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§〈モリミツ〉
俺は、何をしてるんだろう。
何をしていたんだろう。
左手がひどく痛む。
何か、恐ろしいことをした気がするのだが、何も思い出せない。
今どこを歩いているのかも、わからない。
俺は、何がしたかったんだっけ。
お前は逃げてるんだよ。
俺の中で、誰かがしゃべる。
この世のどうしようもない理不尽から、逃げてるんだ
「うるさい」
必死に嚙んでいる唇から血があふれだしてくる。
俺は、それを無意識に啜りながら、俺のしようとしていたことを思い出す。
「強くなりたかった」
何のために
「強く、なりたかったんだ」
誰のために
「強くなって、皆を……翔太を、守れるぐらいに」
欺瞞だな
俺の中の声は言う。
お前は自分の本心にも気づいていない。いや、気づきたくないだけだろう。浅ましいまでの、己の自己愛に
「黙れよ」
守りたかった?笑わせる。お前が守りたいのは自分自身だろう
「お前に何が分かる!」
叫んでも、その声は飄々として、俺の言葉を取り合おうとはしない。
思い出させてやろうか。お前が見ないふりを決め込んでいる、あの日の真実を。
その声は、いとも容易く、俺の心の闇を暴き出す。
お前が見た『目』は犯人の目なんかじゃない。犯人になぶられている弟の目だよ。
「嘘だ」
どうして見ているのに助けてくれないんだと。非難し、絶望している弟の目。
「違う」
お前は怖かったんだ。助けて、助けてと叫び続ける弟の声を無視して、それでも息を殺し続けた自分の罪が。
「違う!」
向き合いたくなくて、忘れたふりしてただけだ。
「黙れよ!!」
いい加減気づけよ。お前はもう、他者といること自体が怖いんだ。
声は優しく俺に語り掛ける。
他のすべてを排除してこそ、お前は安寧を得られるんだ。
「あんねい……」
その言葉は、甘く煮詰めたジャムのような、甘美な響きをしていた。
翔太のためじゃない、お前のためにお前を守る力が欲しかっただけだ。
俺は、……俺は!
ほうら、お前の平穏を脅かすものがやって来たぞ。
「モリミツ!よかった。無事だった!」
敵だ!殺せ!
ギロッ
◇◆◇◆
鉄格子のなかには、不気味な生き物が詰め込まれていた。
犬なのか猫なのか、毛むくじゃらな生き物から、うろこでおおわれた生き物、乾燥してひび割れた表皮の生き物まで。ありとあらゆる生き物を集めてきたかのようで、一つとなく同じ生き物はいなかった。
シルエットはわからない。それは薄暗いためではなかった。
格子に体を押し付けられているかのように、ぎちぎちに詰め込まれているからだ。
それは、まるで鉄格子の内部で膨れ上がったかのような隙間のなさだった。
「何なのよ、これ」
「この生き物は、一体……」
「ここら辺の子たちは、魔獣の因子を多量に取り込ませる実験に使ってたの」
「魔獣?何言ってるの」
松岡さんは、桐生さんの事を無視し、自分の実験の成果を誇るように饒舌に話し出す。
「魔獣の因子は少量であれば、体への影響は少ないんだけど、多量に注入すると拒絶反応を起こして、体が崩れてしまうの。でも、一度体から切り離した状態で因子と馴染ませることで崩壊を抑えることができるようになったの。そしてそれを培養して体に戻してみるとね、なんと体が膨張しだしたの。面白いでしょぅ!」
「だから、何言ってるのよ!」
「……あなたには言ってもわからないわよ。煩いから黙ってなさい」
「命令しないでよ!」
ズズン
建物内が大きく揺れた。
「魔獣の因子って、迷宮にいる?」
「そうよぉ。そこから実験のサンプルを持ってきてもらってるの」
「その実験に、どんな意味があるの」
「意味……面白いからよ」
松岡さんは、少しだけ言い淀む。
正直に話すつもりはないらしい。
「この生き物たち、可哀そうだよ。出してあげられないの」
「むりね。そこから出ると、際限なく膨張を始めるの。あそこに閉じ込めているのは私なりの優しさなのよ」
彼女はニコリと笑った。
「優しいなら、初めからそんなことするんじゃ――」
「黙ってろって聞こえなかったの」
松岡さんは桐生さんを睨みつける。
ドスの効いたその声におびえた桐生さんは、僕の腕をぎゅっとつかんだ。
けど、彼女は引き下がらなかった。
「なんで私にだけ、そんな態度なのよ」
「見てて分からないの、あなたが嫌いだからよ」
吐き捨てるような口調だった。
