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滅亡図書館 分類ファイル:性風俗・歴史

廊下の窓から差し込む太陽光に目を突き刺される。最奥にわずかに届く天窓の光は柔らかいのだなと、ここを通る度に思い知らされる。俺の少し後ろを、カラシがついてきている。

「この区画に来るのは初めてです」

館長と副館長の大喧嘩を見ても平然としていたカラシが、珍しくそわそわしている。無理もない。



この区画を占めているのは、先人の『性風俗・歴史』に関する書籍だ。



書庫から出てきた男性職員が、びくりと身を震わせて書庫に戻った。こちらも無理もない。この区画に女が⋯しかも若い女が出入りすることは稀だ。俺でも同じ態度をとる。あと怯えるカラシ可愛い。

「館長を目指すなら頻繁に!出入りすることになるからな。よもや無理とは言わないよな?」

「⋯⋯⋯分かってます」

だいぶ間をあけて、カラシが答えた。



これは俺なりの作戦だ。



館長職の暗部をひたすら突きつけ、館長を目指す気持ちを削いでいく。これを繰り返して館長職への興味を失わせていくのだ。⋯館長の地位への憧れなど、若気の至りに過ぎないんだ。命を賭けるような価値はない。分かってくれ、カラシ⋯。これは君のためなんだ、決して疚しい気持ちで連れてきたわけではないんだ。

「おや、館長。ご無沙汰しております」

書棚の奥で、返却された本を棚に戻していた男が振り返った。白いシャツに図書館指定の黒いエプロンを掛け、腕カバーをした白髪混じりの男は、カラシに目を留めると柔和に微笑んだ。

「あぁ、ルール違反ですよ。女性を連れてくる際はご一報頂かなくては」

そう言って初老の男⋯歌麿は壁に設置されたカバー付きのボタンを押した。⋯『通報システム』が、作動した。

「あ、すまん。忘れてた」

「ふふ⋯今日は運が良かったですね。『彼ら』がいなくて」

「⋯⋯何です?」

カラシがぎこちなく首をかしげた。⋯俺は何も答えられず、顔を背けた。

「うぅん、こういう書棚ですからね。女性が居ると男性職員は気まずいじゃないですか。ですから女性がこの区画に居る時には男性職員の皆さんに『お知らせ』を一斉送信するのです。うっかり鉢合わせないように」

「職権濫用じゃないです?」

「これも福利厚生の一環と思っていただきたいのです。女性だって、性的な書籍を借りに来た男性職員に鉢合わせたくはないでしょう?」

歌麿はすっと首をもたげてカラシと目を合わせる。カラシは何か言いたげにもごもごと口を動かしたが、結局ふいっと顔を逸らした。

「⋯⋯理解、することにします」

「ふふふ、ありがとうございます。」

歌麿は微笑んで残りの本を棚に戻した。『監禁社長室』というタイトルがチラリと見えた。⋯後でチェックしておこう。

「今日はどうしましたか?女性を連れてくるなんて掟破⋯いや、珍しい」

「あぁ⋯彼女は『カラシ』。これから助手として、ここにも出入りすることになる。よろしく頼む」

宣言してチラリとカラシを目で促す。彼女はびくりと肩を震わせて、一瞬キョロキョロと視線を彷徨わせたが、やがて意を決したように歌麿に向き直り、一礼した。

「よろしく、お願いします」

「はい、よろしくね。ただ次にここに来る時には事前に連絡頼みますよ。人払い、しておくから」

歌麿はにこり、と人の良い笑みを浮かべた。

歌麿は俺が入館する前から、この区画を管理している主任の一人だ。エロコンテンツを求めてコソコソ入り込む男性職員を笑顔で見逃してくれる、頼れる先輩職員。俺たちの為に、女性職員が入り込んだ際は鉢合わせないように通報システムも作ってくれた。常に柔和で、穏やかで、怒った姿を見たことがない。俺たちはそんな彼を『仏の歌麿』と呼んでいる。俺も例に漏れず、お世話になっている。

