、近くに立っている他校の制服を着た男が昔馴染みだと気付いた。
小学校低学年から同じクラスだった……確か杉田怜音だ。4年でクラス替えになった時も同じクラスだったはず。親同士が仲が良かったらしく、母親が喜んでいた記憶がある。
俺の中で組み上がりかけている推論。解を得るためには最後の因子を確定させる必要がある。情報が必要だ。
「ちょっといいか、杉田怜音」
話しかける。
「お、おお、えーと、トオル、だよな」
戸惑い顔の杉田怜音。
前からホームで何度か顔を合わせてはいたが特に挨拶もしなかった。そんな間柄だ。
「そうだ。少し聞きたいことがある」
「な、なんだよ。なんか怖いな」
「怯える必要はない。こちら情報が欲しいだけだ」
「そ、そうか」
「小学校4年の時、同じクラスだったな」
「あ、ああ、1年から同じクラスだったぞ」
「知っている。4年の時にハツカネズミを飼っていたな」
「うん? あ、ああ、そういえばそうだったな。お前が逃がしちまったんだよな」
そこに電車が来た。
俺たちは隣り合って座る。杉田怜音は居心地が悪そうだったが気にしない。
「そうそう、思い出した。お前、逃がしたこと責められると、超態度悪く開き直ったんだよ。確率的にどうとか、とか、必然的結果だ、とか。それでクラスでハブられてさ。で、トオル、しばらくしたら転校してっただろ。後味悪くてさあ。女子も泣いたりなんかして」
「その泣いた女子の名前は?」
「そこ、突っ込むのかよ。泣いたのはアリサじゃないか。ていうかさ。お前、アリサと付き合ってんの? 最近一緒にいるけどさ」
「そんなところだ」
「マジかよっ。なに、どういう感じで付き合い始めたの?」
「『運命の赤い糸』が見えたらしい」
「あっ、ああ、うちの学校でも流行ってるわ。糸告」
その後、杉本怜音と少し話したが話題も早々につきる。彼の友人が乗り込んできたこともあり、杉本怜音は席を移っていった。
必要な因子は揃った。
アリサが当初、執拗なほどに小学校時代の話をしてきた理由。
俺に対して好意的であった理由。
それらの解は得た。
残る問題は一つ。俺がアリサとの交際の終結を望んでいるか否か。
目を閉じて、彼女との交際の始まりから一つ一つ思い出していく。
たった、1週間。だが、ずいぶんと長く感じる。もちろん時間知覚の問題だが。
こちらの因子はすでに出そろっている。
数学に没頭する時間が減るという明らかなマイナス。にも拘らず俺は今、数学ではなく、アリサに対して頭を使っている。そのことを鑑みるだけで解へと至るアルゴリズムは完成している。
あとは解を受け入れるだけでいい。
どうやらアリサは休んだようだ。
休憩時間に彼女の教室を訪れたが彼女の席に鞄はなかった。
やはり昨日のことが原因だろう。きちんと謝罪しようと考えていたのだが。
ショートメッセージを送った方がいいのか。あるいは電話の方が適切なのだろうか。
そんなことを考えていたら放課後になってしまった。
帰路。ともかくショートメッセージで様子を聞くことを決断する。
我ながら、たったこれだけの行動をとることにずいぶん時間をかけたものだと思う。
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大丈夫か?
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簡素だろうか。
もう少し言葉を連ねた方がいいのか。
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学校を休んだようだが
大丈夫か?
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なにか白々しさを感じるな。短文は難しい。
やはり電話の方がいいのだろうか。
文面を検討した結果、最初に考案した、大丈夫か? に落ち着いた。
自宅最寄り駅についたところで、それを送信する。
すぐに返信が返ってきた。
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うん
熱下がった
明日は行けそうだよ
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なんだ
体調不良だったのか
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急にバーって熱が出ることがあるんだよね
トオルにイジメられたからかもね
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すまなかった
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???
トオルなの?
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なぜ疑う
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だって素直に謝るし
らしくないっていうか
スマホ別人に乗っ取られたかと思った
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俺を何だと思っている
自分に非があれば謝罪はする
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うん
トオルはそういうとこしっかりしてるよね
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そんなやり取りをしている間に自宅についた。
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ゴメン
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なぜ謝る
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昨日のことじゃなくて
去年のこと
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ますます謎だな
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トオルが言ったんじゃん
ていうかバッチリ覚えてるとか
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すぐに中3の時に教室の前で聞いたアリサの俺に対する酷評のことだと思い至った。俺が昨日、ほじくり返したんだったな。
別に一字一句覚えていたわけではないが。
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なんか
トオルのことよく見てること言われて
気になってる?
とか冷やかされて
あのあとメチャクチャ後悔したから
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気にするな
1週間前まで忘れていた
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言っとくけど
こっちはずっと引きずってたからね
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ほう
そうなのか
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やっと謝れて
スッキリした
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謝罪をするはずが、逆に俺が謝罪を受ける羽目になった。
俺は自室でPCの前に座り、次のメッセージを考える。
おっと、PCの起動はしておくか。
アリサとの交際継続を望む意志を確認したからといって数学を断つ必要はないからな。
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ねっ
なんかあった?
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なぜだ?
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なんか優しいじゃん
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エウレカ
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なにそれ
どういう意味?
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分かったという意味だ
アルキメデスが金の王冠の純度を測る方法を発見した際に叫んだそうだ
発見の喜びを表現する言葉だな
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???
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気にするな
自分に思うところがあっただけだ
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まあいいけど
今、家なの?
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ああ
今は自室だ
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じゃあ
電話していい?
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それは夜の電話を繰り上げるということか?
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夜は夜で電話するわよ
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そうか
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すぐにアリサから電話がかかってきた。
他愛のないやりとりを10分ほど続け。
「ゴメン、おばあちゃんに呼ばれたから切るね」
「分かった」
「トオル」
「なんだ?」
「ううん。呼んでみただけ。じゃあ、夜にまたかけるから」
言ってアリスが電話を切った。
どうも、こそばゆいな。照れ臭いような、気恥ずかしいような。
まあ、嬉しいんだろうな。
さて、『ProfessorKAZU』の配信を観るか。




