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2-18

 アラームの音で目を覚ます。

 気怠い体を起こし、朝はまずトイレへ向かう。

 手早く着替えを済ませた後、一階へ降りる。

 朝食は少し。今日は食パンにブルーベリーのジャムをつけ、牛乳と一緒に口へ運ぶ。

 それから昨夜用意していた炒めるだけの具材をフライパンに入れ調理する。

 昨日炊いたご飯をレンジで温めている間に、レタスをちぎりミニトマトを洗う。

 卵焼きも焼いて、それらを彩りよく弁当箱に詰める。

 箸と一緒にランチクロスで包む。

 洗面台で歯を磨き、髪がはねていないか身だしなみをチェックする。

 時間を確認すると八時ちょうど。

 僕は靴を履き、家を出た。

 いつも通りの朝だった。

 今日はとてもいい天気で、学校へ行く足取りも軽い。

 山を下りる遊歩道からコンクリートの見える道までの下り坂を、僕は一気に駆け下りた。


 けど学校へ着いた時、教室の外からでもわかるクラスメイトのざわめく声を聴いて、今日はいつもと違う日なのだと知った。


 教室の扉をそっと開けると、クラスメイトで僕の友人であるモリミツの顔を見つけることができた。

 ようやく登校することができるようになったんだ。

 江畑くんとイトは先に来ていたようで、モリミツへ楽し気に話しかけていた。

 僕もうれしくなって声を掛けようとした。

「モ、り……」

 けど言葉が出てこなかった。

 彼らにかける言葉が、急にわからなくなってしまったのだ。

 なんでだろう。

 三人を見ていると、どこか形容し難い感情が胸の内に湧いてくるようだった。

 僕はたまらなく不安な気持ちになって、教室の扉の前から逃げ出してしまった。

 

 

 授業開始のチャイムと同時に教室に戻った。

 少し時間を置けば、気持ちも落ち着いてくるだろうと思った。

 だけど、僕の気持ちは落ち着かず、逆に強く、動悸が激しくなっていくようだった。

 どうしてしまったんだろう。どうして僕は、こんな。

 

 休み時間になり、江畑くんはいつものように話しかけてきた。

「き、今日はギリギリだったな」

「……寝坊しちゃって」

「そっか……見てわかると思うけど、モリミツ来てるぞ!」

 いつも以上に楽し気に話す江畑くんに、戸惑いを覚えてしまう。

 僕はいつも、どんなふうに話し掛けていたっけ。

「うん、よかったよ。いつも気にしてたもんね」

「まあな……どうしたんだ、暗いぞ!寝不足か?ほら行こうぜ」

「……うん」

 急に気持ちが萎縮してしまったのだろうか。

 江畑くんがモリミツのところへ歩いていく。離れていくその距離が、心の距離のように感じられた。


 江畑くんに連れられモリミツのところへ集まる。

「……久しぶり、だね」

 モリミツは少しやせたのか、恰幅のよかったときに比べ制服が余り気味になっていた。

 瞳にぎらぎらしたものも感じるけど、話し出すと以前の彼のようなハリのある声だった。

「随分休んじまったからな。蒲生にも、色々迷惑かけたな。悪かったよ」

「いや、そんなこと……」

「ストレスでほら、こんなに痩せちまって」

「お前のナイスバディが見れないのはつらいぜ」

「すぐ元の体型に戻りそうな気もするけどね」

「そんなことねぇよ。俺はこのままスリム路線で行くことに決めたんだ」

「言ってろ」

 楽し気に話す三人を見て、僕は少し、孤独を募らせた。


 

 その日の授業の内容は右耳から左耳へと抜けていくようだった。

 何も手に付かず、考えることさえ億劫だった。

 僕は彼らと一緒に行動しながらも、あまり一緒にいる気はしなかった。

 モリミツがいた時は、上手くやれていたじゃないか。

 どうして今更こんな気持ちになるのか、分からなかった。

 

 そんな日が数日続いた。

 

 金曜日は職員会議で午前授業だった。

 僕はようやく一週間が終わったと、少し安心していた。

 僕は暗い気持ちを募らせながらも、気を使わせないように笑っていたので顔が引きつってしまった。

 このまま帰っても精神衛生上よくないと思い、どこかに出かけることにした。

 どこでもよかったが、とりあえず、隣町の倭町に自転車を走らせた。

 あの後、ダンジョンはどうなったのか確認していなかったから。


 三十分かけて付いた倭町には、何もなかった。

 高くそびえたっていた壁は撤去され、まるで何もなかったかのように車が往来している。

 ダンジョン特有の魔力も感じられなかった。

 これじゃぁ、何もない街にただ来ただけになってしまった。

 気持ちがまた少し沈む。

 これからどうしよう。

 ……安曇家の屋敷でも見に行ってみるかな。

 ここからそう離れていない日滝森の端に、屋敷はあるのだという。

 僕は何も考えたくなくて、無心で自転車を走らせた。


 けど、無心でい続けることなんてできなくて、僕はやっぱり学校でのことを考えてしまう。

 

 ここ一か月の間、あそこに居たのは僕だった。

 ……僕の居場所だったのに。

 違う!これじゃ、ただの醜い嫉妬じゃないか!

