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 §〈モリミツ〉

 

 小学校の頃の俺は線が細く、華奢な体格をしていたが、今よりずっとやんちゃだった。

 クラスメイトを無暗に揶揄っては泣かせたり、リードで繋がれた番犬にちょっかいを掛けては怒らせたりと、どこにでもいそうなクソガキだった。

 お山の大将を気取っていたわけではないが、クラスのリーダー的なポジションだったのは確かだ。

 その頃はまだ引っ込み思案だったイトや、教室の隅で本を読むような静かな性格の凪を連れて、風を切るように歩いていた。

 すべてが順風満帆で、きっとこの頃が俺の人生の絶頂期だったんだろうと、振り返ってみてそう思う。


 そんなある日、俺は学校を休んで、家でゲームをしていた。

 その当時、赤い帽子のおじさんが冒険するゲームの新作が出たばかりで、クラスでは誰が一番早くクリア出来るかという話題で持ちきりだった。

 親にねだって発売当日に買ってもらった俺は、クラスメイトより先にクリアするため、風邪をひいたと嘘をついて学校を休んだんだ。

 誰よりも早くクリアして、クラスの皆に自慢したかったから。 

 その日は母親が商店街の集まりで夕方まで出かける予定で、好きだった理科の授業もない。休むには、ちょうど良い日だった。

 

 お昼を過ぎた頃だっただろうか。

 夢中でゲームを進めていると、玄関から誰かが入ってくる音がした。

 俺は母さんが帰って来たのかと思い、急いでゲームを片付けてクローゼットの中に逃げ込んだ。

 夕方まで出かける予定だって聞いてたのに。母さんにバレたらしこたま怒られる!

 俺はそんなことばかり考え、絶対に見つかるもんかと息を殺していた。

 

 けど、家に入ってきたのは知らない男だった。

 マスクに帽子をかぶり、人相はわからなかったが、酷く焦っているような挙動不審な態度で周囲を見回していた。

 ギョッとして動けないでいると、誰もいないことを確認した男は、急に引き出しの中を開けて、中に入っている物を外にぶちまけ始めた。

 

 怖かった。

 急に知らない男が家の中に入ってきただけでも恐ろしいのに、ぶつぶつ独り言を言いながら家を荒らしまわるのだ。

 箪笥の中の物は床にばらまかれ、ソファは倒され、布団は引き裂かれていく。

 飾っていた花瓶はいつの間にか床に落ち、割れていた。

 

 大声をあげて、襲い掛かってやる。後ろから殴りつけたら一発だ。俺ならできる。

 俺は頭の中で、何度も男を倒すシミュレーションをする。

 いけ、やれ!今だ!

 そう思っても、体が動いてくれなかった。

 

 なんでねぇんだよ!畜生が‼

 戸棚を蹴りつける音に、背筋が凍るような恐怖を感じた。

 男の叫び声が聞こえるたびに恐怖で体が震えた。

 

 男はしらみつぶしに部屋を荒らしている。

 そのうち、俺のいるクローゼットにも手をかけるはずだ。

 その前に早く逃げなくてはいけない。

 そんなこと分かっていても、恐怖に竦んだ体は動いてくれなかった。

 こっちに来るな!

 頼むから、早く出てってくれ!

 体を小さく丸めながら、それだけを必死に願っていた。

 

 

「ただいま~」

 弟の、翔太の声だった。

 

 いま来ちゃダメだ!早く逃げろ!

 ありったけの気持ちで、そう叫んだ。が、言葉にはならない。


 不審者は翔太の声を聞いて、咄嗟にソファの裏に身を隠すのが見えた。

 

「わ!なにこれぐしゃぐしゃ!……兄ちゃんがやったのかな。兄ちゃん!帰ってきてるの!」

 

 叫び声をあげるな!こっちに来るな!

 頼むから、あの男を見つけないでくれ……。

 俺は信じたこともない神様に、必死に祈った。

 もう絶対ずる休みなんかしないし、クラスメイトをからかったりもしません。

 友達の漫画を借りパクしてたのも返すし、ポイ捨ても、犬を怒らせて遊ぶこともしない!もう悪いことなんてしないから!

 だから、翔太を!