「あんたみたいなのを見てると、腹が立ってくる。自分が正しいと信じて疑わない。狭い世界の常識にとらわれて、それがすべてだと言わんばかりの言いぐさをする。そこまではまだいいわよ。でも、あなたが最悪なのはそれを相手に強要する行為よ!何か自分の知識と齟齬があるたびに、わめき騒ぎ、自分の意見が正当であると声高に主張する。害悪以外の何物でもない。反吐が出る!」
「そんなことしてないわよ!」
「その無自覚さが嫌いだって言ってるのよ!」
松岡さんは話すうち、どんどん語気が強くなっていく。
「喚けば何でも教えてくれると思っているの!バカじゃないの!赤子のようにただして貰うのを待ってるだけで、誰かが教えてくれないと何もできないくせに!いっちょ前に意気がるなよ!意地汚い、卑しい、人間のクズ!あなたみたいなのがいるから!私は!!」
そこで、松岡さんは一度会話をやめた。
彼女の叫び声は、金属の廊下を伝い遠くまで響いていた。
桐生さんは、彼女の怒気に当てられ、何も言えずにいるようだった。
「初めに行ったでしょう。私は蒲生くんにだけ用があるの。あなたは、いらないのよ。ここで殺したっていいのよ。……そうよ殺してしまえばいいんだわ。そうすれば――」
殺すという、不穏な言葉を使う松岡さんに危機感を抱き、矛先を変えようと僕は口を開く。
「それより、モリミツはどうなったの。ここにいるんでしょ」
「モリミツ?……ふふん。聞きたい~」
松岡さんはけろりと態度を変え、楽しそうに話し出す。
桐生さんは、僕の後ろでほっと息を吐いた。
「ここの生き物たちは全部失敗作。どれも膨張が止まらなくってね。その理由を考えていたんだけど、迷宮にいる魔獣にもシステムはインストールされてるんじゃないかって考えたの。そこで次の実験では、システムをインストールされている生き物が良いと思ったの」
確かに、ダンジョンの魔獣にはシステムがインストールされている節がある。
ダンジョンの魔獣は、ステータスが見れるのだ。
松岡さんの意見は正鵠を射ていると言える。
そこが少し、恐ろしいと感じた。
「でもほかの生き物じゃシステムがインストールされたかわからないのよ。だから――」
「……人間を」
「そう。システムというのは良く出来てるわぁ。その人の体を常に最適な状態に戻そうとする力が働いているようなの。膨張しては治り、膨張しては治りを繰り返して、あれはすごかったわぁ」
うっとりした様子で話す。
僕は、友達の惨たらしい惨状を嬉々として話す松岡さんに例えようもない怒りを感じ、血が出そうなほど拳を強く握り込んだ。
「男爵に手伝ってもらいながらようやく形を成したんだけど、まだ不安定で。分裂病みたいにぶつぶつ一人で何か喋ってて、ちょっと不気味ね。でも、すごいのよ。モリミツったら、魔獣の因子と適合しただけじゃなく、迷宮と――」
聞くに堪えない。
僕は松岡さんの言葉を遮るように言葉をぶつける。
「モリミツはどこにいるの」
今にも沸騰しそうな怒りを抑えながら、僕は冷静に聞く。
「う~ん。それがねぇ、元気になりすぎちゃって、外に飛び出して行っちゃったのよ」
ズズン
地下室が、揺れる。
「今頃は、外で大暴れしているかもねぇ」
ズズン
ズズズン
さっきから聞こえていたこの音。これは――
「まさか!」
ドォォォン
ひときわ大きな音と共に、地下室が大きく揺れた。
「出口はどこ!」
僕の焦りを鼻で笑うように、松岡さんは頭の可笑しな提案をしてくる。
「私たちの組織に入るなら教えてあげる」
「なるわけないだろ!バカじゃないのか!」
ここまでのことを聞いて、組織に入りたいという人なんているわけがない。
「そう」
松岡さんは、少しおどけて肩をすくめた。
「男爵にね、蒲生くんを勧誘するよう言われてたんだけど、もう一つ言われていることがあるの」
松岡さんは魔力のこもった手を持ち上げ、水平に振った。
すると、周りにある鉄格子のカギが独りでに開き、中から実験体がはじけ出てくる。
「仲間にならないなら、魂だけでも抜いてこいってね」
急激に巨大化した実験動物たちは、僕へ向けて敵意をむき出しにしてくる。
ここに連れてきたのは、これが狙いだったんだ。
「今ならまだ、間に合うわよ」
「お断りだね。教えてくれないなら来た道を戻るだけだ」
「そんなお荷物を抱えて?」
言われて、はっとした。今は、一人じゃないんだ。
桐生さんを見ると、僕の背中で震えていた。
彼女を守りながら、ここから出ることはできるだろうか。
「早くしてね。じゃないと私も生き埋めになっちゃいそうだから」
解き放たれた実験体は肥大化を続け、退路は着実に狭まってきている。
慎重に、素早く考えるんだ。ここからの打開策を。
「もういっそ、二人一緒に、私の実験体になっちゃおうか」