「なんていうか⋯えぇ、言っていいのかな⋯」

カラシが上目遣いに俺たちを交互に見た。

「どうしました?質問はいくらでも」

また柔和に笑う。

「この区画の人たち、もっと怖いイメージでした」

「ふふ、そうでしょうね」

視線を落として悲しげに笑った。⋯申し訳ない。その一言に尽きる。

「⋯すみません」

「いやいや、ははは⋯それが普通です。女の子がこんな所に近づくものじゃない。利用者もそれは困ってしまう」

そう言って柔和な微笑を浮かべて歌麿は顔を上げた。

「ただね、僕はこれは先人たちの文化や生殖の情動を知るための貴重な資料だと思っているんですよ」

促されるままに、俺たちは歌麿に続いて広いテーブルに座る。周囲にちらほらと見えた職員達が蜘蛛の子を散らすように隠れてしまった。⋯無理もない。歌麿は困ったように笑うと、廊下の方へ去っていった。

「⋯なんか、紳士じゃないです?」

カラシが囁いた。先程の緊張しきった表情が少し和らいでいる。⋯歌麿の手腕。

「そうだな。最近はあまりプライベートで話す機会はないが、親切なおじさんだ。俺の入館当時、よく菓子をくれた」

これは作戦は失敗かな⋯小さく息をついて目を上げると、トレーにコーヒーカップを乗せて戻ってくる歌麿と目が合った。

「どうぞ、楽にしてください」

さりげなく、コーヒーのカップが二つ置かれた。

「おかしいな、俺が来てもコーヒーなんか出されたことない」

歌麿は微笑んで高い背を屈めた。

「それは勘弁して下さい。この区画に、こんな美しい女性が来るなんて滅多にないことなんですから⋯天津風、雲の通い路吹き閉じよ。おとめの姿、暫しとどめむ⋯というやつです」

「⋯言い過ぎ、では」

カラシが頬を染めて俯いた。⋯意外と正攻法に弱いカラシ可愛い。それにしても⋯カラシではないが、専門が性風俗などというその⋯尖った分野にも関わらず、歌麿は至極まともな社会人だ。気遣いが出来、性格は穏やかでいつも笑顔を絶やさない。地下8階から飛び降りて上司のスープを分捕って飲み干すどこかの誰かや、『熊』という言葉を聞くと顔色を変えて襲いかかってくるどこかの誰かとは大違いだ。カラシには口が裂けても言えないが、ここは俺にとって密かにオアシスなのだ。

「で、どうですか。春画シリーズの売れ行きは?」

柔らかい笑顔のまま、歌麿は顔の前で指先を組んだ。

「うーん⋯そっちはイマイチだな。あれはまぁ⋯エロじゃない。文化的な資料の領域だな」

「ははは⋯そうですね。やはり見た目がリアルで美しいグラビアやヌード写真集が売れ線ですか⋯春画も趣深いのになぁ。⋯カラシさん、ちょっと見てみませんか?」

紳士的に微笑みながら、歌麿は『別冊太陽 錦絵春画』をそっと俺たちの目の前に置いた。

「えぇと⋯」

明らかに困惑しているカラシの様子に気づき、慌てたように本を引っ込める。

「あぁ、すみません急に。⋯まぁ、そうなりますよね。美しい絵画なんですけどね⋯」

少し肩を落として本を仕舞い込む素振りをした。俺は軽くカラシの肘あたりを小突いた。カラシは俺と目が合うと一瞬だけ助けを求めるような顔をしたが、すぐに意を決したように顔を正面に戻した。

「あ、いや⋯拝見します」

「そう?じゃ、なるべく刺激の少ないページを⋯」

パッと顔を輝かせ、歌麿はいそいそとカラフルなページを開いた。

「この構図。なんか気が付きませんか」

「そう、ですねぇ⋯なんかその⋯妙に体が、捻れてるような」


―――ん?


「いい目の付け所ですね。捻れているというのはこうでしょう?顔は横向きなのに、交合している部分は正面を向いている。おかしな構図ですよねぇ」

おい待て、なに普通に春画を挟んで男と論議しているんだ?顔を赤らめて席を立っていいんだぞ!?

「古代日本の春画は性的コンテンツとして消費されるものでしたからね。大衆が求めたのが、表情と局部の強調。あと面白いのがね、これですよ。」

そう言って、春画の着物部分をコツコツと指で叩いた。

「着衣のままでの行為が多いんです。これはその男女の属性を示しているんですね。町人だったり、僧侶だったり、身分の高い若奥様だったり⋯所謂『シチュエーション』を想起させませんか?」

「シチュエーション⋯?」

「恋愛小説にもあるでしょう?教師と生徒、上司と部下、先輩と後輩。好きな関係性というか舞台装置というか、そういうものです。それを春画は着衣で表現して、シチュエーションをも楽しんだ。面白いですねぇ」

