2-40
§〈凪〉
あいつの戦いは凄まじいものだった。
光る剣でモリミツの巨大な体を一息に切り裂き、無数の光の剣が宙を舞う。
まるで映画のワンシーンのような激しい戦闘に、俺の胸は熱くなった。心が躍った。
人の原型をとどめていないモリミツの状態に、一抹の不安もなかったとは言わない。
けど、あいつは俺に任せろと言った。
だから俺は安心して見ていられた。
あいつがモリミツに巣くう巨大な竜を切り離した時にも、驚きや興奮はなく、あるのはただ、やってくれたんだという安堵の気持ちだけだった。
切り離された竜と対峙している蒲生は、はたから見ていて、とてつもない緊張感を感じているように見えた。
遠くから見ている俺らでさえ、緊張して誰も口を開かなくなっていたほどだ。目の前で対峙しているあいつがどれ程の重圧を感じているか、想像することさえできない。
けど、あいつならきっと何とかしてくれる。そんな予感があった。
それよりも、今は倒れ込むモリミツの安否が気がかりだった。
「ちょっとモリミツの様子見てくる」
「ちょっとって!?あんた正気!」
「そうだよ。今動くのは危険だ」
確かにそうかもしれないが、そうも言ってられない状況でもある。
「あそこに倒れてたら、竜との闘いに巻き込まれちまうだろ。すぐ戻るから」
俺は制止する二人の声を無視して駆けだした。
俺が走り出すと、俺の周りを飛び回っていた光たちも一緒に付いてくる。
「一人じゃ無茶だ。行くなら僕も」
「あ~もうしょうがないわね!」
光たちばかりでなく、イトや幸も俺の後に続いて走り出した。
モリミツの所までは直ぐに辿り着くことができた。
蒲生と竜は対峙したまま動かず、驚くほど静かだったから。
「モリミツ!」
うつ伏せで倒れ込んでいるモリミツを抱きかかえた時、俺らはその変わり果てた様相に驚き、閉口した。
モリミツの体は、酷く日焼けした後のような浅黒い色に変わっていた。
左の額から伸びた角は消えずに残り、右手に浮き上がっていた模様は痣のようにぼやけていたが消えずに残っている。
「どうしてこんな……だって、あの化け物を引きはしたはずじゃないのか!」
イトは信じられないものを見たかのように驚きの声を上げた。
だが幸の反応は対照的に、苦々しい表情をしていた。
「松岡のやつ……」
幸の言った言葉が気になるが、今はモリミツだ。
竜を引き剝がしたはずなのに、どうしてまだこんな状態なんだ。
……そういえばあいつ、三つの魔獣の血がどうとかって言っていた。
その内の一つがあの竜なのだとしたら、未だ二種類の血がモリミツの中に残っていることになる。
残りの二つも、この竜みたいに引っぱり出せれば、元に戻せるかもしれない。
蒲生から借りた塗り薬を取り出しながら、そんなことを考えていると、突然強い衝撃音が響いた。
まるで重機が倒れたのかと思うほどの、芯まで響く音と振動だった。
「竜の首が……」
「やったのか、蒲生」
だが、様子がおかしい。
倒したはずの蒲生は、その場を動こうとしない。
「……誰かいる?」
いつの間にか、私服姿の地味な女が蒲生の前に立っていた。
その女を見る蒲生は驚きに目を見開いている。
知り合いなのかもしれないが、それにしては反応がおかしい。
女を見る蒲生の顔には、確かな怯えが見えた。
スパッ
「は」
一瞬だった。
一瞬にして、直線状のあらゆるものが切断されていた。
数百メートルは離れているはずの土壁さえ、跡形もなく細切れにされている。
「なんだよあれ……あんなの人間業じゃない」
イトの言葉に全くの同意見だった。
あんなのどうやったらできるのか、見当もつかない。
敵対する女は、蒲生に攻撃をはじめる。
俺らは、蒲生が必死に何かを躱している様子を、固唾を飲んで見守っていた。
だが、その時だった。
「片田舎の組織と侮っていましたが、まさかあんな隠し球があったとは。なかなかどうして、侮れませんねぇ」
「え、だれ?」
「てめぇ!何しに戻ってきやがった!」
いつの間にか、イトの横にジェンティーレと名乗ったおっさんが居た。
「おや、初めての顔がありますね」
おっさんは、幸を見て眉を上げた。
幸は何かを考えるそぶりをした後、おっさんに話しかけた。
「あなた、ニーズヘッグのメンバーね」
「おやおや、随分と御大層な名前で呼んでくれるのですね」
「ニーズヘッグ?」
「奴らの組織の名前よ」
そうか、こいつらはそんな名前だったのか!
