表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/24

滅亡図書館:副館長 山田の業務日報 その5

第3会議室の扉が、軽くノックされた。

「入ってください」

声をかけ、カラシと目を合わせる。歌麿主任が、人の良さそうな笑顔を浮かべて扉の影から顔を出した。

「失礼、します⋯おや、カラシさん。またお会いしましたね」

「その節は、お世話になりました。お話途中で退出してしまって⋯」

カラシも微笑を浮かべた。⋯目は笑っていない、ような。人見知りをしているのだろうか。

「忙しいのに御足労頂いて有難うございます。⋯座ってください」

向かいの椅子を示すと、彼は軽く会釈して優雅に椅子を引き、腰をかけた。⋯狸め。

「それで、どのような用件でしょうか?」

いかんいかん。彼は『協力者』となりうる人物なのだ。私は居住まいを正し、得意の営業スマイルを浮かべた。

「『年若い館長』に関する、不穏な噂については?」

彼は苦笑を浮かべたまま目を伏せた。

「⋯⋯どうでしょうね?」

何が『どうでしょうね』だ。知っているぞと暗に白状したようなものだ。

「⋯⋯⋯一旦知っている前提で、相談をさせていただきます。内容が分からなくなったらご質問下さい」

「ふふ⋯ご心配なさらなくても、私の口の硬さは折り紙つきですのに」



だろうな、この狸め。



一見、人の良さそうなこの男は生温い微笑で、半数近くの男性職員の弱みを握っている。

この男の優しげな雰囲気に騙され、『性風俗・歴史』書棚のお世話になってしまうのだ。貸出履歴を弄っても無駄。彼は利用者の性的嗜好を記憶、そして自分だけが把握しているその情報を、さりげなく会話の端々に織り交ぜて仄めかす⋯そうなると『何となく』彼に強く出られない職員が増えていく。私は職場でエロ本を漁るのはどうにも抵抗があり、難を逃れたが⋯。


彼は誰にも知られる事なく、滅亡図書館のフィクサーとして君臨している⋯と私はみなしている。


「どうしたんです?」

傍らのカラシに肩を揺すられ、はっと我に返った。

「あ、あぁ⋯失礼。少し考えを纏めていました。⋯不健康になりがちな館長の生活面を管理してくれる人が、必要という意見が職員から上がっております」

「ほう?」

歌麿がパッと目を見開いた。

「館長にお嫁さんをあてがいたいと?」

「そ、そこまで言ってません!」

カラシが大きな声を出した。

「⋯カラシ」

「は⋯すみません。えぇと⋯『あの噂』の真相は正直、何も分からないです⋯よね」

「うん、うん。確率の問題⋯という可能性だって、まだ捨てきれませんよねぇ」

何を呑気なことを⋯腹が立ってきた。カラシには『私が話します。後ろで睨みをきかせていてください』と頼まれているから、私はこのまどろっこしいやりとりを見ていることしか出来ない。

「可能性⋯ですね。ただ20人以上の年若い館長がほぼ例外なく⋯という現状は、看過できません」

「うん、うん」

「⋯⋯原因は正直、知りようがない。というか私に分かるくらいなら誰かが対策を講じていると思います」

「うん、うん。そうですよね」

―――本当に腹立つな、こいつ。クロエ先輩が明日をも知れない、という話をしているというのにニタニタと。

「現在調査中ですが、原因が分からないから何もしないという訳にもいかない。だから今は、食生活や運動量、睡眠時間の管理等、一般的なアプローチから始めようと副館長に相談して『助手』という立場で館長を補佐し、ひとまず食事面に介入しています。しかし⋯」

滔々と話していたカラシが、不意に黙り込んでしまった。⋯歌麿主任が、身を乗り出して俯いたカラシを覗き込んだ。

「ん?どうしました?」



「⋯⋯自覚、しています。私は空回りをしている」



ぽつり、と呟いて、カラシが再び顔を上げた。

「私は、館長の意思を無視して⋯命を長らえる為だけに周りを振り回しています」

「わぉ、言い切りましたね」

机の下で拳を握りしめて耐えた。⋯私はこの男が苦手だ。⋯嫌いと言い切ってもいいかもしれない。

「館長は迷惑に感じているかと。このまま無理強いを続ければ、私の行動がストレスになって逆に命を削ってしまうかもしれない」

「ほう、好みの女の子なら嫌がられずにお世話されてくれるかもしれない、と?」

頭の中心が沸沸と煮え滾る、久しぶりの感覚に支配された。⋯駄目だ。私はこの男が生理的に無理だ。これ以上同席し続けたら殴ってしまいそうだ。⋯カラシは少しの間目を閉じて、やがて細く、息を吐いて目を開いた。