「⋯⋯⋯なるほど」

「カラシさんは、好きなシチュエーションはありますか?」

「は?」

「近い春画を探してみましょうか。きっとありますよ」

「いや、えーと」

「お!なんだこれ!『乳房全書』!?」


―――つい、助け舟を出してしまった。


試練を与えて困らせて館長職を諦めさせる作戦だったのにぶち壊しだ。俺は何をしているんだ。

「⋯あぁ、やはり目をつけられましたか。お目が高い」

軽く目を見開き、上品な微笑を浮かべた。

「マルタン・モネスティエというフランスの作家が著した『乳房』に特化した全書ですよ。古今東西、乳房に関する様々な知識を網羅している奇書です。⋯まー、元々フランスの書籍なので和訳すると掲載の語順とかが分かりにくいんですけどね、とにかく情報量が凄い。一読の価値はありますよ」

「マルタン・モネスティエか⋯」

同じ名前を『猟奇』『犯罪』の区画で見たことがある。『死刑全書』『食人全書』『幼き殺人者全書』等々、尖った全書を量産していた作家だ、確か。このラインナップで並んでしまうと乳房など可愛くさえ見える。

「館長はご存知でしたか」

「⋯中学二年生くらいの気難しい子供たちに大人気だ」

「あははは⋯乳房全書もそのくらいの関心を持って貰いたいものです」

そう言って棚から分厚いハードカバーの本を取り出した。

「これですね。⋯私が言うのもなんですが、この本は『歴史・文化』の棚に移してもいいんじゃないかと思います。ここでは埃をかぶる一方で⋯」

苦笑をして、歌麿は『乳房全書』の適当なページを開いた。そしてすっと笑顔を消し、上目遣いに俺を見た。

「館長は知っていますよね、我々の母星における『乳房』の立ち位置について⋯」

「⋯ああ」

戦乱に明け暮れ、『淘汰』によって人口が調整されていた母星において、授乳という行為は随分前から消滅していた。その結果『切除』という選択をする女性が多かったという。


戦場においては、邪魔にしかならないからだ。


「⋯そうですよね。男女問わず戦場に駆り出され、物資が少ない母星の環境下に置いては乳房は切除するのが妥当。邪魔になるほどのサイズではない、もしくは耐久力が必要となる部隊であれば乳房をつけたままにしておく選択もありましたけどね⋯これと同じ理由で『切除』を選ぶ部族の話が、ここでも伝わっているんですね」

歌麿が『アマゾネス』の項目を指し示した。

「女性だけで構成される戦闘民族。弓を引くのに邪魔になるから、と右の乳房を切り落とした、といいますね。まぁ、ギリシャ神話に出てくるだけの伝説的な存在、つまり作り話だと思いますが」

「⋯⋯⋯うわ」

隣から、小さな呻き声がもれた。ふと目を上げると、カラシが青ざめて腕を組んでいた。

「切除、といえば」

さらりさらり、とページを繰る音が聞こえた。⋯よく見ると、随分と読み込まれている。歌麿は何度、この分厚い本を捲ったことだろう。

「女殉教者への拷問手段として『乳房切除』が行われたというのは有名な話でしてね。弧を描く枝切り鋏のような器具でこう、じゃきっ⋯と」

「い、痛⋯!」

ぎゅう、と胸を押さえてカラシが小声で叫んだ。

「女性としての尊厳、純潔を完膚無きまでに踏みにじった上で火刑に処す⋯見せしめですね。要は。有名なところでは聖アガタ、ですかね。彼女の場合は、切除された後、神の奇跡で復活したという伝説が残っています。それと」

「ちょっと止めてさしあげろ」

変な汗を流し始めたカラシの背をさすり、一旦話を遮った。歌麿は、はっとしたように口を覆って苦笑した。

「ああ、すみません。つい夢中で語ってしまいました。過去の話とはいえ、若い娘さんにはショッキングですね」

「⋯⋯全くです。不公平じゃないです?何故女性ばかりがこんな酷い目に」

「仕方ないだろ。俺たちにはねぇんだもん」

「カンナでジャリっと削ってやればいいでしょう」

「ぅわ痛ぇ!!お前なにしやがる、俺たちを巻き込むな!!」

「⋯ふふふ、まったく。そもそも男の乳首削ったところで、何の象徴的意味があるんですか」

歌麿の苦笑が、少し⋯気持ち程度だが『質』が変わった気がした。

「なけなしの乳首より、もっと象徴的な器官が」「た、楽しい話をしよう!」

あっぶねぇ。何処に話を持っていく気だ。歌麿は再び晴れやかに微笑むと、ページを手繰った。

「そうですね、とはいえ我々男だけが楽しくても仕方ないですから、少し高尚な話をしましょうか。⋯かつて欧州の方では、権力者の好みによって乳房の流行が変わったんですよ?」

