2-20
水無月さんは灰色の袴姿で僕の横に立っていた。
「どこから出てきたんですか?」
「?先程から稲置さまの後ろを歩いておりましたが」
水無月さんは、何を今更といった顔をする。
「……先程って、いつからいたんですか?」
「刈萱隊長と話していたところからです」
「結構前じゃないですか!声かけてくださいよ」
そんな前からいたのに気づかないなんてことあるだろうか。
水無月さんは暗殺者か何かですか?
あきれ顔で水無月さんを見ていると、彼女は小さく頭を振った。
「私は、カナちゃんのお目付け役ですから」
「お目付け役?」
お目付け役は声を掛けないことと何か関係あるだろうか。
ふむ。
「お目付け役ってことは……カナちゃんが今まで何をしていたかも知ってるんですか」
「はい。凡そは」
その言葉を聞いて、僕は少し水無月さんに対する態度を改めた。
この人は、カナちゃんが無意味に外を回っていたことを知っていたのだ。
「ならどうして止めてあげないんですか。可哀そうじゃないですか」
少し険のある言い方になってしまった。
けど、水無月さんは動じることなく、何でもないことのように淡々と答える。
「私は予備隊の副隊長ですので仕事も多く、カナちゃんにばかり構ってはいられないのです。それに、与えられた仕事に責任を持つのは、大人としてのあるべき姿です」
その答えに、僕は少しムッとしてしまった。
たしかに、大人なら仕事に対して責任を持つべきだ。自分の行動が他者に与える影響を考えるべきだし、学生である僕だって、学業を通じて責任ある行動を取るよう教育されて来ている。
でも――
「それをカナちゃんに求めるのは、酷じゃないですか……」
僕の言葉を、水無月さんはどう感じたのだろうか。
彼女は少し目を伏せ、考え込むように眉を寄せた。
「私は……」
俯いて下を向いたまま、水無月さんはどこか言葉を選んでいるようだった。
「あの人を子供扱いしたくないんです」
「……どういうことですか?」
「あの人を甘やかすことは簡単です。周りの人たちも皆そうしていますし、それは一見、優しく暖かな雰囲気に思えるかもしれません。でもその中には諦めや嘲笑、軽蔑の眼差しが含まれているのです。私はそんな風にカナちゃんを見たくない」
水無月さんは手をぎゅっと握りしめる。
「あの人はとても真っ直ぐな人です。どれだけ失敗してもめげず、どれだけひどい言葉を言われても落ち込まず、底抜けに明るく笑うんです。レンズちゃんレンズちゃんって!私は本当は蓮子って名前なのに!」
「えっ!」
唐突なカミングアウトに思わず声が出てしまった。
確かにレンズってちょっとキラキラネームのような響きだなとは思っていたけど、ただのあだ名だったとは思わなかった。
あれ、でも最初に会った時、自分でレンズって自己紹介してたような。
「カナちゃんに合わせてあげてたんです」
「ひっ!」
心を読まれた!?
「そのほうが可愛いって聞かないんです。……今では隊の中でもレンズ呼びが定着してしまっていますし」
「それは……ご苦労さまです」
一つ咳払いして、水無月さんは続ける。
「だから私はあの子を甘やかさないんです。たとえあの子の精神が器質的に幼いままだったとしても……それでも私は、カナちゃんと対等でいたいから」
そんな気持ちでいたとは知らなかった。
それなのに僕は、ただ頭ごなしに否定してしまった。
「でもそれは……ただの私のエゴですよね」
「そんなことない!」
咄嗟に言葉が出ていた。
確かに、一方的なその感情はエゴなのかもしれない。
でも、甘やかすばかりでは人は堕落してしまうばかりだ。それは子供でも大人でも変わらない。
優しくするばかりがその人のためになるとは限らないのだ。
水無月さんは、どんな思いでカナちゃんに接していたのだろうか。
「水無月さんの考えは、とても立派だと思います」
「……そんなこと言われるとは思いませんでした」
水無月さんは、少し驚いた顔をした。
「僕こそすみません。何も知らないのにお節介なこと言ってしまいました」
僕の謝罪の言葉を聞いて、水無月さんは頭を振る。
「こんなこと、説明なしに察することなんてできません。それに、私はとてもうれしく思っているのです。カナちゃんのことを考えてくれているからこそ出た言葉だと思いますから」
そんなことない。
僕はただ、常識的によくないと画一的に考えてしまっていただけだ。
浅い考えで、ステレオタイプに。
僕は自分が恥ずかしくなった。
「僕、カナちゃんに謝ってきます」
「?なぜですか。直接カナちゃんを傷つけたわけでもないのに」
確かにそうだ。
カナちゃんに酷いことを言ったわけではない。