「そこまで短絡的な手段は考えられません。⋯第一、傲慢じゃないです?そんなの」

「ははははは!本当に!⋯若い娘さんがすることじゃないですよねぇ、女衒の真似事なんて」

さも愉快そうに高笑いをして、歌麿主任は顔の前で指を組んだ。

「―――女衒の真似事じゃないなら、私に何の相談ですか?」

カラシは居住まいを正すように背筋を伸ばし、歌麿主任と視線を合わせた。



「館長の『好きなシチュエーション』を教えてください」



「は?」

「は?」

思わずこの男とシンクロしてしまった。

「いや、カラシ⋯そんなもん知ってどうする?ナースのイタズラ診療が好きだったらナースのコスプレで食事を運ぶのか?」

「カラシさん、ものは相談ですが⋯私も、白飯持って同席しても?」

心底に封じ込めた殺気を少ーしだけ滲ませて睨むと、歌麿主任は少しだけ苦笑して目を逸らした。⋯⋯狸め。

「ありえません。あの人はとても人見知りですから。私が属性を大胆にチェンジして現れたら多分距離を置かれます」

「へぇ⋯あの子、そんなに重症なの?」

―――あの子か。そういや12歳の頃にはクロエ先輩は既にインターンとしてここで働いていた。子供にしか見えまい。私ですら、あの頃のクロエ先輩が重なって見える事がある。⋯カラシはそっと顔を伏せた。

「いつだったか⋯所用で余所行きの服を着たら『⋯そんな服、持ってたんだな』と、少し間合いを取られました」

服見知りって⋯なんというヘタレ館長。

「じゃ、どう利用するのかな。シチュエーションを」

人の良さそうな笑みの裏側に、ちらりと邪悪⋯いや、陰湿なものが混じった。知ってか知らずか、カラシは意を決したように再び顔を上げた。

「―――例えば『ツンデレクラスメイト』というシチュエーションを好む場合」

そう言って、俺をスっと指さした。

「副館長が館長を羽交い締めにして無理矢理、漏斗で完全食スープを流し込みます」

何故私が!?ツンデレ何処に消えた!?

「疲弊しきった館長の元に、私が思案げにコーヒーを携えて現れて『べ、別に心配して、とかじゃないですから』と呟き、コーヒーを置いて足早に去るんです」

「それを繰り返すことで副館長の暴力給餌がむしろ楽しみになると!あはははは!」

「私が食事の度に館長デスクを襲撃するのか!?」

「フォアグラ作れちゃいそうだねぇ!あはははは!」

クロエ先輩がツンデレ好みじゃないことを切に願う。

「吹雪の山小屋とか体育倉庫に閉じ込められて二人きりというシチュエーションを好む場合」

まだあるのか!?

「副館長が鬼の形相で鉈をふりかざして館長を追い回す⋯」

また私か!?体育倉庫は何処に消えた!?

「死に物狂いで逃げ回る館長を、資材室から私が呼ぶんです。館長、こちらへ!と。逃げ込んできた館長を匿うように部屋に鍵を掛け、完全食スープを差し出します。暫くはここから出られませんね、ひとまずこれを飲んで落ち着いてください、と。これを繰り返すことによって、スープを飲むという行為が安心の象徴に」

