滅亡図書館 分類ファイル:栄養学
地下書庫の最奥でカラシと机を並べて、俺は情報端末に翻訳データを打ち込んでいた。
「休憩です、館長」
カラシが軽く椅子を引いて立ち上がった。⋯わざと聞こえないフリをする。
「休憩です」
突然距離を詰められ、耳元で声を出された。
「お、おう⋯」
笑顔をたたえたカラシが、俺を見下ろしていた。⋯カラシは笑顔の時が一番怖い。
屋上での一件の後、カラシに館長室に踏み込まれ、冷蔵庫の中身をチェックされた。
「これ、酒ですか」
「えぇと⋯」
「カルヴァドス⋯リンゴの蒸留酒ですか」
「⋯⋯⋯おぅ」
「なんですかこのエネルギーバーの量は」
「⋯⋯一月分だし⋯⋯完全栄養食だし⋯⋯」
「まさか、よもや、これ食べてれば健康とか思ってます?」
「⋯⋯⋯えぇと」
「最後に野菜摂ったの、いつです?」
「⋯⋯えぇ⋯⋯」
カラシが段々笑顔になっていくのを、なすすべもなく見守っていた、俺だ。カラシは徐に冷蔵庫を閉めると、満面の笑みで俺に向き直った。
「はい⋯一つ、謎が解けましたね」
「⋯⋯⋯何のでしょうか」
つい敬語になってしまった。
「ははは⋯若年館長の、早死の理由ですよ。館長室に住み着くような歴代館長の食生活も大方、クロエ館長と似たり寄ったりだったんでしょう?」
———ぐうの音も出ない。
「⋯⋯繁忙期になると料理はおろか食事の時間もろくに取れなくてな⋯⋯」
「くっくっく⋯取れないコトあります?」
「⋯⋯すみませんでした」
何で部下が俺のプライベートに踏み込んでくるのか意味が分からないが、謝るしかなかった。
そんな事があって以来、カラシが何かにつけ俺の食生活に横槍を入れてくるようになった。何度か歯向かおうとしたが『あーあ、まだ死にたくないなぁ⋯』と呟かれると、ぐうの音も出ない。渋々机の上を片付けていると、コトリ、と白いカップが置かれた。⋯黄色い液体が、なみなみと注がれている。
「⋯⋯なにこれ」
「カボチャのポタージュです」
「これ飲んだら仕事に戻っていいか」
カボチャはあまり好きではないんだが⋯一口啜ってみる。
「⋯⋯え!?うま!!」
「それはよかった」
「旨いけどなんだこれ!!」
カボチャが入っているのは確かだが、色々な味がする。よく見るとオレンジ色の粒が浮いてるし、なんなら肉っぽい風味まである。
「⋯何を入れた?」
カラシはにこりと微笑むと、トレーを机の脇に置いて椅子に戻った。
「完全食、お好きです?」
そう言って俺をじっと見つめる。
「え⋯いや好き嫌いじゃなくてさ、飯の時間短縮になるし」
「お好きです?」
「⋯⋯⋯はい」
「それはよかった」
またにこりと笑うと、カラシは端末を開いて傍らに本を積み、仕事を始めた。
「カラシ?ちょっと待って?」
「なんです?」
「何が入ってんのこれ?」
「カボチャも、入ってます」
「カボチャ『も』!?」
「そういう意味では『カボチャもポタージュ』ということに⋯ふふふ⋯」
いやふざけんなよ、なに笑ってんだ。
「⋯⋯どうしました?完全食、お好きでしょう?」
「いやまぁ!完全食にはいつもお世話になっているけども!俺は何を飲まされてるんだ!?」
「館長はエネルギーバーの原料を全部把握しているんです?」
答えに詰まっていると、カラシは椅子ごと俺に向き直り、指を立てた。
「質問に全て答えましょう」
「最初からそうしろよ」
「ただし、YES・NOで回答出来る質問のみです」
―――なんかゲームが始まった。
「⋯⋯このオレンジ色のツブツブしたやつは、人参?」
「YES」
「調味料は⋯コンソメとか塩以外にも入ってる?」
「YES」
「⋯⋯肉、とかも入ってる」
「YES」
「⋯⋯魚」
「YES」
「⋯⋯⋯ネギ類」
「YES」
「トマト」
「YES」
「卵」
「YES」
「牛乳」
「YES」
「豆」
「YES」
「⋯⋯ほうれん草」
「まぁ⋯YESですね、色が付かない程度に」
「逆に入ってないものは何だ!?」
「その質問は却下、です」
くっそう面倒臭い!
