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3-1

 涼やかな澄んだ空気に、微かに湿気った臭いの混じる春の夜。

 朧月の明かりを頼りに、小さな集落で一つの命が生まれようとしていた。

 

「ふぅ……ふぅ……あぁぁ!」

「奥様、あと少しですよ」

「今が踏ん張りどころです」

 部屋には、額に大きな汗を浮かべ、身じろぎをしながら苦しそうにうめく妊婦と、妊婦に寄り添う産婆が二人。それと小間使いの若い女が一人そばに侍っていた。

 その日は風もなく、妊婦のうめき声の他に何も聞こえてこない、静かな夜だった。

 

 一刻、二刻と時は過ぎていく。

 難産と思われた分娩だったが、ようやく胎児が頭を出し始め産婆たちはホッと息をつく。


 だがその時、空が一様に暗くなっていくことに周囲の者が気づき始める。

「呉、見て来なさい」

 呉と呼ばれた年若い女が、外へと駆けていく。

 襖をあけ放つと、呉は外の様子を見て固まった。

「呉、何があったのじゃ。呉!」

 呉は産婆の声も聞こえないのか、息をのみ、外の光景に目を奪われていた。

「呉!」

 再三大声で呼ばれ、呉はようやく言葉を発した。

「大変です……おおばあ様!大変です!月が!!」

 

 いつの間にか雲が晴れた夜空には、青い青い大きな月が昇っていた。

 神秘的なほど大きく、鮮やかなその月は、見るものを圧倒するほどの底知れなさを感じさせる。

 だが、呉が息をのんでいたのはその月の艶やかさに見惚れていたからではない。

 その月の端が、黒く、大きく欠け始めていたのだ。

 

「計都星か!」

 その日は朝からおぼろ雲が絶えず、蝕が起っていることなど誰も気づくことができなかった。

「奥様!いけません。耐えてください!今生まれたら」

「うぅ——あぁぁぁああぁ!!」

「奥様!」

 産婆の制止もむなしく、赤子は外へと押し出されていく。 


 そして半刻の折、蝕甚(しょくじん)の時分。あばら家の中に赤子の鳴き声が響き渡った。

 

「あぁ、なんという……」

「忌子が、産まれてしまわれた」

 (ねや)の間にいた者たちは皆一様に狼狽え、嘆き、言忌(ことい)んで口を閉ざした。

 産婆は震える手で、それでも丁寧に赤子を産湯に漬け、白布を纏わせ、母親の隣に寝かせた。


「大変な時代が訪れまするぞ」


 産後の疲労で体を起こすこともできない母親は、隣で泣く赤子にそっと手を伸ばした。

「どうして、生まれてきてしまったの」

 一つ一つ言葉を振り絞るように話す母親は、その目に深い絶望の色を宿していた。

「あぁ、なんて……なんて」

 

 忌まわしい。







◇◆◇◆








 放課後を告げるチャイムの音が鳴る。

 僕は机の中の文具を素早く片付け、カバンに詰め込む。

 今日は部活も掃除当番もないし、急いで帰ろう。

 にわかに騒がしくなる教室を足早に去ろうとして、後ろから声がかかる。

 

「蒲生。今日は行くのか?」

「いや、今日は用事があるからいけないんだよね」

「そうか、なら俺一人か」

 江畑くんは少し残念そうな顔をする。

「行くって、安曇の屋敷に?」

 江畑くんの声が聞こえたのか、桐生さんが話しかけてくる。

「あぁ、またデータを取らせてくれって言われててよ」

「そう。大変ね」

「でもそれが終わったら、スズナギ兄弟が訓練を手伝ってくれるって言ってんだ。それは少し楽しみなんだよな」

 嬉しそうに話す江畑くんを見て、桐生さんはため息をつく。

「あ~あ。私にも精霊ちゃんたち、力を貸してくれないかな」

「ムリムリ、こいつらは俺にしか懐かねえんだよ。な」

 カバンに付けていた、水晶のようなキーホルダーをちょんと触る。

 すると水晶が光り、中から精霊が出てき始める。

「わ、まてまて!ここじゃ出てくるなって」

「全く、騒がしいったら。伊藤も何とか言ってやりなよ」

「凪に落ち着くなんてコマンドはないよ」

「んだとてめぇ」

 江畑くんは楽しそうに笑みを浮かべながら、イトに絡みに行く。

 けど、そんな江畑くんを流し目に、イトは教室を出ていく。

「今日、部活だから」

「お、おう。またな……」

 イトの塩対応に、江畑くんは拍子抜けしたような顔をする。

 

 場が白けてしまったのか、僕らの会話はそこで途切れた。

「じゃあ、また明日」

「おう。また」

「またね」

 僕らはそれぞれ帰路に着いた。



 

 

 

