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交際7日目

 朝、自宅最寄り駅のホーム。アリサは俺に気付くと気まずそうな顔をした。すぐに引きつった笑顔を作る。


「おはよう」


「おはよう。昨日はすまなかったな」


 俺が言うと、アリサの顔がパッと明るくなった。


「ううん。それはいいんだけど」

 それから、うかがうような上目遣うわめづかいになる。

「体調はどう? 喉とか痛くない?」


「大丈夫だ」


「そう。来週、テストなんだし、マジで無理しないでね」


「ああ。そうするよ」


 そんなやりとりの後、電車が来た。

 車内では一人分ずつしか席が空いておらず、俺とアリサは反対座席に向かい合うように座った。

 俺はさっそくスマホを出していつものルーチンワーク。生成AIに問題を作ってもらい、それを解く。

 今朝はずいぶん簡単な問題が作成された。俺はルールとして出題のリテイクは行わない。出された問題は難易度が高かろうが、低かろうが解く。だから面白いんだ。


 早々に解き終わってしまった。難易度が低いと解へと至った際に得られる快感もまた少ない。

 ふと、視線に気づき顔を上げると、アリサが膝の上に両肘をのせ頬杖をつき、俺を見ていた。ニコニコと嬉しそうな顔で。目が合うと、小さく手を振る。


 顔が熱くなった。なんだ、なにを照れている?

 

 次だ。次の問題を出題するんだ。チャッピー。





 

「ねっ、聞いた? 小倉先輩、C組の古野見さんと付き合い始めたんだって」


 近くの席で女子たちが話していたのだが、古野見という名前に注意が引かれた。C組の古野見といえばアリサのことに他ならない。

 付き合い始めた? 誰と?


「えっ、マジで? ちょっとショックかも」


「あんた小倉先輩、推してたもんね」


「だって、カッコいいじゃん」


「イケメンだけどさあ」


「でも、2人、ビジュアル良すぎるからお似合いかあ」


「ねっ。陽キャだしさ。青春って感じ? 下々には縁のない話よ」


「いや、私、彼氏いるし」


 以降、アリサの話題は出てこなかった。

 付き合い始めた? それはわかる。アリサが友人に彼氏ができた、というような話をしたのかもしれない。しかし、相手は小倉先輩か。それが誰だかもちろん俺には分からないが。1年女子の口のに上る程度には有名らしい。


 またしても奇妙な苛立いらだちが起こる。それに今すぐにアリサに問いただしたいという欲求。

 俺は自分のそうした感情の乱れを無視することにした。

 感情の乱れは時間が経てば整う。


 だが、授業中、思考の間隙かんげきを縫うようにアリサがイケメン男子と楽し気に話す姿が鮮明な映像として頭に浮かんだ。

 確かに今まで何度か目にしたことがある。駅のホームだとか、階段だとか、玄関前だとか、でだ。

 アリサは知り合いが多いが特にその男子とは親しいように見えた。

 ああ、こいつがくだんの小倉先輩かもしれんな。

 

 またしても感情が乱れる。

 どうもやっかいだな。時間的コストだけでなく精神的コストまでかかるとは。やはり、早々に交際関係を終結させるべきなのではないだろか。

 理屈では分かっているのだが、その解を求めるためのアルゴリズムを思い浮かべられない。


 結局、それ以降も何度となくアリサとその先輩とのツーショット映像が頭に現れて感情を乱された。


 やがて放課後。

 いつものように同校の生徒に交じり、一人、駅へと向かう。

 うちのクラスのホームルームは他のクラスよりも時間が長い。秋元教諭が几帳面な性格で細々と連絡事項を告げるせいだ。おかげで部活動をやっていない家路一直線の生徒の混雑は避けられるが、大したなぐさめにはならないな。

 駅に到着。

 

 ホームにはアリサの姿はない。珍しいな。付き合い始めてから毎日、同じ電車に乗っていたのに。


 いや、そもそも……。

 今まで特に気にしていなかったが。

 俺がクラスメートに数学を教えていて出遅れた時もアリサはホームにいた。普通に考えればアリサが俺に合わせていたということだろう。

 なにか落ち着かない気持ちになった。気恥ずかしいような。照れ臭いような。こそばゆいというか。


 電車がやってきた。ホームにいた人間が吸い込まれていく。

 俺はその流れから身を引いた。ドアが閉まり、発車する。

 まあ俺もアリサを待つのが公平だろうからな。

 アリサに噂について聞きたいという欲求もある。


 電車を見送ってから5分と経たずにアリサはやってきた。

 急ぎ足でホームへの階段を下りてくる。

 その、隣にはべる男子生徒。茶髪のいかにも女性受けしそうなイケメンだ。

 よくアリサと一緒にいるところを見かけ、恐らくは噂の小倉先輩だろうと俺が目星をつけている男。


 アリサが俺を見つけて嬉しそうに顔をほころばせる。

 だが、その顔はすぐに隣の男の方に向いた。楽し気な様子が伝わってくる。

 なるほど確かに似合っているな。客観的に見て絵になる光景だ。

 美男美女、陽キャ同士、か。


 次の電車まで時間があった。俺はベンチに座るとスマホで生成AIにアクセス。例によって数学の問題を作らせて、それを解く。


「ほら、まだ時間あるし、座ろうぜ」


「えっ、私はいいです。先輩、座ってたらいいじゃないですか」


「男だけ座ってたらカッコ悪いじゃん」


「そんなことないですってば」


「それとも俺の隣に座るの、ヤダ?」


「いえ、そんなことないですけど」


 そんな会話が耳に入ってきた。いつの間にか近くに来ていたみたいだ。

 意識を頭の中に描いた数式に戻そうとするが、どうも集中しきれない。


「ほら、座ろうぜ」


「あっ、ちょっと」


 顔を上げると、3メートルほど離れたベンチにアリサが座るのが目に入った。隣に座っている男がアリサの腕をつかんでいる。

 彼女は向こう側を向いているので、どんな顔をしているのかはわからない。

 