 だが、俺の願いなど一笑に付すかのように、翔太は居間の奥へと歩いていった。

 そして――


 


 それ以降のことは、思い出そうとしても、思い出すことができなかった。

 気づけば俺は病院にいて、翔太は足に癒えない傷を負っていた。

 

 恐ろしいことが起こった。それだけが俺の心の奥底に今でも仕舞い込まれている。

 取り出すことのできないほど、暗く、深い場所に。

 ただ、一つだけ思い出すことのできるものがあった。

 目だ。

 クローゼットに隠れる俺を、咎めるように見つめる目。

 恐怖と狂気の入り混じった、あの二つの瞳を。

 

 見るな。

 俺をそんな目で見るな!見るなよ!

「うわ、わあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」





◇◆◇◆



 


「ねぇ、あの子。なんかヤバくない」

 僕の耳元で、桐生さんが囁く。

「さっきから付いて来いの一点張りで、何も言わずにずっと前歩いててさ」

 僕も小声で答える。

「今更だよ。それにモリミツのことを知っているのなら聞かない手はない」

「そうだけど、家に行ったほうが早くない?」

「何か事件に巻き込まれているとかだったら、家族よりも当事者に聞くほうが手っ取り早いよ」

 事件、という言葉を聞いて、桐生さんは言いよどむ。

「事件……に巻き込まれてると、本気で思ってる?」

「わからない。でも、あの様子だと、何かはあるはずだよ」

 それを桐生さんも感じているから、ここまで付いて来ているんだと思う。

 それを証明するように、不機嫌そうにしながらも、桐生さんは別行動と取ろうとは言わなかった。

 

 それから、また十分ほど歩いた。

「ねぇ、どこまで行く気なのよ」

「もうすぐですよ」

「さっきもそう言ってたじゃない」

 桐生さんは、不機嫌な様子を隠すことなく松岡さんを睨む。

「別に、いやなら付いてこなくていいんですよ。私は蒲生くんに話があるだけですから」

「なによそれ、むかつく!」


 僕らは三十分以上は歩き続けていると思う。

 どこまでも畑が続く田舎道を歩いていたはずが、気が付くと閑静な住宅街にまで来ていた。

 桐生さんではないけど、本当にどこまで行くんだろうか。


 そう思っていると、松岡さんは一軒の家の前で立ち止まった。

「ようやく着いたの?ここ、あなたの家?」

 桐生さんの問いに、松岡さんは答えず、玄関を開ける。

「中へどうぞ。あ、靴は履いたままで結構ですから」

 松岡さんは土足で家に上がり込む。

 アメリカンスタイルってことだろうか。

 でも、床はフローリングだし、ちゃんと上がり框もあるのに。

 桐生さんを見ると、彼女も僕を見て困惑顔をしていた。

 

 いつまでも玄関でまごついているわけにもいかず、僕らは恐る恐るフローリングの上に靴の裏を乗せた。

「さぁ、行きましょう」

 松岡さんは一人、廊下の先を進み、奥の部屋へ続くドアを開け中へと入っていく。

 僕らもそのあとへ付いていこうとして、ふいに大きな声が聞こえた。


「こらぁー!」

「ご、ごめんなさい!」

 叱り声に驚いて、桐生さんはとっさに謝罪の言葉を口にする。

「やっぱり土足で上がっちゃ――」

 焦って靴を脱ごうとしていると、廊下の奥から男の子が走ってきた。

「友達と遊んでくる!」

「まちなさい!」

 男の子は僕らをよける様子を見せず、前にいた桐生さんの肩に盛大にぶつかった。

「きゃっ!だ、大丈夫?」

 桐生さんは驚きながらも、倒れた男の子に手を差し伸べる。

 だが、男の子は差し出された手を無視して立ち上がると、何も言わないばかりか、こちらを一瞥さえせずに家を飛び出していった。

 僕はその後ろ姿を見て、何か不気味な違和感を覚えた。

 

「な、なんなの?」

 桐生さんが少し腹立たし気な様子を見せていると、今度は母親らしき人が、廊下の奥から顔をのぞかせた。

「全く、今日は歯医者の日だって言ってたのに……またキャンセルしなくちゃ」

 女性は、ため息交じりに顔に手を置いた。その女性を見て、僕はまた違和感を覚える。

 何か、足りない気がする。

 