「私の負担が物凄いな!!」

「あはははは!!副館長、なんらかの罪で捕まるねぇ!!」

こいつ、他人事だと思ってさっきから笑い通しだ。⋯⋯あぁ殴りたい。

「捕まるのは困ります」

「最も困るのは私だよ⋯⋯長男が来年高校受験なんだ」

カラシを味方に引き入れたのは失敗だったかもしれない。

「鉈は良くない⋯なら、『まてまて~♪』と笑顔で追い回して捕まえたらくすぐり倒す、というのは」

「ジュネに見られたら私の館内での評判が凄いことになるだろう!?」

「あはははは⋯」

ひとしきり笑ったのち、歌麿主任が組んだ指先に顎を乗せてカラシを覗き込むように首を傾げた。

「⋯⋯理解は、しましたよ。ただね、カラシさん。誰かの秘密を暴くなら、対価が必要でしょう?」

ぴく、とカラシの肩が動いた。

「対価を払えと」

「お金じゃないですよ?情報を、頂きたい。言っておくけど、私に嘘は通用しない。直ぐに見抜きます」

その目は笑っていない。ただ、カラシの顔を、穴が空くほど覗き込んでいる。⋯本性を現したな、狸め。



「そうですねぇ⋯初めての性行為のお相手と、好みの体位を教えていただけますか?」



椅子を蹴って立ち上がっていた。歌麿はわざとらしく両手を軽く上げて驚くような素振りをした。

「あぁ、乱暴な。⋯妥当なラインでしょう?情報の価値としては」

「カラシ、交渉決裂だ。コンプライアンス違反。君がよかろうと、これ以上この男と交渉することは、副館長の私が許さない!」

カラシは困惑したように私と歌麿を交互に見ると、ゆらり、と首を傾げた。

そして向こう数ヶ月は忘れられない一言を、呟いた。



「そう言われても⋯いない、んです」



「ふぁ!?」

「ふぁ!?」

またしてもこの最低な男とシンクロしてしまった。

「ない袖は振れません。ごめんなさい副館長、私が至らないせいで」

ノートを閉じて立ち上がりかけたカラシを、やおら立ち上がった歌麿が両肩を抑えて押しとどめた。

「ちょっと待とうね、カラシさん!?」

「カラシに触るな助平ジジイ!!」

「嘘でしょ、いや嘘じゃないな⋯一度も!?君ほどの⋯その、綺麗な子が!?」

「ありがとうございます」

「礼はいいから!何故!?」

つい押し黙ってしまった。

最低男の問いかけに便乗するようで卑屈だが、私も知りたい。何らかの精神疾患でもない限り、ありえないだろう。彼女がそんな疾患を抱えているなら、上司として私は彼女をケアする必要がある。決して興味津々なわけではない。

私達がじっと黙って圧をかけていると、カラシは観念したように小さく息を吐いた。

「―――私は飛び級です」

「知っていますよ。でもそれは理由にならないでしょう」

「あと、背が高いでしょう。それに、これは自覚があるんです、けど」



私は可愛げがない、可愛く振る舞えない。



そう呟いて、彼女は少し頬を染めて俯いた。

「頭が良くて、背が高くて、可愛く振る舞えない。⋯近寄ってくる男性自体が、あまり⋯」

頭が良いとか自分で言うのか⋯と思わないでもないが、改めてカラシをしげしげと眺めてみる。⋯伏し目がちに頬を赤らめるこの娘が、可愛くないだと⋯?

「んー⋯納得はしかねるが、まぁ⋯多感な時期の男なら、あまりに優秀な美少女にコンプレックスを刺激されることはあるかもしれませんね。しかし、君はもう社会人でしょう」

「謎ですね」

「他人事!?」

⋯⋯やっぱり変わってるなこの子。

「⋯思わぬ収穫だった。自信を持っていい、とても価値ある情報です。ただ、もうひと押しです」

君から得たい情報があります。そう嘯いて歌麿は口角を釣り上げた。

「あぁ、副館長は少しだけ席を外して下さい」

「なっ⋯!」

この助平ジジイとカラシを二人きりにしろだと!?

「許可出来るはずがない!」

「30秒」

⋯⋯⋯え?