 あの事件から一月ほどが経った。


 あの事件は、相当多くの人が目撃していたはずなのだが、翌日以降、その話を聞くことはなかった。

 安曇家が主体となって、情報統制が行われたのだ。

 かかわった人すべての記憶が改ざんされ、あの場は大きな事故があったという認識になっていた。

 SNSに出回った画像や動画も不気味なほど綺麗に削除され、その情報統制力に驚かされるばかりだ。

 それができるだけの力と権力を、安曇家は持っているのだと思うと、空恐ろしくなる。

 あの時敵対しなくてよかったと、心から思うよ。


 改ざんされた事柄の一つとして、モリミツは行方不明ではなく、休学しているということになっていた。

 親御さんにも安曇家が介入し、モリミツが海外に留学していると嘘の記憶を信じ込ませていた。

 家族にまで記憶の改ざん処置をするのは倫理的にどうかという気もするが、僕はそれに口を挟める立場にはない。

 よしんば口を出したとして、これ以上に事を丸く収める方法など僕には思いつかない。どうしようもないこの状況に少しだけ歯がゆさを感じた。

 けど一つわがまとして、イトと桐生さんの記憶だけは消さないでおいてもらった。

 江畑くんに話を聞いて、イトがモリミツのために事件を追っていたこと知った。イトも桐生さんも、友人のために危険を冒してまで奔走してくれたのだ。そんな二人の記憶を消すなんて、あまりにも不誠実だと、僕は思ったのだ。


 江畑くんは精霊(と呼ぶらしい)が周りから離れず、精霊を使役する術師がとても珍しいということもあり、安曇家で保護されることになった。

 聞けば、精霊は僕のあげたペンダントから出てきたのだというので、完全に僕が巻き込んでしまったことになる。

 申し訳ない気持ちで一杯なんだけど、江畑くんは意外にもこの状況をありがたがっているようだった。

 この力のおかげでイトを守れたし、漫画みたいな力を使えるのが楽しいんだ、と。

 江畑くんは、安曇家で精霊と共に検査やデータ取りのボランティアを続ける日々を送っている。


 松岡さんに案内され降りていった地下空間は、事件の後すぐに捜査の手が入ったが、その時には既になく、家の住人も忽然と姿を消していた。

 松岡さんも行方不明になっており、捜査は難航している。

 

 あの事件の顛末はそんなところだろうか。

 あ、そうそう。僕が稲置さんとして振る舞うことになった話もあった。

 とはいっても、稲置さんとして何かをしろと命令されたりはしていない。

 もともと表舞台には立たない人だったから、表立ってすることなんてないのだ。

 することと言えば、たまに安曇家に顔を出して、僕が稲置だと周りに認知させることぐらいだろうか。

 

「だから、別段今までと変わりない生活を送っているんですよね」

「そうですか。組織に所属しながら、組織に縛られない立場に居るとは、随分とうまいポジションに付きましたね」

「はい。でも有事の際は戦力として数えられそうで少し怖いんですよね」

「どこかの組織に所属するということは、そういうことです。割り切るほかありません。イツキさんが思い悩んでいることはそのことですか」

 話しながら、彼女の小さな手は、繊細に器具を動かしていく。

「それだけでもないんです。最近イトの様子も少し気になっていて。……少し気が塞いてるように見えるんです」

「先ほどの話からするに、そのご友人は連れ去られてしまったモリミツさんの事で落ち込んでいるのやもしれませんね」

「やっぱり、そう思いますか」

「それが大きな要因であるとは思います」

「どうしたら、元気付けてあげられるでしょうか」

「こういうのは周りがどうこう言ったところで解決する話ではないでしょう。彼の中で折り合いがつくのを見守ってあげるのがいいと、私は思います。——さて、できましたよ」

 ベンさんはそう言って、義肢を手渡してくれた。

「ありがとうございます」

 僕はピカピカになった義肢を受け取り、掌で一撫でした。


 安曇家に行くことを断った理由は、ベンさんのところで義肢のメンテナンスをするためだった。

 メンテナンス頻度は一年に一度ほどでいいらしいのだが、はじめは一月ほどで見せに来てほしいと言われていたので予約を取っていたのだ。

 予約をするほど繁盛はしていないと言われたのだが、ベンさんの予定もあるのでそこはきっちりしておきたかった。

 僕はベンさんが作業している間、聞き上手の彼女にここ最近あった話を聞いてもらっていたのだ。

 

 

「この短期間で随分酷使していたようですね。内部の魔力機関がいくつか焼き切れていましたよ」

「そんなに損傷が激しかったんですか」

「普通なら動かなくなっているところですよ」

 ベンさんは腰に手を当てむんとした。

 知的な言葉遣いと、見た目とのギャップがとても愛らしい。

 ベンさんのぬいぐるみ、欲しいなぁ。

 一家に一台ベンさんぬい。

 なんて考えていると——

「だからもう、あなたの義肢は直しません」

 と言われてしまった。

「え。どうして……ベンさんぬいなんて考えてたからですか」

「?ベンさんぬいって何ですか」

「や、何でも……」

 首をかしげるベンさんも、かわいい。じゃなくて。

「雑に扱ってしまったから怒ってるんですか」

 僕の言葉に、ベンさんは首を振る。

「そうではありません。確かに粗雑に扱われれば怒りますけど、義肢なんて使ってなんぼの物ですから、使いつぶすつもりで使ってもらっていいんです。ですがあなたの義肢の場合は少し違います。ここを見てください」