「……お邪魔してます」

 僕らは女性に挨拶をする。

「あ、お邪魔してます。私たち松岡さんの、友達、で……」

 しかし、この女性も僕らのことを一縷だにせず、部屋の奥へと戻っていった。

「……無視されたの?」

「どうなんだろう。……でもなんだか、無視しているというよりは、僕らのことが見えて無いみたいな反応だったような……」

「何なのよ。さっきから気味が悪いわ」

 桐生さんは、不気味な家主の行動に肩を抱いた。


 廊下を超えた先は居間になっていた。

「すみません、本日十一時半に予約していた者なのですが――」

 僕らが入ってきたことなど、気にもしていない様子の女性は、受話器に耳を当てていた。

 その後ろで、松岡さんは不気味な笑みを浮かべる。


「面白いでしょう」

「……どういうことなのよ、なんなのよこの人たちは」

「これ?これには三船 真里という名前がついてるわ。今年で三十二歳、夫と息子の三人暮らし。この場所に引っ越してきたのは三年前。夫婦仲はよく、近所付き合いも良好で、円満な家庭を――」

「そういうこと言ってるんじゃない!」

 桐生さんが大声を上げる。

「……この人、僕らの事、見えてないの」

「見えてるよぉ。ただ、チャイムを押さず玄関から土足で入ってくる者を認識しないようにプログラムされてるだけ」

「意味わかんない……プログラムって何よ!この人たちがロボットだとでも言いたいの」

「いいえ。ちゃんと生身の人間よぉ」

 松岡さんはカバンから抜き身のナイフを取り出すと、女性の首元にすっとナイフを当てがう。

「な、何をして……」

 松岡さんは、そのままためらうことなくナイフを横に移動させた。

「やめっ!」

 首元に傷跡が付き、そこからじわりと血がながれ落ちてくる。

 傷口は浅いようだが、鮮血が痛々しく映る。

 だが、切られた本人はそれに気づいていないかのように、悠然と部屋の掃除を始めた。

 

「哲学的ゾンビって知ってる」

 急に何を言い出すんだと思った。

 けど、哲学的ゾンビと聞いて、いやな予感がした。

「それって、見た目や行動が普通の人と同じだけど、痛みや感情なんかの感覚的な刺激がないっていう」

 桐生さんも聞いたことがあったようで、松岡さんの言葉に答えていた。

 

 見た目は普通の人と全く同じで、知性があり、物事を考える脳もある。

 うれしいときは笑い、悲しいときは泣く、といった感情的な行動もとる。

 ただ、彼らはそれに付随する感情がないのだ。

 何かをした後の達成感もなく、失ったときの喪失感もない。

 プレゼントをもらって喜んでいるように見えても、心は何も感じていないのだ。

 心が分からないから、それっぽい行動でごまかしている、というのとは違う。

 自我というものが、まるで存在しないのだ。


 客観的に見て他人と何も変わらない。

 外から見分けることもできない。

 ただ感情(なかみ)がないだけ。

 哲学的ゾンビは、そんな人間がいるかもしれないという哲学的な思考実験のことだ。


「そう。その認識であってるよぉ」

 いつの間にか敬語をやめた松岡さんは、不気味に笑う。

「この人が、そうだって言いたいの」

「似たようなものだよ。これらには自我と呼ぶべき魂がないんだからねぇ」

「魂……」

 

 魂という言葉を聞いて、僕は妙に納得してしまった。

 女性を見ていて、さっきからなにか足りないと思っていたんだ。

 外へ飛び出していった男の子もそうだ。何かが足りない。

 でも外から見て何もおかしなところはなかったんだ。

 違和感の正体が外にないのなら、内側に、魂にあったんだ。

 お姉さんも魂を肯定するような発言をしていたし、これまでの不思議な経験を踏まえると、この世界には魂があっても可笑しくはないんじゃないかと、僕には思えた。


 ただ、桐生さんはそうは思わなかったらしい。

「は、魂なんてあるわけないでしょ。頭おかしいんじゃないの」

 頭ごなしの否定に、松岡さんは冷めた目を向ける。

「どうしてないと言い切れるの」

「科学的に証明されているじゃない」

「あなたこそ、頭がおかしいんじゃない?科学的に証明はされてないわよ」

「は、本当にイカれて――」

「いや、本当に証明はされてないよ」

「えっ!?」

 僕の方から援護射撃が来るとは思っていなかったようで、桐生さんはひどく驚いた顔をした。

「魂があると実証されていないだけ、なんだけどね」

「……どういうこと」

「科学では、有るものを証明するより、無いものを証明するほうがずっと難しいんだ」

 