「それで十分。私が聞きたいのは『たった一言』です」

「いやらしい事を聞こうと!?」

「私はね、副館長。自分にルールを課しているんですよ」

元通りの人の良さそうな微笑を浮かべ、歌麿は目を細めた。

「男性を知らない乙女には、猥談を振らないのです」

「いや女性全般に猥談を振るな!!」

「逆に⋯そうですね、30秒以内に答えられないのなら、この話は一旦白紙⋯ということで。⋯あぁ、嘘は通用しませんよ?見抜きます。嘘をつけば、勿論白紙」

「カラシ、仕事に戻りなさい」

私の常識が一切通用しない。カラシの身を守るためにも、この男を引き入れては駄目だ。有無を言わさぬよう、カラシの椅子を引いて立ち上がらせようとした⋯が、カラシは首を振って私を見上げた。

「いえ、応じようと思います」

「何故!」

「今は情報が欲しいです。私の秘密の一部など、館長の命と天秤にかけられない」

―――君って奴は。

「質問の内容は、副館長には秘密です」

「なに!?」

「彼女の、名誉の為ですよ」

歌麿は、ニタリと頬を歪めた。⋯こ、このクソ狸!!

「さあさあ、出てもらいましょう」

「⋯⋯カラシ!!」

「お願いします、副館長」

カラシは本当に⋯事もなげに私を見上げて頭を下げた。

「⋯⋯⋯30秒だけだからな!」

多勢に無勢。私は会議室を出るしかなかった。




会議室を追い出された私だが、「席を外せ」としか言われていない。⋯あくまで、カラシに不届きな質問をぶつけられないか監視する為に、私は耳をそばだてていた。⋯やがて、さらさらとボールペンの擦過音が聞こえてきた。



―――野郎、筆談か!!



私が聞き耳を立てること位、お見通しということか。つくづく嫌な男だ。

やがてそれに応じるように、躊躇うように、弱い筆圧の擦過音が聞こえてきた。⋯一瞬の静寂。



「⋯⋯素晴らしい!!」



絶叫のような賞賛の声が静寂を打ち破った。

「何なんですか!?」

ドアを開け放つと、うっとりと惚ける歌麿と、顔を赤らめて俯くカラシの姿があった。

「な、何かされたのか!?カラシ!?」

私に気がつくとカラシはビクッと肩を震わせ、手元のメモ帳をグシャグシャにしてポケットに突っ込んだ。

「いえ何も!お座りください⋯交渉成立でしょう、歌麿主任」

「⋯⋯素晴らしい、私が聞きたかったのは、こういう話ですよ⋯⋯20歳若返った気分だ⋯⋯」

駄目だこいつ、私の言葉というか存在が入ってきてない。

「カラシ、本当に何があった!?」

「何もありません」

食い気味に返され、私は黙るしかなかった。

「歌麿主任、答えて下さい」

「⋯⋯は、そうでした」

彼は目が覚めたように目を見開くと、そっと両手を合わせて指先を組んだ。

「大変、申し訳ないのですが⋯彼の嗜好は正直『分からない』としか言いようがない」

「は!?」

「許せません、縊り殺します」

「館長が『うち』に借りに来る時はね、必ず『対極属性』を一度に持っていくのです。例えば⋯これはあくまで、例えばなのですが、女子高生と美熟女、女主人とメイド、女王様と女奴隷、といったふうにね。嗜好を私に悟らせないように、ブラフを蒔いているのかねぇ⋯」

「そんなモノに余計なブラフを⋯!!」

カラシがぎりり、と歯ぎしりをした。⋯可愛く振る舞えないというのは、あながち嘘でもないらしい。

「ふふ⋯ただ心配しないでください。私なりに一つだけ、『解』を持っています」


どうぞそのまま、彼を振り回してください。


「⋯⋯え」

「20後半にもなった男が、生き方を自ら変えるのは難しい」

「だから、好むシチュエーションなら入口になるかと思ったんです」

「面白いですね、君は。⋯これは、あくまで内密にお願いしたいんですが」

彼、今が一番楽しそうですねぇ。そう言って歌麿主任は人の良い笑みを浮かべた。

「カラシさんに振り回されるのは、彼は嫌いじゃないと思います。そもそも自分から新しい事を始めるような子じゃないでしょう?どう工夫しても、一旦は嫌がるんですよ。それにカラシさん、君は君で、あまり、その⋯器用じゃないねぇ」