「よくもモリミツをこんな姿にしてくれたな!」
おっさんは、目線だけを俺に向けた。
だが、俺のことなど大して気にもしていないように涼しい顔をしている。
「そろそろクライマックスのようですよ」
蒲生と女の決着は呆気なく付いた。
女が白く光りだしたと思ったら、また知らない女が乱入してきて、二人の争いを止めたのだ。
乱入してきた方の女は、蒲生と楽し気に会話をしていて、既知の仲であることはすぐに分かった。
よくわからないが、蒲生が無事でよかった。
俺はホッとして、おっさんがすぐ隣に居ることも忘れていた。
「面白いものも見れましたし、そろそろ此処に来た目的を果たさせていただきますか」
おっさんはモリミツをつかみ上げ、小脇に抱えた。
「も、モリミツを、どうするつもりですか!」
イトの言葉に、おっさんは恥ずかしげもなく欺瞞を口にする。
「手当をするんですよ。何せ、彼は私達の大切な仲間ですからねぇ」
「仲間だと!どの口が言ってんだ!」
「志を共にする同志と言ってもいい。なにせ、彼はもう人殺しの住人ですからね」
「てめぇ!!」
もう我慢ならねぇ!
俺はおっさんの襟首を掴んで殴りつけようとした。
だが、触れることができなかった。
襟首をつかもうとした指が、腕ごとすり抜けてしまった。
「触れねぇ!どうなってんだ!」
「当然ですよ。私はあなた方と同じ世界にはいないのですから」
「どういう意味だよ」
「少しは自分で考えたらどうですか、と言っても詮無いことか。——では、ごきげんよう」
おっさんは踵を返し、去って行こうとする。
だが、その時——煌びやかな光剣が飛んできた。
目にも止まらぬ速度で飛ぶ剣は、おっさんの横顔を掠めていく。
バリッ
「む?これは……」
剣の飛んできた方を見ると、蒲生が歩いてきていた。
「あなたが男爵ですね」
鋭い口調の蒲生は、おっさんを睨みつけていた。
こんなに冷ややかな態度の蒲生は、今まで見たことがなかった。
「ミチカくんが言っていたのかね。全く、勝手に人の情報を教えるなんて」
やれやれ、といった具合におっさんは首を振る。
「モリミツを、どうするつもりですか」
「持って帰るんですよ。実験後のサンプルの状態を事細かに記録しなくてはいけない。次のためにね」
「モリミツを引き渡してください。すぐにでも手当てしないといけない状態なんです。今なら手荒な真似はしません」
「引き渡したとて、君たちにどうにかできるとは思えませんが」
おっさんは、わざとらしく肩をすくめた。
「彼の変質した体を見て、医者もさじを投げることでしょう。それとも、彼女らに助けを乞いますか?今さっき殺されかけていたばかりなのに」
「……あなたなら、モリミツを治せると」
「当然だとも。誰が彼をこんなにしたと思っているんだね」
「クソが」
いけしゃあしゃあと宣うおっさんを殴りつけたくなったが、当たらないことを思い出し、自分の足に拳をぶつけた。
おっさんの言葉を、蒲生は目を閉じて、少し試案しているようだった。
それからゆっくりと目を開けると、蒲生は言った。
「なら、僕も連れていけ」
「蒲生!」
「僕を引き入れたかったんでしょ。あなた方からしたら好都合なことだと思うけど」
「ふむ。確かに、我々の目的のためにはあなたの協力が必要不可欠だ。だが少し違う」
「どう言うこと」
「あなたが必要なのではなく、あなたの持っている鍵が必要なのですよ」
「鍵?」
「そう。憲継さん……あなたのおじいさんが残した忘れ形見。いつか必ず、取り戻しに来ますよ」
おっさんはそう言いながら、少しずつ体を薄くさせていった。
こいつ、逃げる気か!
「行かせない!」
蒲生は桜色の斬撃をおっさんに飛ばした。
おっさんはそれを、険しい表情で見据え、大げさに回避行動を取った。
ビシィ!
「やはりその技!こちら側に干渉できるのか!」
おっさんの周囲の空間は、斬撃の形に割れ、その部分だけ黒い綻びとなって見えた。
「侮れないですねぇ。えぇ侮れない。このまま暴かれてしまう前に、退散させていただきますよ!」
おっさんが目を見開くと、そこから重なり合った星型の多角形が浮き上がる。
それを見た瞬間。俺はまた身動きが取れなくなった。
だが、蒲生はなんの痛痒も感じていないかのように動き、迷わず剣で星を切り裂いた。
目をつぶっている?