「⋯⋯食材以外の物は、入ってる?」
「NO」
毒は入っていないようだ。
「⋯⋯パクチー」
「NO」
「やっと見つけた⋯」
「パクチーは食べ物認定してません」
「何故」
「質問はあと3つ!」
「もういいよ面倒くさい」
最初から食えないものが入ってないか聞けばよかった。
「―――完全栄養食ってさ、なんか贅沢な話だよな」
「そうなんでしょうね、多分」
カラシが遠い目で吹き抜けの天窓を見上げた。⋯この星に移民する前、母星では少ない食料や物資を奪い合い、絶え間ない『淘汰』を繰り返していた。それは戦争であり、略奪であり、間引きであり⋯⋯。
「食えるものを食い漁るのが精一杯で、栄養がどうだとか贅沢な事を言う余地はなかった⋯らしいな」
俺も知識としてあるだけの話だ。今や先人達が残した、美味しく品種改良された野菜やら家畜やらが食い切れない程に大地を満たす飽食の新世界。⋯文明が滅びて変容はしているようだが。
「先人達は一日に必要な栄養量を年齢や性別ごとに算出して⋯一つ一つの食材に含まれる栄養素も栄養量も算出して必要栄養量を満たす献立を拵えていたそうです⋯全ての食材ですよ?すごくないです?」
そう言ってカラシは「日本食品成分表」と記された青い本を開いて見せた。⋯野菜の名称⋯の下に、『生』『ゆで』『冷凍』『冷凍、ゆで』『冷凍、油炒め』『缶詰』と、状態が細分化されて、夫々の栄養素らしきものがびっしりと記入されている⋯全ての野菜に対してだ。寒気がした。
「すっげぇ⋯栄養への執念を感じるな」
「先人達の慣用句に『健康のためなら死んでもいい』というのがあったらしいです」
「相変わらず、ちょいちょい狂ってんな先人は」
何ページにも亘って狂った食品成分表が連なっている。⋯これまじで、全食材が網羅されているんだろうか。
「これを頭に叩き込んで、献立考えて毎日調理って⋯考えただけで気が狂いそうだな」
「日々の調理は⋯結婚制度における妻、つまりその家庭の女性が担当していたようです」
「まじで」
この狂気の作業を一般家庭で?