その言い回しに、何かの事実を濁された気がしてカラシを見ると、すっと顔を背けられた。⋯まぁいい。

「君は下手に策を巡らせるより、正攻法でいきましょうかね⋯汚れ仕事が必要な時は、私に相談してください」

「⋯汚れ仕事、ですか。例えば⋯館長を、館長職から退かせる、とか。そんな事は出来るんです?」

歌麿主任は首を傾げて、考え込むように顎に指を当てた。

「館長を、退かせる⋯?」

カラシは決然と顔を上げた。

「出来るんです?」

「⋯⋯手段は、ありますよ。ただ、そうね⋯うん、分かった」

傾けた頭を元に戻し、歌麿主任は再び笑った。

「館長の情報を十分に提供できなかったお詫びに、もう一つおまけの情報を提供しましょうね」

おまけの、情報!?

「君たちは一つ、誤解をしています」

私も、カラシも首を傾げた。

「誤解⋯なんです?」

「君たちは年若い職員が『館長になるから』早逝すると、そう思っていますか?」

「違うんです⋯?」

「違います」



ちょっと、待ってくれ。



それが事実じゃないのなら、そもそもの前提が尽く変わってくる。

「うそだろう⋯?」

思わず、呟いていた。歌麿主任はふふ、と笑うと指を軽く組み直した。

「年若く、館長に任命された者が死んでいる。表向きはそう見えるんですね。⋯いやはや。そりゃそうか。まぁ」

「記録では、そうなっています。ほぼ例外なく」

「うん、うん。そうですね。それは間違いない。でもね、因果関係が違う。逆なんですよ」



―――彼らを死なせない為に、館長に任命するんです。



会議室を静寂が満たした。⋯私も、カラシも何も言えなかった。ただ、歌麿主任の次の言葉を待った。

「年若い館長には、とある共通点がある。極端なほどの飛び級、図書館への異常な執着、幼い頃からのインターン勤務⋯他にも色々な要件がありますが、これらに当てはまる子が入館すると大抵、20歳ソコソコで死ぬ」

「んな!?」

つい、大きな声が出た。⋯話が、全然違う。私が聞いているのは30歳を迎える前だ。10年近く違う。

「地下の最奥で、ひたすら翻訳の仕事をし続ける。食べるのも、寝るのも惜しんで、狂ったように、誰の制止も効果なく、ね。この子を止めるには、翻訳以外の仕事を強引に押し付けるしかない」

「だから、館長職に」

「基本的に優秀だし、責任感は強いからね。⋯館長にでもしなければ、もっと早くに死んでますよ。だから年若い職員が館長にされると死ぬ、というのは語弊があるんです。たとえば君、カラシさん」

ぐい、と身を乗り出してカラシに顔を近づけた。

「君が今日から館長に就任したとて、多分早逝することはありません。ただ恐らく、『上』はそういう判断は下さない」

「それは⋯そうです」

カラシの表情が曇った。無理もない。⋯自分は年若い館長にはなれないという事実を突きつけられたのだから。カラシの心中を思うと心が痛む。

「だから館長職から引かせたら、寿命を縮める結果にしかならない。お分かりいただけましたか」

「はい⋯でもこの事は館長は知らないようなので、このまま利用させてもらいます」

「結構強かだな君は」

歌麿主任は意外そうに目を見開いて肩を竦めた。カラシは少し首を傾けて、真っ直ぐに歌麿主任と目を合わせた。気のせいだろうか、落胆はしていない⋯むしろ先程より毅然として見える。

「正直、ここまで有益とは思っていませんでした。大事な事を知りました」

「⋯⋯ほう?」



「私たちに⋯というより、館長に『敵』はいなかった」



歌麿主任が、組んでいた指をそっと解いた。⋯カラシが続けた。

「歌麿主任が仰った通り⋯私たちが考えるような『策』は、総長とか上層部の人たちが、考えてくれてたんですね。館長は生贄なんかじゃなかった」

「ふふふ⋯そんな剣呑なことを考えてたんですか」

「最終手段の誘拐や監禁は、考えなくてもいい⋯」

そんな事まで考えてたのかよ!怖ぇよ!!

「そんな事まで考えてたの!?」

思考が歌麿主任とハモった。

「上層部は皆、敵と警戒してましたから。年若い館長が全員死んでるなら、そう考えます」

私も上層部なんだけど!?