 無いことの証明は、『悪魔の証明』などと呼ばれ、事実上不可能とさえ言われることがある。

 有るということを証明するのは、ただ実物を見せればいいだけだが、無いことを証明しようとしても、無いものは見せられない。

 それでも証明しようとするなら、消去法のように、考えられるあらゆるパターンを完全に排除していく必要がある。

 広大な海から一滴の水を探すように、無限とも思われる事象を網羅することなど、人には不可能なのだ。

 

「そんなの屁理屈じゃない。だって、現実的にありえないわ」

 それを聞いて、松岡さんは呆れたような軽蔑の眼差しを向けた。

「狭い現実だこと」

「いちいち癇に触る言い方して!」


 今にも突っかかっていきそうな桐生さんを手で制しながら、僕は松岡さんに問う。

「この人たちの魂は、元からなかったの」

「いや、元はあったんじゃない?一から人を作るより魂抜くほうが手っ取り早いじゃん」

「なんでそんなこと……」

「私たちは魂を集めてるの」

「魂を、集めてる?」

「そう。それにここは拠点までの中継地点なの。その維持管理に魂を抜いた後の残骸を有効活用してるんだよ。お給金もいらない。維持管理の手間もない。放っておくだけでいいだなんて、それって、最高の人材だと思わない!」

 両手を合わせて、なにか素晴らしいことでも言ったかのように松岡さんは笑う。

 僕は、初めて人を気持ち悪いと思った。


「返してあげて」

「むり」

 少しの感覚も置かずに、松岡さんは拒絶の言葉を口にする。

「越してきたのは三年前だって言ったでしょ。もうアレらの魂がどこにあるかなんて、誰も知らないんじゃない?」

 他人の事など、まるでどうでもいいとでも言うように、適当な返答を返してくる。

 

 僕は松岡さんに怒りを覚えていた。

 間接的に、というのがどの程度のことなのかはわからないけど、少なくとも彼女は知っていて黙認している立場にはあったということだ。

 どうして、そんなことに加担しているのか。

 松岡さんが何をしたいのか。

 そんなこと、今はどうでもいい。

 

「モリミツにも、何かしたの」

「色々と、ね」

 へらへらと笑いながら答える彼女に、怒りが一気に込み上げてきた。

「なんで、なんでそんな酷いことができるんだよ!」

 

「酷いこと?変なこと言うねぇ」

 松岡さんは涼しい顔をしながら、冷や水を浴びせかけるような衝撃的なことを言った。

 

「あなたのおじいさんが始めたことじゃない」 


「は」

 今、なんて言った。

 おじいちゃん?

 おじいちゃんが始めた?

 なんで。

 意味が分からない。


「なんで、そこでおじいちゃんが……」

「何も知らないんだね」

 今度は憐れむような顔を向けてくる。

「どういうことだよ!おじいちゃんが始めたって。出鱈目言わないでよ!」

「思い当たる節はないのぉ?」

「あるわけないだろ!」

「本当にぃ?」

「っ……ない!ないよ!」


 思い当たる節なんて、あるわけない。と思いたかった。

 でも、おじいちゃんは明らかにダンジョンのことを知っていた。

 納屋にあったスキルの籠った石と、置手紙。

 そして、死に際の言葉。

 考えれば考えるほど、全部そんな風に思えてきてしまう。

 そのことに、僕は腹立たしさを感じずにはいられなかった。

 おじいちゃんを侮辱されたことも、僕がそれに納得しかけていることにも。全部に。

 

「……なにか知ってるっていうのなら、教えてよ。松岡さんの知ってること、全部!今、すぐに!」

 掴みかかる勢いで松岡さんに詰め寄ると、彼女はニチャァと笑った。

「もちろん、いいよぉ。そのために呼んだんだから」

 でも、と松岡さんは続ける。

「まずは移動してからねぇ」

 そういいながら、松岡さんは、部屋の奥にある、床下収納を開けた。

 そこには、地下へと伸びる階段が続いていた。

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