おっさんの技を切り裂いた蒲生だったが、その場にはもう、おっさんとモリミツの姿はなかった。
◇◆◇◆
逃してしまった。
任せろと、啖呵を切ったのに。
恥ずかしい。が、それ以上に申し訳が立たない。
「ごめん。助けるって言ったのに」
「……いや、蒲生はよくやってくれたよ」
江畑くんは、慰めるようにそう言ってくれた。
「そうよ。あんな訳分からない状況でよくここまでこれたわよね」
桐生さんも、僕のことを責めたりはせず、逆に労わってくれる。
「ってか、ちゃんと教えてくれるんでしょうね!もう何から聞いたらいいかわからないわよ!」
「ごめんごめん。ちゃんと話すから」
僕が桐生さんをなだめていると、イトが話しかけてくる。
「蒲生、助けてくれてありがとう」
「……うん」
「いや、お前を助けたのは俺だぞ」
「え、ほんとに?」
「まじだって。蒲生もうんじゃねぇよ」
「あー、……そうなんだ。うん、ありがとう」
「おい、絶対信じてないだろ」
「凪が言うと、なんか胡散臭いのよねぇ」
「おいふざけんなよ。俺がどれだけ頑張ったと思ってんだよ」
「あははは」
いつものみんなのやり取りを聞いていると、少し気持ちが落ち着いた。
話をしている内、周りが騒がしくなって来ているのに気が付いた。
見ると、灰色の袴姿の人たちが走り回っていた。
以前屋敷で見かけた服。あれはきっと安曇家の人たちだ。
カナちゃんも緊急信号がどうとかって言っていたし、この地域を管轄しているなら出張ってきていてもおかしくはない。逆に少し遅すぎなくらいだ。
白い袴姿の人たちも見える。
その中に、忙しなく指示を飛ばす刈萱さんの姿も見えた。ならあの白袴の集団が柯無薙隊なのだろう。
彼らは壊れた電柱や割れたアスファルトに手をかざし、不思議な力で修復していた。
あれも、魔法なのだろうか。
刈萱さんは僕を見つけると、走り寄ってきた。
「稲置様、いらっしゃったのですね」
「……」
……彼らの中で、僕はまだ稲置さんなのか。
「彼らは?保護されたのですか」
江畑くん達を見る刈萱さんは、怪訝そうに眉を寄せていた。
特に江畑くんの周りを飛び回る光の粒を注視しているようだった。
「僕の友達です」
「……そうですか」
刈萱さんは何か言いたげな様子だったが、首を振り、話を変えた。
「御恥ずかしながら我々も今到着したばかりでして、情報の共有をお願いしたいのですが」
「わかりました。でも、少し待ってくれませんか。話を付けて来ます」
「話というのは……」
僕は刈萱さんの質問に答えず、じっと彼を見つめた。
「……いえ。わかりました。終わり次第、お願いします」
「はい。江畑くん達も、少し待ってて」
「あ、あぁ」
僕は彼らに断って、稲置さんの方へと歩いて行った。
「ねぇ、どうして天使ちゃんを虐めてたの?何か嫌なことされたの?ねぇ~無視しないでよ~ねぇったら~」
稲置さんの所では、カナちゃんが座り込んで彼女に話しかけていた。
「カナちゃん、何してるの?」
「天使ちゃん!」
カナちゃんは嬉しそうに僕の方へ駆けてくる。
「今あの子とお話してたの。でも何も話してくれなくって」
「そうなんだ」
敵という認識だったはずなのに、のんきに話しかけているなんて。
抜けているというかなんというか……。
「カナちゃん。僕もあの子と話をしたいんだけど、いいかな」
「もちろん。一緒にお話ししよ」
「うん。でも今はあの子と二人で大事な話をしたいんだ」
「私もお話ししたいなぁ」
「ごめんね。でも、カナちゃんには他にやってて欲しいことがあるんだ」
「やっててほしいことって!何!何すればいい!」
「カナちゃんには、お話の邪魔をされないように見張っててもらいたいんだ」
「任せて!しっかり見張ってるから!」
「お願いね。見張ってるとき、誰も入ってこないようにって、祈っててくれる?」
「わかった!」
カナちゃんは、胸の前で両手を組むと難しい顔をし始めた。
「入ってくるなぁ、入ってくるなぁ~~!」
「……」
うまくいったかな。
そっと手を伸ばすと、見えない壁ができていた。
カナちゃんは無意識でいつも結界を張っているんだな。
どうりであの時、振りほどけなかったわけだ。
