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§〈モリミツ〉
暗い地下室の廊下には、幾つもの影が蠢いていた。
そこは実験室のような場所で、ほの暗い部屋べやの中に、いくつもの奇妙な器具が鈍い光を放っていた。
廊下の両端には鉄格子がずらりと並び、その内側には不気味な生き物たちが鎖につながれている。
衛生状態は悪く、生き物たちはどれも薄汚れ、みすぼらしい姿をしている。
廊下を歩く者に、生き物たちは絶えずうなり声をあげる。
それは彼らの精一杯の抵抗か、あるいは何か訴えたいことがあるのか。
凡そまともな人間なら、気でも触れてしまうだろうその地下通路を、俺は歩いていた。
「素敵だろう、これらはみんな私の作品なんだ」
「素敵?これが」
「そうだとも、生命の神秘じゃないか」
目の前の男は、実に楽しそうに笑う。
スーツ姿に山高帽をかぶった、彫りの深い中年男性。
ジェンティーレ・アルノルフィーニと名乗るこの男に連れられて、俺はここに来ていた。
ジェンティーレは、少し前から、俺に良くしてくれていた。
勝手に家へ来ては、何くれとなく俺の心配をする。
自身の体験を話し、俺のことが必要だと言う。
口が達者で、見透かすようなことをよく話し、そして、良く効く薬をくれた。
怪しい男がくれた薬だと最初は疑っていたが、この人のくれた薬を飲んでいると、とても気分がよくなるんだ。
気持ちが高揚して、何でもできる気がした。
少し頭がぼんやりするのが欠点だったが、学校に行くことさえ苦にならない。
この人のくれた薬で、俺は変わったんだ。
だから、少し趣味が悪くても、気にはならない。
この人についていけば、俺はまともでいられる。
そして、ここに来れば、きっと俺は、強く――。
奥の部屋の前まで来ると、ジェンティーレは立ち止まる。
「本題に入る前なんだがね。今、僕の助手が実験をしているんだ。是非見て行ってくれたまえ」
そういうと、ジェンティーレは俺の是非も問わずに隣の部屋へ続く扉を開けた。
グャアァァァァ!
チュイィィィィィィン
扉を開けてすぐ聞こえてきたのは生き物の叫び声。
それから何かが高速で回転しているような機械音。
血しぶきが飛び散り、むせ返るほどの血生臭さが鼻を突いた。
「やってるねぇ、ミチカくん」
「あぁ、男爵。いらしてたんですね」
実験らしきことをしていた女は、溶接面を上げこちらを向く。
ジェンティーレに会釈をして、それから俺に視線を向ける。
「来たんだね。モリミツ」
ミチカと呼ばれた女は、いや――隣のクラスの松岡 三千華は、俺のことを気安くあだ名で呼んだ。
「なんでお前が……」
「もちろん貴方と同じよ。男爵に見初められたの」
松岡は頬に手を当てて、うっとりとした表情を作る。
「ここはいいよぉ。誰も私のすることを怒らない。何をしても自由!私は私のしたいことができるの!そんな最高なことってないよねぇ」
ニチァと擬音が聞こえてきそうな、薄ら笑いを浮かべる。
松岡とは中学から同じだが、あまり話したことはなかった。
物静かでまじめな勉強家。
素行もよく、新入生代表に選ばれるほど勉強もできる。
優しく思いやりがあり、誰からも信頼されている。
傍から見ていて、そんな認識だった。
だから、こんな不気味に笑うやつだとは思わなかった。
「これは、何をしてるんだ」
「これ!気になる!いいよぉ。教えちゃうよぉ!」
松岡は目を見開いて笑った。
「これはねぇ、体のパーツを取って、新しいものに変えてるんだよぉ」
実験体となっている生き物は、犬のような見た目をしているが、角が生え、見たことのない器官が伸びている。
切り外された足からは、黒々とした血がとめどなく溢れていた。
こんなことをして、こいつは一体何がしたいんだ。
……だめだ、今日は特に頭が回らない。
「……何のために」
「機能向上のためだろう」
ジェンティーレはそれを咎めることもなく、当然のような態度を取る。
「生き物は皆、撚り良くなるために最善の行いをするべきなのだ」
「男爵いい回答!でもちが~う」
「なんと、ではその行動や如何に?」
「全く違うものなのに、自分のものとして動かせるようになるかの実験~」
「ほほぉ」
「普通は自分以外の生き物のパーツを取り付けるなんて拒絶反応が出て無理なんだけどぉ、この抽出した魔獣の因子を繋ぎにするとあら不思議、なんでもくっついちゃうんだよぉ」
「ふむ。だがそれは既に分かっていたことではないのかね」
「ここからだよ男爵。魔獣の因子は細胞間の繋ぎとしてしか作用しないわけじゃない。魔獣因子に含まれるパナケラストラクターゼの作用は調和の他に変質と増幅があって――」
「なるほど、それで――」
興奮した二人は、俺のことなど忘れて喧々囂々と実験の話を続ける。
その間実験台に横たわっていた生き物は、止血もされず放置され、だんだん呼吸が浅くなっているようだった。
「あ、死んじゃった……ま、いっか」
松岡はこと切れた生き物に、もう興味をなくしていた。
「男爵、新しいのお願いねぇ」
「まったく、ミチカくんときたら。はっはっは」
悪趣味に笑い合う二人を見ながら、ぼんやりした頭で、俺は考える。
「おかしいんじゃないか」
「何が可笑しいのぉ?」
「違うものくっつけたら、だめだろ」
回らない頭で、反論する。
するとジェンティーレが口をはさむ。
「テセウスの船だよ。モリミツくん」
「てせうす?」
「生き物は皆、細胞分裂を繰り返して生命を維持しているんだ。そして細胞分裂に必要な物質は外部から得ている。つまり、外から摂取したもので体は作り変えられているんだよ」
ジェンティーレは子供をあやすかのように柔和な笑みを向けてくる。
「人間の体はひと月半ですべて新しい細胞に変わってしまうのだそうだよ。そこでだ、モリミツくん。ひと月半前と今とで君は別人かい?」
一月半前?別人?