何もしてないのに謝られるなんて困るだけだろうし、これは僕のエゴでしかないのかもしれない。
でも……僕も水無月さんの言う周りの人たちと同じになりたくないと思ってしまったから。
「僕もカナちゃんと、対等でいたいと思ったから」
カナちゃんが走り去っていった方向に僕も走り出した。
「――あんなに真剣に受け止めてくださるとは思わなかった。稲置さまもきっと、カナちゃんと同じ。優しく、心根のまっすぐな……尊いお方」
◇◆◇◆
カナちゃんとは二度あっただけの関係だけど、言動を振り返ってみると、いつもまっすぐに物事を捉えていた。
少し柔軟性が足りない部分はあれど、素直で明るく、よく笑う人だ。
他人と違うことで拗ねたり卑屈になったりすることもなく、困っている人を助けたいと博愛精神も持っている。
それはある意味では、達観していると言っても良いのかもしれない。
僕なんて、モリミツが学校に来ただけで居場所がなくなったと思って、嫉妬して苦しくなっていたのに。
「……どっちが子供だよ」
僕はまた、自分が恥ずかしくなった。
長い廊下を小走りで移動していると曲がり角にぶつかった。
僕は何の気なしに走ったまま廊下を曲がろうとした。
その時、ちょうど向こうからも誰かが来ているのが見えてしまった。
ぶつかる。
僕は咄嗟にそれを見切り、ぶつからないように横へ躱した。――はずだった。
ドン!
「え!」
確実によけたはずだった。なのに僕は肩をぶつけてしまい、バランスを崩して倒れそうになってしまった。
どういうことだ。
「おい、ぶつかったぞ!」
「ご、ごめんなさい」
怒鳴られてしまい、僕はすぐに謝る。
ぶつかった人は、酷く不機嫌な顔をしていた。
感情が表に現れているかのような逆立てた黒髪が特徴的な、和服を着た若い男性だった。
怖いので、すぐに退散しよう。
「急いでたもので……失礼します」
僕は踵を返して走り出そうとした。
「おい!それだけか!」
「無礼者め!ちゃんと謝罪しなさい!」
男性の声の後に甲高い声が聞こえ、驚きで足が止まる。
振り返ると、さっきは気づかなかったが、小さい女の子が立っているのに気が付いた。
背丈は男性の半分ほどで、金髪の可愛らしい見た目をしていた。
こちらも袴に市松格子の着物を合わせた和装スタイルで、二人並ぶとどこか大正時代を思わせる雰囲気だった。
「この方を何方と心得る!」
小さいのによく通る声だった。
「ええと……」
「知れ者め!この安曇の紋が目に入らぬか!」
水戸黄門でも始まったかな。
というのは冗談で、確かに男性の羽織の袖をみると、植物のような鱗のような二つ巴の家紋が描かれていた。
「安曇家当主が三男、安曇界成様なるぞ!」
「安曇!」
思いがけず、当主の息子に会ってしまったようだ。
当主の三男ってことは、結構偉い人かな。
組織のトップが世襲制だった場合なら、幹部候補ってところだろうか。
もしかして、ちょっとまずい人を怒らせちゃった?
「五体投地にて平伏せ――」
「ことぎ!俺が話してただろ!」
安曇家の三男、界成はことぎと呼ぶ女の子を睨みつける。
「も、申し訳ありません!」
ことぎさんは、すぐに平謝りし、界成の後ろへ下がった。
「ふん。噂通り、奇妙な見た目をしているじゃないか、稲置さまよぉ」
「い、稲置!この知れ者が!」
……またか。
この人も、僕のことを稲置さんだと誤解するのか。
奇妙な格好と言ったが、そんなに僕と見た目が似てるんだろうか。
みんな髪の色だけで決めつけてないか。
でも、おかしい。
なぜ当主の三男までもが稲置さんの顔を知らないんだ。
稲置とは外部の人間なのか。いや、それにしては妙に皆知っていた。
「なんとか言えよ!バカにしてんのか!おい!」
攻撃的な言動に思考がかき乱される。
……今は考えても仕方がない。
それよりも、何か危険な予感がするので早くこの場から離れたかった。
「好きでこんな恰好をしているわけではありません。ぶつかってしまったのは謝りますが、急いでいるので。失礼します」
僕は冷静に言葉を返し、会話を終わらせる。
今度こそ踵を返し、廊下の奥へ進む。
「むかつく……むかつくぞお前!俺のことなんて眼中にないってか?あ!この盗人がぁ!」
しかし、界成はプライドを気づつけられたと思ったのか、怒り出してしまった。
「本当は俺が賜るはずだったんだ。それを横からかすめ取っていきやがって!なぁわかるかよ俺の気持ちが。俺の惨めさが。俺より年も食ってねぇ!分家のアバズレが!」
怒気を孕んだ言葉は刺々しく、僕を害そうとする意志がひしひしと感じられた。
「死ねよお前」
何かが来る!
