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2-39

「当主の命により、お前を殺す」

「ま、待っ——!」

 制止の声に耳を貸さず、稲置さんは僕へ向けて指を伸ばした。


 

 直感が働いた。

 いや直感どころじゃない。僕の目が、耳が、手足が、爪が、髪が、脳が、全身がそれを予感した——僕の死を。

「あ……うわぁぁぁ!!」

 迫りくる死から、僕は反射的に逃げた。

 大げさに、倒れ込むように。

 

 スパッ 

 僕と稲置さんを繋ぐ直線状にあった瓦礫が、すべて音もなく切り裂かれていた。

 嫌な予感がして後ろを振り返ると、巨大な土壁が切り裂かれており、その奥に見える信号機も、消火栓も、ビルの壁も、目視で見える範囲すべてが切断されていた。

 

 ゾワリと、全身の毛が総毛立った。

 

「躱した……」

 稲置さんは無表情のまま首を傾げさえしないが、少しだけ驚いているように見えた。


 なんて攻撃だ。

 音もなく、見ることさえできない不可視の刃。

 威力も射程も、僕の技(シノグロッサム)をはるかに上回っている。

 

 この人と戦ってはダメだと、この攻撃を見て悟った。


 

「誤解なんだ!僕から名乗ったわけじゃない!」

 少しでも和解の余地があるならと、僕は必至で彼女を説得に掛かる。

「周りが勝手に勘違いしただけで……」

「否定しなかったのは何故」

 稲置さんの鋭い質問に、言葉が詰まる。

「それは、仕方なく……でも悪気はなくて!本当なんだ!」

「都合のいい事実ばかりを羅列して真実を歪めるのがお前のやり口?」

「……」

 ぐうの音も出ない。僕はあの場を切り抜けるためとはいえ、勘違いされている状況を利用していた。

 ただ逃げるだけならまだ情状酌量の余地はあったかもしれない。だが僕はダンジョンのことを聞きたくて、稲置さんの立場を利用したんだ。

 好意的に接してくれる人たちをだまして。

 これはその罰なのだろうか。

 

「どんなことを言われようと、私は命令に従うだけ」

 稲置さんはまた指を向けてくる。


「うわぁ!」

 今度は連続で、不可視の刃が僕を襲う。

 僕はそれを感覚だけを頼りに躱していく。

 幾本も、幾本も、地面に細い線が走るたびに、僕の動悸は激しくなる。

 少しでも当たれば、きっとこの鎧でさえ何の抵抗もなく切断されてしまう。

 戦うしか、ないのか。

 

 我武者羅に逃げながら、少しでも情報を得るため、稲置さんのステータスを確認しようとした。だが——


【error 使用者の権限では情報を閲覧出来ません】

「そんなこと……」

 

 権限が足りない?どういうことだ。

 稲置さんも、管理者スキルというのを持っているのか?


 

 僕が動揺していると、彼女も手を止め眉を寄せていた。

「ステータスを見ようとした?」

「っ!!」

 どうしてバレたんだ。

 お姉さんの声が聞こえた?

 それとも、向こうにもアナウンスがあったのか。

 

 夜の闇を詰め込んだような真っ黒な瞳が僕を映す。

「やはり危険な存在。排除する」

「待ってよ!今それどころじゃないんだ!」


「ゲホッ」

 咳き込む声に視線を稲置さんから外すと、モリミツのところに江畑くんたちが集まっていた。

 血を吐いている!どうして!?

 あの竜と分離されたからか。

 それでなくても、今のモリミツは魔獣の因子が混ざっておかしなことになっているんだ。何が起こってもおかしくはない。

 僕はもう一度モリミツのステータスを覗き見る。しかし、その数値は変化していなかった。

 ……くそ、ステータスだけじゃ、体の状況が分からない。

 もしかすると、手当をしなければ命に係わるかもしれない。

 

「休戦しよう!モリミツを医者に見せてあげたいんだ」

 稲置さんはちらとモリミツを見る。が、再び表情のない顔を僕に向ける。

「私には関係ない」

「なっ!人の命がかかってるんだよ!」

「知らない奴の命なんて、私には関係ないと言っている」

 本気で、言ってるのか。

「それに、敵の意見に耳を貸す奴なんていない」 

「この……っ!分からず屋!」

 感情に任せて一之剣(シノグロッサム)を繰り出すが、それさえもきれいに切断されてしまう。


 くそっ!