「おれは……おれだ」
「だろう。ミチカくんはそれを人工的に行っているに過ぎない。それにね。生き物には魂があるんだよ。魂がある限り、その生き物の本質は変わらない。だから我々は正しいことをしているんだ」
そうなのか。
……そうなのかな。
「そうだよぉ。――だから安心して眠るといいよぉ」
あんしん……ねむる……
「モリミツにも手伝ってもらうからねぇ」
そこで、俺の意識は途絶えた。
◇◆◇◆
§〈凪〉
「今日も収穫はなしか」
「手がかりなんて、そんな簡単に見つかるもんでもないだろ」
「そうは言ってもなぁ」
溜息を吐く友人を尻目に、俺は夜の繁華街を見つめた。
日付を跨ぐほど遅い時間にもかかわらず、人通りは多い。
看板を照らすライトは光り、通りにはタクシーが連なって客を待っている。
こんな人通りの多いところでも、事件は起こってるんだ。
連続殺人事件の被害は那須乃坂市を中心に広範囲に渡って行われていた。
俺たちの住んでいる商店街のある相林町には被害はないが、市内に二か所、川を渡った久保に橙、高原、美座。
そして、一か所だけ異質なほど離れている場所がある。それが日滝森だった。
モリミツが殺人現場を見たと証言した場所も、同じ日滝森。
これは何かあるんじゃないかと俺は考えていた。
最近は那須乃坂市まで行ってもなんの収穫もないので、明日以降は日滝森に的を絞って手がかりを探すことにした。
素人の探偵ごっこなんて、うまくいくはずねぇって思っている。
だが、イトは諦める様子を見せないので、俺も仕方なく付き合っていた。
でも少し、犯人捜しをしていて奇妙に思うことがある。
これだけの被害が出ていても、全国的なニュースになっていないんだ。
連日ワイドショーを賑わせていてもおかしく無いはずの大きな事件のはずなのに、民放や新聞で小さく報道されるばかり。
事件のあった場所も、テープが張られているばかりで、奇妙なほどに人がいない。
何か可笑しなことに足を突っ込んでしまったのではないかと、最近少し不安に駆られることがある。
イトはそれを分かっているのかいないのか。
どちらにしても、まだ止める気はないらしい。
「はぁ」
そろそろ潮時なんじゃないかと、ため息を吐きつつ、俺は路地裏の方を何となく見ていた。
ィィィ
ふと、何かに呼ばれた気がした。
不思議な感覚だった。
「ん。どうしたのさ、凪」
立ち止まる俺を、イトは不思議そうに見る。
俺はイトに、どう説明したものかと一瞬迷った。
だが、別に説明する必要もないことに気づいて、俺は歩き出した。
「……向こうへ行こう」
「何か見つけたの、ってちょっと待って」
何も言わずとも、どうせイトは付いて来てくれるから。
俺は蒲生に貰ったネックレスを握り、裏路地のほうへと歩いて行った。
不気味なほど静かな夜だった。
人の話し声どころか、生活音すら聞こえない。
さっきまでの街中の喧騒が嘘のように、車の音さえ聞こえない。
耳鳴りのするほど、何も――いや。
「……何の音だ」
しばらく進むと、ビチャビチャという音が聞こえてき始めた。
「水の音?」
イトが呟く。
進むほどに、その音は大きく、はっきりと聞こえてくる。
それが何か気になり、歩く速度が速くなる。
もうすぐ、路地を抜ける。
裏路地を抜けた先は、街灯に照らされ、明るかった。
その街灯の下に、人が立っていた。街灯に照らされ、立ち尽くしたまま、首だけを下に向けている。
足元には倒れ込む人の姿。
そして、視界いっぱいの血。
血。血。血。
「な、凪。あれ……まさか」
耳元に、イトの震えたようなか細い声が響く。
「……あぁ」
間違いない。犯人だ。
知らず、生唾を飲み込む。
早く逃げなければ。
ここに立ち止まっていれば、犯人がいつ襲ってくるかわからない。
幸い、犯人はまだ俺らに気づいていない。
音を立てず、ゆっくりと逃げれば、まだ――。
「に、逃げよう……凪。はやく、早く逃げないと!」
「バカ!興奮するな!」
ぐりん
犯人の顔がこちらへ向いた。
その男は、血だらけの顔に笑みを浮かべていた。
過度の恐怖と緊張で後ずさっていた俺とイトは、その顔を見て、動けなくなった。