「ははは⋯警戒は、解かないでね。総長は敵じゃない、という話しかしていないし、年若い上司をよく思ってない職員も沢山いるのは確かですよ。さて、どうしようかね⋯私は『味方』の印に、どの情報を差し出そうかな⋯」

彼は少しだけ視線を彷徨わせ、やがて莞爾と笑った。

「⋯⋯そうだね、こうしよう。君に宿題を出すことにします」

「宿題?」

「対価なしに渡せるギリギリの『情報の欠片』をあげる。それを伝手に、真相にたどりついてみてください」

「⋯⋯真相?」

「数ある『年若い館長』の共通点。その中に一つ、私しか知らない共通点があります」

思わず身を乗り出したカラシを、可愛い孫かのように見つめると、歌麿主任は徐に言葉を続けた。

「館長、最奥にデスクを構えて、用事がなければ出歩かないでしょう」

「⋯⋯その共通点なら、既に」

「理由、知ってる?」

「いえ」

「一つ、ヒントをあげる。館長の目、よく見てごらんなさい」

イタズラでもするような笑いを残し、歌麿主任は席を立った。



歌麿主任は館長に、やや好意的。それだけは再確認出来た。彼はインターン時代の幼い館長を知っている職員だ。もしかしたら私同様、手を引かれて歩いた事があるのかもしれない。⋯あのおっさんキラーめ。

「⋯目は、大きめです」

ぼそり、とカラシが呟いた。

「まつ毛が長くて、太陽の位置によっては頬に影が落ちる⋯」

よく観察している。さすが、女子だ。

「色素が薄め⋯なのでしょうか、髪の色に近くて赤みが強い⋯」

⋯⋯本当によく観察している。

「動揺した時に、眼球が左右に揺れる事とかも関係してるのかな⋯」

「うん、分かった。その調子で観察しておいてくれ。私も学生時代の事など思い出せる限りは思い出す」

「どんな事を、思い出します?」

じっと見つめられて思わず動揺しそうになる。⋯私の眼球は揺れはしないだろうが。

「ん、まぁ⋯ずっと一緒に行動してた訳じゃないが⋯私が覚えている限りでは確か、あの頃のクロエ先輩は眼鏡をしていることがちょくちょくあったんだよなぁ⋯ここで一緒に働くようになってからはあまり」「見せてください」

食い気味に詰め寄られた。⋯携帯端末に、画像が入っていたかどうか⋯。

「⋯どうしても履修が必要なフィールドワークの授業の時に、しぶしぶついて来た時のヤツなら⋯あった」

サムネイルを見つけ、画面に大きく表示する。まだあどけない少年だった頃のクロエ先輩が、砂を掘っている姿がひどく年相応に見えて珍しかったので撮影した一枚だ。カラシは食い入るように観察している。食い入るように⋯食い入り過ぎて携帯端末をガッシリ掴まれた。

「⋯カラシ」

「現在との比較でもう少し観察する必要があるのでその画像を送信してください」

早口で言い切ると、勝手に受信準備を始めてしまった。気圧されてしまい、思わず送信してしまった。⋯悪用の心配はあるまい。カラシだし。

「他にもありますか」

「⋯⋯あぁ、多分」

「後でいいので、全て送信してください。他の角度からも確認したいので。あぁ、目の色も比較したいので、眼鏡を掛けていないバージョンもあれば入れて下さい」

「⋯⋯あぁ、うん」

⋯⋯バージョン?

「今日は、ありがとうございます。とても実りの多い会合になりました」

そう言い残し、一礼して、カラシは会議室を後にした。⋯彼女は研究者肌なのだな。研究に没頭するあまり、時折上司の携帯をガッシリ掴んだり、更に上司の子供の頃の写真を本人に無断で集めたりと、とんでもない振る舞いに出るところがあるが⋯彼女を味方に引き入れたのは、成功⋯だったかもしれない。もう手詰まりかと諦めていた『館長早逝問題』が、進展しつつある。彼女の言う通り、実りの多い会合にはなった。

「⋯⋯何を聞かれたんだろうな」

それだけは少し引っかかったが、聞きそびれてしまった。




本日の業務を、終了する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