「流行、ですか」

「はい。例えばアンリ2世の治世の頃は、大理石のように無垢で、小さく硬い乳房が重宝されました。が、時代が移ろいルイ14世の頃は豊満な乳房、ナポレオンの頃はハイウエストで下から強調された乳房」

「へぇ⋯おかしな話だな。権力者の好みがどうだろうと、他の連中の好みは変わらないだろうに」

ふふ、と小さく声を出して歌麿が笑った。

「いいところに気が付きましたね。女性たちは権力者に見初められる必要があったから、その好みに沿う『形』が流行したのですよ。近代化が進み、『個人』の時代が到来してそういった制約が外れた途端、それまで抑えられていたムーブメントが突如解放されたのです」

「抑えられていた⋯?」

何故だろう、嫌な予感がする。しかしここまで話を引っ張られて途中で帰れるはずがない。



「永劫に続く『巨乳時代』の、到来です!」



歌麿は雨雲が去り青空を振り仰ぐ少年のように晴れやかに笑った。

「所謂『先進国』と呼ばれる国の男性はこぞって巨乳を支持したのです。もちろん例外はありますよ?小さいのが好き、という特殊な嗜好の男性も少なからず存在しました」


―――特殊な嗜好と言い切ったぞこのおっさん。


「しかし、この棚を見ていただければ分かる通り⋯あ、大丈夫ですよカラシさん、刺激の少ない部類の棚です」

マガジンラックに、グラビアの写真集やムック本がずらりと展示されていた。

「グラビア雑誌に掲載される女性は、Dカップ以上が基本でした。⋯第二次世界大戦中のアメリカで、兵士がセクシーな女性の写真やイラストをロッカーにピンで留める、所謂ピンナップが大流行したのを皮切りに、今で言うグラビア人気が爆発。ボンキュッボンなどと言われる、乳房や臀部が豊満で腰が細い女の子が流行りました。この流行は海を越えて日本にも渡り、乳房が大きい女の子が太陽の下で明るく無邪気に微笑む健康的でセクシーなグラビアが世の中を席巻するのです!」

立板に水を流すように話し続ける歌麿こそ、明るく無邪気に微笑んでいる。⋯いつ終わるんだこの話は。

「最も、日本に於いてグラビア文化はより繊細に、あらゆる層に刺さるようなガラパゴス進化を遂げていくのですがそれはまぁ、今度ゆっくりお話いたしましょう⋯まぁ、ざっくり申し上げると、世の中に出回るグラビアの8割近くはDカップ以上の大きめ~巨乳のカテゴリに属する子達が席巻しました」

マガジンラックで微笑む女神達は、たしかにほぼ全員⋯胸が大きい。おかしな話だ。

「⋯そこは、母星とは真逆だな」

「いい所に気が付きましたね」

しんみりとした口調で返すと、歌麿は遠くを見るような目つきをした。

「母星では所謂貧乳のほうが尊重された。切除する必要がないから、自然で美しいとされたのです。⋯実はこの流行は、この星への移民が始まって『淘汰』が継続されていた100年程度は続いていたんですよ。だが私たちは気がついてしまったのです。本能の奥底に眠っていた『巨乳』への渇望に⋯!」

歌麿の声が一際高まった。その拳は強く握られ、瞳には喜びの光が満ちている。

「争いのない平和な時代が訪れ、同時に女性が大きな乳房を切除することなく、誇らしく胸を張って歩くようになり、我々はその美しさに気がついてしまったのです。そう⋯カラシさん、貴方のように!」