 せめて、この攻撃が何かさえわかれば……。

 僕がそう考えていると、今まで黙っていたお姉さんが僕に囁きかけてきた。


【敵の攻撃は物理攻撃によるものだと推測されます】

 物理?

 魔法じゃないってこと?

【身体強化を目に集中させることを提案します】

 身体強化を……目に。

 感覚だけにしか頼れなかった僕は、藁にも縋る思いで、ほとんど無意識的に闘気を目に集中させた。


「これは!」

 目に闘気を集めると、目に映る僕の世界がにわかに輝きだした。

 土の中から伸びる草。土に含まれる大地の力。虫や木々、周りの人達の生命力。

 生命の息吹とでも言うべきものが、鮮やかな色彩を持って僕の目に飛び込んでくる。

 

 闘気は、生命力そのもの。

 以前、リルが言っていた言葉が頭をよぎる。

 この眼は、生命力を見ることができるのか。


 色彩の鮮やかさに圧倒されてすぐに気付かなかったが、 純粋な視力も向上しているのが分かる。

 

 見えた。

 糸だ。細い、限りなく細い糸。

 まるで生きているかのような、生命力に溢れた細い糸が、彼女の右の手のひら——いや、袖の下から伸びていた。

 全部で五本、すべてをバラバラに動かしているのが分かる。

 僕はすぐそばまで来ていた糸を、上体を反らすように躱した。

 

「……」

 僕の動きが変わったことに気づいたのか、彼女の目が鋭くなる。

 

 少し分かってきた。

 彼女の攻撃は切断できないものがないほど強力に見えるが、反面速度はあまりない。

 一度に畳みかけるような攻撃も、軌道が見えてしまえば恐るるに足りない。

 

 右から一本。

 左から二本。

 時間差で左右から二本。

 僕は稲置さんの飛ばす糸を最小限の動きで躱しながら、距離を詰めていく。

 見えることで攻撃を予測することが出来るようになり、格段に躱しやすくなった。

 だが、少しでも当たればその部分は切断されてしまう。じっとりと汗をかきながら神経を研ぎ澄ませ、躱して行く。

 左からの時間差三本。ここだ!

 僕はその隙間を縫うように躱し、彼女の目前に迫った。

 だが、彼女落ち着いた表情で僕を見ていた。

 

 ここまで接近されて、どうしてここまで落ち着いていられる。

 僕は少し嫌な予感がした。

 

 彼女は表情の抜け落ちた顔で、徐に左腕を上げた。

 

「まさか!」

 左腕の袖からも五本の糸が飛び出してきた。

 右からも計ったように糸が迫る。

 至近距離からの面攻撃!

 これは!躱せない!

 

 

 ——だが、躱せないのなら、躱す必要なんてない。

〈マーリン〉

 僕は一瞬で稲置さんの右側面に移動した。

 

 この歩法は、ただの高速移動なんかじゃない。

 移動したと世界に錯覚させる歩法。

 目視できる場所であるなら、距離や遮蔽物など意味を持たない。

 僕を行きたい場所へと届けてくれる。瞬間移動のごとき虚の歩み。


 

 ここに来て、初めて稲置さんの表情が崩れた。

 驚きに見開かれた瞳が僕を捉える。

 僕はそれを少し楽しく思いながら、剣を稲置さんの首に突き付けた。

「チェックメイトだ、稲置さん。話を聞いてもらうよ」

 

 

 剣を突き付けられた稲置さんは、しばらく微動だにせず僕を見つめていた。

 何を考えているのだろうか。

 至近距離で見つめた彼女の目は、どこか虚ろに見えた。

 僕を見ているというよりは、目を開けているだけで、その瞳には何も映していないように感じられた。

 

 稲置さんは一つため息をつくと、独り言のように呟く。


「被害が大きくなるから、上じゃ使わないよう言われていたんだけど」

「なにを言って……」

 

 バチッ

 