「その作業の煩雑さに、専業で家事を行う女性がいた⋯これは結婚制度がなせる業です。でもこの作業プラス外部での仕事もこなしている女性も存在したとか」
「えぇ⋯一部だろそんな超人」
「半数程度⋯というかそっちの方が多数だったようです」
「先人は化け物か」
「とはいえリソースには限界があったでしょうから⋯外注という選択肢も、もちろんあったでしょう」
「そりゃそうか⋯」
「冷凍食品、レトルト食品などの外部リソースを用いていた女性と、専業で調理をしていた女性の間に確執があったらしいです。丁寧に生活する自分たち偉い、家事しつつ仕事もこなす自分たち偉い、みたいな」
「君⋯意外とそういうドロドロした話好きだな」
「⋯っいや、別に。偶々目に付いただけです」
少しムキになるカラシかわいい。
「今回、食品成分表を用いて完全栄養食を作ってみて、分かったことが幾つかあります⋯」
分厚い成分表を机に置いて、カラシが小さく咳払いした。
「一度レシピが完成すると、二度と忘れたくない。そのレシピを絶対に保存する⋯毎食、一から栄養を計算するのは現実的じゃありません」
「一食で全栄養を賄おうとするからだろ」
「レシピ本と呼ばれる書物がやたら多かったのは、そういう意味合いもあったのでしょう。このレシピの通りに作れば、栄養面も味も担保される⋯」
「栄養素を一から計算する手間は省けるわけか」
そもそも本当に一般家庭でこんな煩雑な計算していたんだろうか。
「それともう一つ。⋯先人と私たちの必須栄養素、栄養量に、少し⋯いや、だいぶ相違があります」
そう言って困惑したように首をかしげた。
「ビタミンとかミネラルに大きな違いはないんです。問題は必要なカロリー量。彼らの方がだいぶ高い」
「燃費が悪かったのか」
「いえ⋯なんと言うか⋯私達は常に微量のセシウムやプルトニウムを摂取するでしょう」
「最近は減っているからな⋯体調が悪い時はサプリメントに頼るが」
「彼らの必須栄養素には、それらに該当しそうな記述がないんです」
「へぇ⋯⋯」
正直これらの栄養素は無くても困りはしないが⋯俺たちにはそれらから出る放射線を体内でエネルギーに変換する機構がある。食事に代わる程の量ではないが、一応エネルギー摂取の一助にはなっているようで、エナドリには必ず入っている。実際、気休め程度ではあるが飲めば疲れが少しだけマシになる。飲みすぎると内臓への負担が大きいので、俺なら一日エナドリ二本が限度だ。
「エネルギー変換出来る機構がないから、俺たちより必要なカロリーが多いのか。⋯逆にそれくらいの違いか」
「ですね。だから炭水化物はだいぶ減らしました。既存のレシピはエネルギー過多なので、計算し直しが必要なんですよねぇ⋯」
「⋯⋯いやいいよ。多分先人もそこまで精密に栄養素の計算してねぇだろ」
少しぬるくなったスープに口を付けようとした瞬間。
「カラシぃぃぃぃ!!見つけたしぃぃぃ!!」
8階の手すりを飛び越えて、ツインテールの悪魔が飛び降りた。
「げ⋯クランド先輩」
「五点着地いぃぃ!!」
ダム、と鈍い音を立ててクランドが横倒しに着地した。⋯最後にツインテールがぱふ、と床を叩いた。
「⋯⋯六点着地」
カラシは毎回言う。この着地ならダメージを分散出来るという理論は何万回も聞いたものの、未だに見るだけで心臓がバクバクする。
「クランド、いい加減その⋯墜落みたいな登場、やめてくれないか」
「だーかーら、五点着地はね?」
「完全に安全な落ち方なんかあってたまるか」
頼むから俺の在任中に死んでくれるなよ。
「それよりカラシ!私、怒ってるんだけど!?」
また怒っている。カラシは何かを察したように少し首を傾げた。
「あぁ⋯そうでした」
「そうでした、じゃないよ!あの泥みたいな激マズスープを3日間も試食してあげたのに!完成版を最初に献上するのは私って言ったよね!?」
言うなり俺のカップをひったくり、残りのスープを全部飲み干してしまった。
「あっ⋯」
「ご馳走様っ!」