「これは?」

「魔力機関が焼き切れていた場所です。破損した魔力機関を補うように、フレームの木が覆いかぶさっているんです」

「……本当だ」

 ベンさんの言う通り。関節の隙間、魔力回路が書かれている場所に、新しい色合いの木が被さるように成長していた。

「通常の場合、ただ木が覆っただけでは機関としての機能は損なわれてしまったままです。けど、この状態であなたの義肢は正常に稼働しています。これは実に興味深いことです」

「どうしてなのでしょう」

「私はこれに似た状態を見たことがあります。それは、生き物の体です」

 ベンさんはアイルーペを外しながら話を続ける。

「生き物は体のどこかに癒えない傷を負った時、そこを補うようにほかの部分が発達しようとするのです。足が不自由な人は上半身の筋肉が発達していたり、目の見えない人はその分聴覚が鋭くなったりするのがそれですね。イツキさんの義肢にも同様のことが起こっていると私は思うのです」

 どうして、そんなことが起こっているのだろうか。

 別に特別なことをしているわけではないはずなのだけど。ただ闘気を纏わせて、使って……。

「もしかして、……闘気を使っているからですか」

「私も同じように考えます。イツキさんは、闘気のことを生命力そのものだと話しましたね。それをもとに考えるなら、義肢に闘気を纏わせることは、生命力を宿すことと同義。すなわち、この義肢は生きているんです」

「義肢が生きて……」

 僕の義肢は木製の物だし、もともと生きていたと言えば生きていた。けど、すでに切り出され、乾燥させた木材に水をやったって木は成長したりしない。ということは、新たな生命を誕生させてしまった?まさか、そんな神様みたいな力ではないだろうけど。

 闘気というのは、不思議な力だな。


「この義肢はもう私の作品とはよべませんし、メンテナンスをする必要なんて無くなって行くと思われます。ですが、この先どのように変化していくのか気になりますので、やはり一年ごとの定期メンテナンスとして見せに来てください」

「わかりました」

 もともと闘気での扱いを想定している代物ではないので、僕としても見てもらえると助かる。


「それにしても、闘気という名前を考えた人はナンセンスですね。この力を戦いにしか使わないなんて。なんて野蛮なのでしょう」

 珍しくベンさんが怒っている。

 技術屋として、可能性をつぶす行為が許せないんだろうな。

 

 そんなことを考えていると、外からアグリの声が聞こえてきた。

「イツキ~」

 それから診療所のドアが開き、リルとアグリが顔を出した。

「遊びに来ましたよ」

「リル、アグリ。久しぶり」

「えぇ。()()()()ぐらいね」

 二人は笑いながら僕らへ歩み寄る。

「お邪魔します、ベンさん」

「いらっしゃい。リルさんアグリさん。これからご用事だったのですか」

 ベンさんは二人に挨拶をすると、僕に視線を向ける。

「はい。リルたちと塔の迷宮に行く予定なんです。でも、お昼ごろからのはずだったんですけど」

「アグリが待ちきれなくて」

「今から腕が鳴るよ」

 鳥型獣人のアグリは爪の先をぎらつかせる。それを見て、リルはため息をつく。

「もう、急ぎすぎよ。まだ足の様子を見てもらってるところじゃない」

「いや、大丈夫。もう終わったところだから」

 僕は義肢を足に取り付けると、立ち上がって動作確認をする。

「そう。じゃ少し早いけれど、行きましょうか」

「え」

「今日こそジザを捕まえて四人で行こう!」

 二人はさっそく、意気揚々と外へと歩き始めた。

 ……なんだかんだ、リルも楽しみにしてたんだな。

 

「夕餉までには帰ってこれそうですか?ティビラがまた一緒に食事をしたがっていましたから」

 ティビラというと、あのフクロウおじさんだな。

「なら今日は早めに切り上げましょうか」

「うん。僕たちもベンさんのごはん食べたいし」

「こら、勝手にご相伴にあずかろうとしないの」

「いいですよ。皆で食卓を囲むほうが楽しいですから」

「やった!よ~し。今夜のメインディッシュは第二フロアにいるヘビスナチドリだよ!」

「今から取ってきても、夕飯には間に合わないんじゃない?」

「素早く狩って、素早く戻ってくるのだ」

「それじゃあ、ゆっくりできないじゃないの」

 僕らは笑い合いながら、診療所の玄関をまたぐ。 

 

「いってらっしゃい」

 ベンさんの小さな手に見送られ、僕らは塔の迷宮ヘと速足で駆けていった。

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