 僕は必死で頭を振った。

 

 でも、三人でいた時の関係性には、きっと戻れない。

 モリミツがいなくなって、すっぽり空いたあの場所に、たまたま僕がはまり込んでいただけだったんだ。

 モリミツが戻ってくれば、はじき出されてしまうのは必然のこと。

 前と同じ関係性に戻っただけ。

 それだけのことだ。

 ……

 

 自転車を漕ぐ足が止まってしまう。

 ペダルを漕ぐ足が鉛のように重たくて、息をすることさえも、ふり絞るようだった。

 気分を変えるために出かけていたのに、これでは本末転倒だ。

 

 このどうしようもない気持ちを落ち着ける方法はないだろうか。

 僕は少し考え、錬術師の工房から髪飾りを取り出した。

 

 この髪飾りをつけている時、僕はいつもより冷静でいられる気がした。

 プラセボ効果でないのなら、きっとこの髪飾りには心を落ち着かせる作用があるんだと思う。これのおかげで、モンスターに出くわしても冷静に対処することができているんだと思う。

 そうあって欲しいと願うように髪をかき上げ、髪飾りを左耳の上に付ける。

 すると、気持ちがすっと和らいでいくのが分かった。

 それは感情が消えていくというよりも、感情をフラットな状態に近づけてくれる。そんな感覚だった。

 心の奥底にあるもやもやした感情がなくなったわけではないけど、幾分かましになった。

 もっと早くつけておけばよかったな。

 一つ深呼吸をした後、僕は目的地へと自転車を走らせた。


 森を抜けると、ほどなくして古い家々が立ち並ぶ区画が現れた。

 京都のような風靡な街並みではないが、どこか懐かしい日本の原風景を思わせる街並みだった。

 僕は観光気分で眺めながら自転車を進ませていた。

 すると、その奥にひと際大きな屋敷が立っているのを発見した。

 武家屋敷のように黒々とした塀が周りを囲い、奥に大きな建物が見える。

 塀の内側から道に飛び出すように木々が伸びていた。

 正面の門に表札は見当たらなかったが、きっとここだろう。

 

 ここらでは有名だと言ううしお先輩の言の通り、図書館にある郷土資料を読むと安曇家のことが載っていた。

 家の起こりは戦国時代にまで遡る。

 安曇家は、当時この地を収めていた蜷森(になもり)という武将の家臣の一人だったのだそう。

 戦国の世に敗れ蜷森の家が滅んだ後も、安曇の血は途絶えず脈々と日滝森の地を守り続けてきたのだという。


 

 近くに古風な茶屋があったので、そこで屋敷を眺めながら一休憩することにした。

 外に置かれた床几(しょうぎ)に座り、白玉ぜんざいを注文する。

「あら、可愛らしい御髪(おぐし)ね」

 注文を取りに来た女性にそういわれ、髪飾りをつけっぱなしにしていたことを思い出した。

 少し気恥ずかしくなったが、今更外そうという気にもならなかった。


 ぜんざいを食べながら、ぼんやりと一息つく。

 憂鬱だった。

 この先、うまくやって行けるだろうか。

 時間が解決してくれるなら、それでもいいんだけど。

 

 せっかくのぜんざいもあまり進まず、白玉をスプーンでつついていると、通りの奥からすごい勢いで走ってくる人がいるのに気が付いた。

 僕の思い違いでなければ、その人はこちらに手を振っているように見えた。

「てんしちゃ~~ん!!」

「く、鞍馬さん!?」

 走って来たのは、以前機械のモンスターに襲われているところを助けた、髪の長い妙齢の女性、鞍馬 鹿奈さんだった。


 全力で走って疲れたのか、鞍馬さんは僕に到着する前に失速して、一端休憩を取った。

 それからまた走り出し、ようやく僕の前に到着した。

 長い髪をぼさぼさにしながら、膝に手を当て肩で息をする。

「ぜぇぜぇ、てんしちゃ……はぁ、はぁ」

「お、おつかれさま」

 色々聞きたいことはあるが、とりあえず僕は店員さんを呼んでお水をもらった。

 鞍馬さんは水が来ると、ひったくるようにコップを掴み、一気飲みした。

「ぷはぁ!お水おいしい!」

「それはよかった」

 

 意外な人に会った。と僕は思ったが、考えてみると別に以外でも何でもなかった。

 以前に鞍馬さんは安曇家の所属だと言っていた。

 なら安曇の家を拠点にしていると考えるのは自然だ。

 どちらかというと、僕の方から会いに来てしまったようなものだ。


 鞍馬さんは呼吸を落ち着けると、僕の横に座り込んだ。

「鞍馬さんはさっきまで何をしてたの?」

 僕がそう聞くと、鞍馬さんは怒ったように口を膨らませた。

「カナちゃんって呼んで!」

「え……あー、鹿奈さんは――」

「カナちゃん!」

「……わかったよ。それで、カナちゃんは何をしてたの?」

 カナちゃんと呼ぶと、彼女は嬉しそうに僕の質問に答えてくれる。

「うん。外回りに出てたんだ」

 外回り?