突然話を振られて、カラシがビクリと肩を揺らした。

「そ、そんな私は⋯誇らしく胸を張ってなど⋯」

「いえいえ、包み隠すことは何もないんです。巨乳とは平和の象徴、ですからね」

そう言って歌麿はまた人の良い笑みを浮かべた。

「かつて巨乳が忌避された歴史からでしょうか、女性は自らの美しさを隠しすぎだと私は思います。カラシさん」

「⋯⋯はい?」


「我々に胸のサイズを数値で語ってみませんか。貴方なら高い数値を提示出来るでしょう」


「⋯⋯えぇ?」

「あ、14時から会議だ。歌麿さん、お邪魔しました。俺ら帰ります」

呆然とするカラシを無理やり立たせ、腕を掴んで足早に退席した。




「⋯やっぱり、なんか変、でしたよね?」

俺に合わせて足早に歩きながら、カラシが俺を覗き込んだ。

「変も何も⋯変だよそりゃ⋯何だ、あれは」

よく考えたら女の前でおっさんが乳の話に興じるという異様な状況に、咄嗟に逃亡してしまった。

「なんか、バストサイズを聞かれましたよ」

「⋯⋯⋯いや、悪気はないんだろう。そういうジャンルを専門にするくらいだからその⋯なにか、熱い想いがあるんだろうよ。それが運悪く暴走した、というか」

「常識人、とか言ってましたけど?」

「⋯⋯⋯無理強いされたり、下卑た話をされたわけでもないしなぁ⋯うぅむ⋯⋯」

「あっ!館長と!カラシ嬢が!仲良くお手々繋いで!」

突然大声で呼ばれ、弾かれたように振り返るとそこには、ファイルを胸元に抱えて顔を上気させ、ニマニマと笑うジュネがいつの間にか付いてきていた。⋯腕を掴みっぱなしにしてしまった。

「あ、いや違う⋯すまん」

手を離すと、カラシがすっと腕を引っ込めた。

「⋯歌麿主任に、ご挨拶をしてました」

「ほっほーう、館長秘書、就任のご挨拶を?秘書の?なんか穏やかじゃない役職だわー♪」

ジュネはまだニマニマと笑いながら俺たちを交互に覗き込む。⋯面倒な恋愛脳に見つかった。

「秘書というな。助手だ。あと秘書って別にエロい仕事じゃないからな?」

「うふふふ、誰にも言いませんて。うふふふ」

「君の『誰にも言いません』が信用出来るか。というか君はBL専門じゃないのか?」

「え、ノーマル方面も余裕でカバーしますよ?特にカラシ嬢は背が高いから脳内変換が捗る捗る♪」

「あくまでもBLか。業の深い奴め」

ひとしきり笑うと、ジュネは『性風俗・歴史』区画の方にちらっと視線を送った。

「ほーん⋯ひょっとして、歌麿主任と話しちゃいました?」

「はぁ⋯やっぱり、あの人少し⋯その、変わっています?」

ジュネは意味ありげに含み笑うと、やおらカラシの横に寄り添った。

「⋯なんです?」

「私ぃ、区画が近いからよくエンカするんですよ?」

BLの区画は歌麿の担当区画のすぐ隣にある。お互いの利用者がエンカウントしないようにパーテーションで迷路のように区切っているが、さすがに職員同士はよく顔を合わせる。

「あのひと、シュッとした白髪碧眼のイケおじだし、普通に考えると話題に挙げにくい性風俗や歴史について、高尚な切り口で語ってくれるでしょ?」

「そうですね、勉強になります」

「そう!それでいつの間にか、つい油断して一緒に猥談を語らされているんですよ!」



―――畜生!!!



「私も先週、またしても自分の隠してた性癖を語らされたばかりです♪」

「まだ隠してる性癖があったのか⋯」

こいつもこいつだが歌麿め、穏やかそうな顔をして油断も隙もない。やはりこの業界の職員は曲者だらけだ。

「彼のそういった性質を知る数少ない職員は、彼をこう呼びます⋯『滅亡図書館の猥談士』と」



あの助平爺い⋯!!!



十代の頃から世話になってそれなりに親しみを覚えていたのに⋯俺は深くため息をついた。⋯作戦は本格的に失敗だ。

「⋯⋯カラシ、やはりここには出入りしなくていい」

カラシは何か考え込むようにファイルを抱えて俯いていたが、ふと顔を上げた。

「いえ、また後日伺います」

「は!?」

カラシは黒髪をさらりと揺らして首を傾けた。⋯いつも通りの読めない表情に戻っている。

「何故!?バストサイズを聞き出されかけたんだぞ!?」

「どうだっていいです。指一本たりとも触れられたわけでもありません」

「ぐ⋯⋯」

「味方につける価値あり、と踏みました」




―――どういう、心境だ!?




呆然と立ち尽くす俺を置いて、カラシはエレベーターホールの暗がりへ消えていった。

「おやおや?まさかのオジ好み!?ちょっとちょっとオジ系BLが捗っちゃうんですけど!?」

うるせぇな巣に帰れ。




本日の調査業務を、終了する。


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