安曇家に引っ張られていった時のことを思い出し、僕は一人苦笑した。
それから僕は、稲置さんに向き合った。
「逃げようとはしないんだね」
稲置さんは目を閉じ、静かに正座をしていた。
「無駄な行動はしない」
「そう」
「要件は」
簡潔にものを言う人だな。
この人はきっと、理屈で物を考える人だろう。
ならきっと、うまくいくはず。
僕は思い切って、稲置さんに一つの提案をした。
「稲置さん。僕と取引をしよう」
「取引?」
「稲置さんは、自分の姿をさらしたくないんでしょう」
「なぜ」
稲置さんは閉じていた目を開け、僕を見た。
「一度安曇家に行ったことあるんだけど、誰もがあなたのことを敬っていた。あなたは安曇家の中で重要なポジションを与えられているはず。であるにもかかわらず、誰もあなたの顔を知らない。末端の人間ならともかく、本家の嫡子まで知らないというのはおかしい。いや不可解だ」
屋敷の中では、噂ばかりが飛び交っていた。僕の顔を見て誰もが稲置さんだと勘違いするほどに。
意図的に情報を操作していたんだろう。それも徹底的に。
「あなたは、顔を曝せない理由があるんでしょ」
「だったら、なんだっていうの」
「僕が矢面に立つ。幸い、僕は未だ安曇家の人たちに稲置さんだと誤解されたままだ。僕という隠れ蓑ができれば、あなたも動きやすいはずだ」
僕が稲置ではないことを安曇家が否定しなかったのも、きっと理由があるはず。
「……何が狙い」
稲置さんの目が、鋭くなる。
「保身のため、というのが一番の理由だよ。安曇家の……あの集団はそれなりの規模だ。偽物だと暴かれたとき、逃げ切れる自信はない」
あるいは僕だけなら逃げ切ることができるかもしれない。
でも今は、江畑くんたちも巻き込まれてしまっている。
彼らが江畑くんたちをどうするかわからない以上、下手に逃げの選択はしたくない。
それに——
「今回の一連の事件の首謀者、名前のないあの集団に、僕の祖父が関わっているかもしれないんだ。彼らのことを教えてほしい」
「祖父?どういうこと」
「その情報も含めての取引だと思ってほしい」
どうだろうか。
稲置さんは悩むように眉を寄せている。
感触は悪くないはずだが。
「私の一存では決められない」
そう言って、稲置さんは僕を見つめた。
まだ少し、足りないか。
あと一歩だと思うのだが。
僕は焦りを感じた。
検討してもらうのはいい。だが、今は時間がないんだ。
ほかの人はまだいいが、江畑くんの周りを飛ぶあの光。あれはダメだ。
あれが何かは知らないけど、あれを安曇家が放っておくはずがない。
交渉が決裂した際、江畑くんがどうなるか未知数なのだ。
だから今ここで、確約が欲しい。僕の友人の、安全のために。
何かないだろうか。何か。交渉を進める最後の一ピースが。
その時、電話の着信音が鳴った。
それは透明な壁の内側、稲置さんの側からなっているようだった。
稲置さんはポケットからスマホを取り出すと、少し操作し耳元に当てた。
「はい……はい……わかりました」
稲置さんが幾らか相槌を打つと、電話は切れた。
スマホを膝の上に乗せると、稲置さんは正座のまま僕を見上げた。
「提案を受ける」
「本当に!」
良かった!
このまま押し問答になっていたらどうしようかと思ったよ。
「明日、当主に会ってもらう」
「明日、ですか」
「拒否権はない」
さっきの電話は、上司……家を束ねる家長のような人からの電話だろうか。
どうしてあのタイミングでかかってきたのだろうか。
見張られていた?いや、聞こえていたのか。この結界の中の声が。
……今は、考えていても答えは出ないか。
ま、なんにせよ。
「丸く収まってよかった」
ほっとして、僕は一つ伸びをした。
取引が成立したということは、もう稲置さんを閉じ込めておく必要はない。
カナちゃんにはまた、結界を解いてもらわなくてはいけないな。
振り返ってカナちゃんを探すと、彼女は見張ているのも早々に飽きたようで、座り込んで小石で遊び始めていた。
飽きっぽいなぁ。
「カナちゃーん。またマジックやるよー」
「マジック!私もやる~!」
はぁ、今日は長い一日だったな。
予備隊に手当てを受ける江畑くんたちを横目に、僕はそんなことを思った。