 そういえば、今日は作業着を着ていないようだった。

 落ち着いた印象の黒いワンピースの上からフォーマルな形のグレーのジャケットを羽織っている。

 今日のカナちゃんの見た目なら、どこかの会社員だと言われても納得してしまうだろう。

 外回りということは営業活動をしていたということなんだろうけど……カナちゃんにその仕事が務まるとは思い難く感じる。

「外回りは一人でしてたの?」

「うん。本当はもう一人いたんだけど、なんだったかな、さぽ……ぽたーじゅ?をしないといけないから、あとは任せたぞって言われたんだ。だから私張り切って屋敷の外をぐるぐる周ってたんだ」

 ……そんなことだろうと思ったよ。

 

「そしたら天使ちゃんを見つけて走ってきたの」

「そういえば、あんな遠くからよく僕だってわかったね」

「だってそんなにきれいなサクラ色の髪してるんだもん。すぐにわかっちゃった」

「桜色!?」

 僕はとっさに髪をつかむ。

 目の端に見えた髪は、桜色だった。

「ど、どうして」

 今日は桜色の飴(トゥアドラーブル)を舐めていないのに。

 この髪飾りをつけたから?それしか考えられない。だとしてもどうして。

 そういえば、髪飾りの花の色は元々薄いピンク色をしていたはずなのに、いつの間にか濃い桜色になっていた。

 その時は不思議な装備だなとしか考えていなかったけど、今考えるとおかしい。

 そうだ、トゥアドラーブルによって一度ついた色は取れないってキアミ師匠が言っていた。それのせいで、飴の色が花に移ってしまったんだ。

 でも、それで髪の色が付く理由になるだろうか。

 ……髪飾りには精神鎮静作用がある。ということは、何かしらのエネルギーが髪飾りから出ていることになる。それが髪の色を変化させているのかもしれない。


 僕が一人で考え事をしている間、カナちゃんは僕のぜんざいを見てよだれを垂らしていた。

「……た、食べてもいいけど」

「いいの!やったぁ!」

 僕が食べてもいいと言うと、一瞬の間にぜんざいの皿はカナちゃんの手の中にあった。

 こんなに大人な女性の見た目をしているのに、完全に見た目詐欺だよなぁ。

 

「うんまぁ~!脳内お花畑タイム突入キタコレェェェ!」

 カナちゃんの唐突の叫びに僕は飲んでいた水を吐き出してしまった。

「ブッ――急にどうしたの!?」

「これぇ?私のお友達がね、こんな風にしゃべってとっても楽しそうなんだ。だから教えてもらってマネしてるの」

「うん、そっか。今すぐやめようね」

「えぇ~たのしいよ~」

「やめようね」


 誰だ。ピュアなカナちゃんにネットスラングなんて教えている畜生は。

 今すぐ見つけ出して八つ裂きにしないと。

「なんか怖い顔してる~」

「気のせいだよ」

 

 カナちゃんと話をしていると、少し気分が晴れてきた。

 ありがたいことだった。

 一人だと、ずっとぐずぐずしていそうだったから。

 家に帰って、ゆっくりと今の気持ちについて考えてみることにしよう。

 

 その後も少しおしゃべりを続けていたが、カナちゃんがぜんざいを食べ終わったのを見計らって僕は立ち上がった。

「あれ、どこ行くの?」

「そろそろ帰ろうかなって」

「そっか。じゃあ一緒に帰ろ」

 鞍馬さんは不思議なことを言う。

「一緒には帰れないよ。帰る方向が違うでしょ」

「おんなじだよ。私も外回りに行ってきた報告しないといけないから」

「……え」

「一緒に帰ろ、お屋敷に」

 ……そうだった。カナちゃんはまだ僕のことを稲置さんだと思い込んでいるんだった。

「あのね、僕は稲置さんじゃないんだよ」

「もう、そーゆーのは良いから」

 カナちゃんは僕の手を取り屋敷の方へと歩き出す。

「いやホントにちが、――って力強!どうなってるの!?」

 カナちゃんの僕をつかむ手は、驚くほど力強く握られていた。

 ダンジョン探索で相当強くなってるはずの僕の力でもびくともしない。どんな力をしてるんだ。

「カラスが泣くから帰りましょ~」

 まずいまずいまずい!

 屋敷に行けば、僕が稲置さんじゃないということがバレてしまう。そうなると先のダンジョンの件を知っている人から僕の素性を誰何されてしまう。

 降魔抗衡隊なる集団は、ダンジョンを管理している節があった。最悪の場合、僕の家のダンジョンを没収されてしまう可能性すらある。

「はーなーしーてー!」

 全力で抗っても全く歩くペースが変わらない。本当にどうなってるんだ!?

「いーやー。あはは」

 これホントにまずいって!

 

 どんなに暴れてもカナちゃんから逃れることは能わず、僕は半ば引きずられるように屋敷の中へと拉致されていった。

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