僕は咄嗟に盾を取り出し前方に構えた。
その途端、強い衝撃が盾越しに伝わり、僕は壁に叩きつけられた。
「ぐぅっ!」
叩きつけられた衝撃で、肺の中の空気が口から吐き出される。
驚きと痛みとで思考が混乱する。
何が起こったんだ。
……何も見えなかった。見切れなかった。
「く、はは、大したことないじゃねぇかよ。…………こんな、こんなゴミに出し抜かれたってのか!俺は!ふざけるな!!」
「界成様!落ち着いてください。ここは本家じゃないんですよ」
「うるせぇぞ!てめぇも分家の回しもんかよ!」
「ち、違います!ことぎは、界成様のことを思えばこそ」
「なら黙ってろ!」
この男、正気じゃない。
こんな真昼間の屋敷の中で人を殺そうだなんて、怒りに任せて思考が短絡的になりすぎている。周りが見えていない。
「やめて、下さい。どうしてこんな……」
血走ったような目で僕を睨む界成は、僕の言葉なんかまったく聞いていない。
「ここでお前を殺せば……お前より強いことが証明されれば、きっとそれは俺のモノになる」
界成は胸の前で奇妙な手印を結んだ。
「置いてけ……死んで置いてけよぉ!巽葬ぉ!」
ドゴォォォォ!!
屋敷の壁を突き抜けて、僕は中庭らしき場所に吹き飛ばされた。
すぐに体制を整え、身構える。
二度目の衝突の際、今度はしっかりと目を見開いていた。
何が来ても対処ができるように。相手の技を見極めるために。
けど、相変わらず何も見えなかった。
――でも感じた。
音だ。
地を這うような音。そして、何かの息遣いを感じた。
見えない、透明な何かがいる。
〈見切り〉のスキルはきっと、見えないものに対しては働かないのだろう。
僕は見えないのならと、思い切って目を閉じてみた。
見えないなら、音で見極める!
耳に意識を集中させると、屋敷の中のどよめきと、せわしなく動く足音が聞こえた。
騒ぎを聞きつけて誰かがやってきているのだ。
このままここに居れば、今度こそ正体がばれてしまう。
カナちゃんに謝るのはまた今度だ。
最速で技を決め、怯んだ隙に屋敷を離脱する。
邪魔な音は切り捨てる。
必要な音だけ、必要な感覚だけを選ぶんだ。
集中すればするほど、心が冷えていくのが分かる。
風の音が、草木が揺れる音が聞こえる。
虫の羽音。
砂埃の舞う音。
そして――
シューシュー
――聞こえた。
ズルズルと地を這う音と共に、細く息を吐くような音が聞こえた。
僕の右後方から。
ジャリ。
来る!
僕は攻撃が来る方向に向き直り、剣に闘気を纏わせた。
躱すことはできるけど、それじゃあ攻撃が当てられない。
僕はカウンター狙いで、見えない何かに剣を振るう。
出すのは一番当たり判定の大きい技!
〈青鎧剣術 四之剣 アムソニア〉
できるだけ剣の幅を広く、厚く、長く。
咄嗟に作れる最大の大きさにまで広げたその剣は、広い中庭からはみ出そうなほど大きく強い光だった。
「くらえ!」
桜色の巨大な大剣が横凪に振るわれる。
キシャァァァァァ!
何もない場所から血が噴き出した。
一気に作り上げた光の剣は不安定だったのか、すぐに形が崩れて消えてしまった。
一気に力を消費してしまい、どっと疲れが押し寄せてくる。
でも、今が脱出の好機。
僕は疲れた体に鞭を打ち、屋敷の塀を飛び越え近くの森の中へ姿を晦ました。
「ふざけんなぁぁぁぁ!!」
森の中まで聞こえるほどの界成の叫び声は、しばらく森に響き続けた。