 静電気のような音がした。

 かと思うと、構えていた剣が強い力で弾かれた。

 僕はたまらず、たたらを踏みなが後ろへと下がる。

 何が起こったのかと稲置さんを見ると、彼女は体中から真っ白な電気を迸らせていた。

 

「白い……電気」

 彼女の体からは、今まで感じたこともない程のとてつもない力を感じた。

 

「これは……そうか、これが」

 初めから疑問だったんだ。

 噂では、稲置さんはとても奇抜な格好をしている人のはずだった。

 だが、会ってみると、黒髪黒目のどこにでもいそうな女の子だった。

 はじめは自分を隠すためのプロパガンダかと思った。

 けど、そうじゃなかった。


 白い電気を帯電し始めた彼女は、肌も髪も瞳までもが、白銀色に輝き出していた。

 その姿は、まるで神話に出てくる神様のような神々しさを纏っているように感じられた。

 

 僕は、その姿に畏敬の念を抱かずにはいられなかった。

 



「偽物が、私の視界に入るな」

 

〈雷神合一 白牙雷鳴〉

 

 放たれた白い雷は、瞬きの間に僕に到達する。

 よけることも、防ぐことも叶わない。神速の一撃。

 僕はそれを、ただ黙ってみているしかできなかった。

 

 

 だがその刹那、叫び声が聞こえた。

 

「ダメーー!!」

 

 バチン!

 僕の目の前で、白い雷がはじけ飛んだ。

 

 痛みはなかった。攻撃が、僕へと届かなかったんだ。

 どうして……これのお蔭?

 僕が手を前に伸ばすと、ひたっ、と滑らかな何かに触れた。透明な壁——結界だ。


「酷いことしないでー!」

 叫び声のする方を見ると、誰かが走ってきていた。

 走っている……はずなのだが、とても遅い。

 あ、転んだ。

 直ぐに起き上がるが、髪留めがほどけたのか、長い髪がぼさぼさと揺れる。

 

 近くまで来なくても、彼女が誰だかすぐに分かった。


「天使ちゃんをいじめないで!!」

「カナちゃん!」

 私服姿のカナちゃんは、稲置さんの前に立って両手を広げた。

 

「どうしてカナちゃんが此処に!?」

 走ってきて疲れたのか、カナちゃんは少し息を切らしていた。

「ふぅ、はぁ。……えっとね。緊急信号でね。ふぅ、近くで遊んでたから、はぁ、現地集合なの」

 うーん。いつも通り、要領を得ない。

「というかこれ、カナちゃんがやったの?」

「えっ、私がやったの?何を?」

「え?……これの事だけど」

 僕は結界をコンコンと叩く。

「わ、すごい透明なガラスだね~」

 あぁ、そうだった。これがカナちゃんだった。


 稲置さんを見ると、あちらにも透明な結界が張られているようだった。

 電気を放とうとして、はじかれている姿が見える。

「そうか、これが鞍馬の……」

「鞍馬の?」


 白く光っていた髪が元の色に戻っていく。

 諦めたのか?


「天使ちゃん」

「どうしたの」

「あの子誰?敵?」

 ……そうだった。稲置さんの顔はほとんど誰も知らないんだった。

「……今は味方じゃないとだけ、言っておこうかな」

「敵ってこと?」

「場合によっては、ね。それよりカナちゃん。このガラス消せる?」

 カナちゃんは首をかしげる。

「ガラスを消すってなに?私マジックなんてできないよ」

「あぁ……そうだよね」

 う~ん。どういったら伝わるだろうか。

「……じゃあ、ガラスを退かすのを手伝ってくれない?」

「いいよ~」

 カナちゃんは意気揚々と結界に手を触れる。

 すると、結界は跡形もなく消えていった。

「消えちゃった!マジックだぁ!すごいすごい!」

「はは……すごいのは、カナちゃんなんだけどな」

 稲置さんの攻撃を防げる結界を出せるカナちゃんって、いったい何者なのだろうか。

「どうして?」

 本人は、自分のすごさに気づいていない。

 そこがカナちゃんらしくて、少し可笑しかった。


「いな……あっちの人のガラスは絶対触らないでてね!」

「わかった!」

 僕はカナちゃんにそういい含めて、モリミツのところに急いだ。

 だが僕が目を向けたとき、江畑くんたちの状況は変わっていた。

 

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