恐怖に慄いた訳では、なかった。
だってその顔は、どうしようもなく見知った顔だったから。
「どう、して……」
「なんで、お前が……蒲生」
ケヒッ、ケヒヒッ
蒲生は引き攣ったような、不気味な笑い声をあげた。
「何で、笑って……」
「どうして、こんな……嘘だろ…………嘘だって……なあ!何とか言えよ!蒲生!」
叫ぶように問い詰める俺を、蒲生はケタケタと笑う。
「俺は蒲生ジャ、ねぇよ」
「……今、そんな冗談言ってる場合じゃねぇだろ!」
激高する俺を無視するように、蒲生は薄ら笑いを浮かべる。
「俺は……ソウだナ、紫月トデモ、名乗っておコ、か……ケヒヒッ」
「なんだよそれ……意味わかんねぇよ……なんで、こんな……人を」
「人?……あぁ、こレ、か」
アスファルトに横たわる死体の腕を、蒲生はひょいと持ち上げる。
死体につながったままの腕は、蒲生が引っ張ると、突然根本からねじ切れた。
それを蒲生は、俺たちの目の前に放り投げる。
「お前ラ、にはこれが、人に見エ、るのか」
ボトッ
ぐちゃぐちゃにねじ切れた腕が街灯に照らされて、俺はそのリアルさに思わず目をそらしそうになった。
だが――
「なんだ、これ」
照らされた腕には、無数の鱗が生えていた。
「たダ、のキメラだろう」
「キメラ……」
「大方魔獣の血をツ、かったんだロ、うが、酷い作りダ。切ってつナゲ、ただけの素人仕込みコミ、ミ、だ、でショウガ、結合部分が壊死シハ、じめている」
蒲生は一体、何を言ってるんだ。
不気味な笑み、不快な笑い声、途切れ途切れの耳障りな話し方。
そのすべてが、蒲生とは似ても似つかない。
「顔も見タイ、か?」
蒲生は死体の頭を蹴りつけ、こちら側に向けた。
それは、まるで猿のような頭をしていた。
「ヒッ」
イトはそれを見て、尻もちをついた。
体を震わせるイトは、酷い怯えようだった。
「これは、なんなんだよ。特撮?よくできた作り物?……そうだろ!そうに決まってる!!どこかで撮影してるんでしょ!ドッキリなんでしょ!そうだと言ってよ!!」
イトは混乱したように、喚き散らしていた。
こんなに冷静さを欠いているイトを見るのは初めてだった。
だが俺も、イトに構っていられる心境じゃなかった。
混乱しているのは、俺も同じだ。
ピクッ
蒲生の後ろで、倒れていた猿が少し動いた。
かと思うと、目にもとまらぬ速さで起き上がり、後ろから蒲生に襲い掛かった。
キィシィィィ!
「っ!あぶな――」
俺はその時、何が起こったのか理解することができなかった。
襲い掛かった猿は、蒲生を傷つけることはできなかった。
それどころか、猿は蒲生に触れることすらできなかった。
まるで見えない力でも働いたかのように、空中で静止したかと思うと、内側から弾け飛んだ。
血しぶきの雨が降る。
「これでも、作り物ダ、と思うのか?」
「そんな……」
その光景に絶句して、俺らはしばらく何も言えなかった。
「キメラって……なんだよ。お前の……殺人事件も!お前が!」
叫ぶ俺の言葉を否定するように、蒲生は頭を振る。
「違いマ、す。ワ、わたた、ボク、はころ、こ、ボク…………はぁ、安定しないな」
蒲生は首を振ると、壊れた機械を直すように頭をゴンゴンと叩く。
「なんなんだ。お前は一体何なんだよ!答えろよ!蒲生‼」
糾弾する俺に視線を合わせた蒲生は、急に明朗に話し出す。
「蒲生じゃないと言ってるだろう。凪」
「っ!!」
その言葉に、俺は酷く衝撃を受けた。
目の前のこいつは、俺を凪と呼んだ。
本当に、こいつは……。
「この事件を追っていル、ようだが、そろそろ潮時なン、じゃないか」
図星を付かれ、背筋がゾッと冷える。
それを隠すように、俺は白い玉の付いたネックレスを握り締める。
「これ以上続けるなら、その首のヤツだけじゃどうにモ、ならないぜ」
ケヒッ
そういうと、がも――紫月はどこかへと歩き出した。
「待てよ!……事件のこと知ってるんなら教えてくれ。この事件に、モリミツは関係あるのか」
俺の言葉に立ち止まった紫月は、振り向きもせずに言う。
「直接聞いてみればいいさ」
紫月はそう言葉を残すと、飛び散った死体はそのままに、闇の中へと消えていった。