相変わらず読めない表情でカラシは空のカップを受け取った。クランドが、ぱっと会心の笑みを浮かべた。
「美味しくなったじゃん!じゃ、約束通り、組手時間延長だから!」
「⋯⋯はぁ」
「また合気道やってるのか?もう戦闘員登録は済んだんだろ」
「日々これ研鑽!登録が終わるまでの義務なんて思ったら大間違いです!これだからペーパー戦闘員は⋯」
部下にディスられた。
「話がひと段落するのを待ってたんだけど、なんか終わらないから乱入しちゃいましたよー。何を熱心に話してたんですか?」
そう言ってクランドが、ずいと俺を覗き込んできた。⋯毎回思うのだが、クランドは距離が近い。
「⋯先人は栄養素に対する拘りが強かったって話です」
カラシが慌ただしく答えて、空になったカップをトレーに戻した。
「ふぅん⋯またそうやって先人の話ばっかり!」
光の速度で興味を失って、ツインテールをぷい、と振った。
「ばっかりって⋯先輩だって先人の翻訳を生業にしといて」
「これは仕事!⋯君とプライベートの話をする時はさ、もっと違う話をしたいよ。駅前のカフェの新作スイーツとかさ、気になる子の話とか」
「⋯そうなんです?」
「そうなんですっ!!たまには女子会にも顔を出すように!⋯そうじゃなくても地下勤務は女の子少ないんだから。次の女子会、来るっしょ?」
「⋯はい」
そう答えてカラシはにこり、と笑った。
「―――あいつはいつも唐突だ」
8階から飛び降り乱入して上司のスープ飲んで帰っていった。
俺たちは一体、何をされたんだ⋯。
「まぁ、私が悪いんですけど⋯」
完全栄養食スープとやらを作るための実験台にしたらしい。自分の先輩を。なんだこの職場は。地位が上がれば上がる程、立場が弱くなっていくのか。
「俺は君の野望の為に無理やり延命されるしなぁ⋯」
言ってて悲しくなってきた。俺はどうせ野望の踏み台。
「⋯⋯先人の、話をするでしょう?」
ぽつり、と呟くように話し始めた。
「いつまでも話してられるんです。仕事、とかじゃなくて」
「あぁ⋯そうだな」
先人がどんな文明を築いてきたか、何を思って生きてきたのか、そして何があって滅んだのか。話し合いたいことは尽きない。⋯少なくとも俺は。
幼い頃からそうだった。興味は尽きず、子供だった俺は空気を読まず周りの大人に先人に関する疑問をぶつけた。げんなりした大人たちは次第に答えてくれなくなり⋯俺は文字を覚えた。大学に入っても状況は変わらなかった。
ずっと話を聞いてくれるのは、君だけだ。
だからいいんだ、踏み台でも。
「興味が尽きないんです。だからずっと語ってられる⋯」
でもそれ、ダメなんですよね。そう言ってカラシは力なく笑った。
「周りを疲れさせます。だいぶ幼い頃に、それに気づいてしまった」
「⋯⋯⋯まじで?」
俺は気付くのに10年くらいかかったというのに。
「だから駅前のカフェとか、最近流行りの服とか⋯スポーツも旅行も網羅します。付け入る隙がないように。館長のように、ノーガードではいられなかった」
「⋯ん?ディスられてる?」
「だから大事なんです。好きな事をずっと語れる時間が」
⋯⋯二の句を継げなかった。
「クランド先輩はいい人です。私が孤立しないように気配りしてくれている。『仕事』として話してくれる先人の格闘技の話も興味深い。ただ、うん⋯」
自分と同じではない。⋯声に出さなかったが、分かった。
彼女は俺と同じだ。
俺より巧妙に、賢く立ち回れた。それだけだ。
否、立ち回らざるをえなかった。が正しいのか。
「⋯⋯私はこの最奥が好きです。でも一人でここに納まっていたい、とかじゃない。悟ったような顔で『もう確定』とか言うの、やめません?」
―――勝手に居なくならないで下さいよ。
顔を上げた時には、カラシの姿はエレベーターホールに消えていた。
「⋯⋯⋯無茶振りばかりだ、俺の周りは」
さて、どうしたものか。
そんな風に考えたのは、何年ぶりだろう。
あの言葉が俺をギリギリまで生かすための方便でもいい。
俺はただ、絶対に彼女を死なせない。それだけだ。
本日の調査を、終了する。