「マジで困りますって」


「なんで?」


「わ、私、彼氏いるんで」


「俺と付き合ってるって噂になってるぜ」


「はっ? なにそれ」


「それよりさ……」


 男が話題を変える。やがてアリサの笑い声が聞こえてきた。

 

 結局、次の電車が来るまでに俺はかろうじて問題を1問解くだけにとどまった。簡単な問題だったんだがな。


 例によって、しばらく経ってからアリサが車両を移ってきた。


「ヒョットして待っててくれてた?」

 隣に座ったアリサが開口一番、言った。


「……いや。際どい所で一本逃した」


「そっか」


 まただ。また感情が乱れている。

 原因はあの小倉という男のことで間違いがないだろうが。


「教室出るの遅くなってさ。今日は一緒に帰れないかと思ったわよ。ダッシュしちゃった」


「小倉先輩も一緒に走ってきたのか?」

 そんな言葉が口をつく。声が少し低くなったようだ。


「えっ、あ、うん、走ってたら、途中で会ってさ。そのままついてきて」

 言った後、アリサが俺の顔を覗き込む。


「なんか怒ってる?」


「別に怒ってはいないが」


 うん。怒っているわけじゃない。確かに感情は乱れているようだが、怒ってはいないぞ。


「あっ、ヒョットして、噂、聞いたとか?」


「小倉先輩と恋人関係にあるという噂か?」


「それっ。なんでトオルの耳にまで入ってるのよ」


「近く席の女子たちが話していたからな」


「たぶん、サキとユウナに彼氏できたって話したから、それで誤解したのかも」


「それにしては伝播でんぱが速いな」


「だから、たぶんユウナが誤解して。ほら、ユウナ、小倉先輩、狙ってるし。小倉先輩って、ある意味有名人だから」


「誤解したということは、それだけ親し気に見えたんだろう。現につい先ほども楽しそうにしていたしな」


 口調がどんどんと攻撃的になっている。感情で言葉をつむぐなんて俺らしくないぞ。


「だから勝手に寄ってくるの。先輩だし、人気あるし、塩対応とかムリじゃん」


「女子たちはお似合いだと言っていたぞ」

 脳裏にアリサと小倉先輩が話す光景がよみがえる。

 感情が大きく揺れた。その波に押されるように言葉が飛び出す。

「俺のようなボッチで数学オタクの陰キャよりもよほどお似合いだ」


「はっ?」

 アリサが剣呑けんのんな声を出す。

「それ、どういう意味よ」


 俺は無視してスマホに視線を落とす。

 我ながら子供っぽい態度だとあきれるのだが、どうもコントロールが効かない。


「ちょっと、話は終わってないわよ」


 コホン、とその直後、隣の席の男性が咳払い。


「私が付き合ってるのはトオルじゃない」

 アリサが声のトーンを落として言った。


 それも無視すると無言となり、気づまりするような沈黙が訪れる。

 隣の男性も気まずそうだ。

 

 俺はスマホを見ているものの、まったく文字が頭に入ってこない。

 ほどなくして自宅最寄り駅の丘ノ下南駅に到着する。


 さっさと降りて足早に改札を抜ける。

 グッと腕がつかまれた。

 振り返るとアリサが俺を睨んでいた。

 

「待ちなさいよ。話、ちゃんとして」


「話すことなどないと思うが」

 むしろ、今は黙っていたい。またしても余計なことを言ってしまいそうだ。


「ホントに、小倉先輩とはなんでもないから。ていうか、ぜんぜん興味ないし」


「別にどうでもいいことだ」


「はあ? どうでもいいって態度じゃないじゃん」


 確かにもっともだ。答えの出た数式くらい明快だな、俺の態度は。

 などと、頭の片隅では思っているのだが。出てくる言葉はまた違ったものになる。


「俺とか超陰キャじゃん。ていうか、数学オタク? ムリムリ、付き合うとか絶対ムリ」

 中3の時に聞いてしまった言葉をそのまま言ってみる。

「と、いうことらしいからな。お互い、無理をする必要はないと思うが。『運命の赤い糸』などという与太話よたばなしに振り回される必要はない」


 アリサの手が俺の腕から離れた。


 うつむき、つぶやく。

「あんたは無理してるの?」


「ああ」


 アリサと交際関係になり、ずいぶんとペースが乱されているのは確かだ。数学にかける時間も削られている。

 

 アリサが顔を上げた。口を開きかけて、キュッとその口を結び。

 そのまま俺の脇を走り抜けて、行ってしまった。


 俺は立ちつくしたまま遠ざかるアリサの背中をながめていた。

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