2-16
「最近あいつ、変だと思わないか」
昼休み。
いつものメンバーで話をしていたのだが、江畑くんがトイレに立つとイトがそんなことを言い始めた。
「江畑くんのこと」
「そう凪。最近変な表情してることあるだろ」
「ん、変な表情って?」
「うーん。なんというか、必死に表情を隠そうとしてるけど、耐えられずににやけてる。みたいな顔」
「いやに具体的だね」
そんな変な顔していることあったかなぁ。
「あ、それなら私もみたことある」
近くで話を聞いていた桐生さん(めがね委員長)が話に入ってきた。
「なんかぽけーっとしてると思ったら急に顔をクシャっとさせて首を振ってたり、難しい顔してると思ったら急に顔を赤くさせてたり」
「そう!それだよそれ!やっぱ委員長は凪のことよく見てるよ」
「な、なによそれ!別に凪のことなんか四六時中見たりしてないわよ」
「そこまでは言ってないけど」
ほかの人も目撃しているとするなら、変顔をしている頻度は多そうだと感じる。
「でも僕はそんな顔見たことないんだけどな」
「ほんとに?これだけ一緒に行動しといて?」
桐生さんは呆れたような、疑わし気な表情で僕を見る。
そうは言われても、見ていないのだから仕方がない。
「なんなんだろうな。あれ」
イトは心底不思議そうに、そう言うのだった。
今日は天文部の部活の日なのだが、天気は生憎の雨。
予定していた天体観測ができなくなり、今日の部活は中止だと向井先生に言われた。
けど僕は江畑くんと連れ立って部室に顔を出した。
「失礼しま~っす。お、やっぱりいた」
部室の扉を開くと、案の定目当ての人物は椅子に座っていた。
「おはようございます。うしお先輩、漫画返しに来ました」
うしお先輩は、いつもと変わらずパイプ椅子に座り漫画を読んでいた。
「ああ、ありがとう。もう読んだんだ」
「はい。面白くて一気見しちゃいました」
「あれ、巻数少ないくせにすげえ面白かったっす」
「それはよかった。貸した甲斐があったというものだよ」
マンガ好きのうしお先輩はよく僕らにおすすめのマンガを貸してくれる。
僕と江畑くんはそれを交互に家に持って帰って読み、皆で感想を言い合うのが一つの流れになっていた。
今回貸してくれたのは、水下悟志の『スピリチュアル・サークル』という漫画だった。
中学に通う主人公の男の子は、転校生の女の子に一目ぼれしてしまう。
しかし額に大きな傷のあるその女の子に、主人公とは前世からの因縁があると酷く恨まれているのだった。
そうして、よくわからないままに不思議な輪、スピリチュアル・サークルによって前世を追体験することになってしまう。
七属七生。様々な前世を追体験しながら女の子との不思議な因果を紐解いていく輪廻転生スペクタクルファンタジー漫画だ。
江畑くんの言う通り巻数は少ないが、その中にぎゅっと話が詰め込まれていて無駄のない構成になっていた。
「読み終わった後でもう一回最初に戻ると、主人公の見ていたフォルトゥナの夢がすごい刺さって刺さって」
「あそこ良いよね。何気ないように描かれてるのに凄く味があって。水下悟志はああいった滋味深い話が多いから好きだ」
「この作者ってほかにも何か書いてるんですか?」
「いくつか書いてるけど、どれも面白くて外れがない。確か、部室にも一作品あったはず」
うしお先輩は備品の置かれている棚の隣にずらりと並ぶ漫画コーナーから目当ての漫画を探す。
「……いつ見てもすごい量ですね」
「半分漫画部だよな、ここ」
この漫画は、以前まで先輩たちのたまり場になっていた時の名残りなのだとか。
たまり場と言っても、不良学生が煙草を吸ってたりというのはなかったらしいが、それでも中古で買った漫画などをみんなで読んでそのまま放置していたりしたそうだ。
漫画好きのうしお先輩はそれに目をつけて、先輩がいなくなった途端に部室の漫画をすべて回収。部室を漫画王国に改造し、我が世の春を謳歌したのだ。と、うしお先輩は声高に語ってくれた。
部室にある漫画の量は、下手をすると備品よりも多いかもしれない。部室が狭い理由の大半はこの漫画のせいだろう。
「――あった」
うしお先輩は見つけた漫画をぼくらに渡すのだった。
せっかくだから、僕と江畑くんは部室に残って、水下悟志の漫画、星の五月病を読んでいくことにした。
僕は窓側の長テーブルの端に座り、江畑くんは反対側のパイプ椅子に腰かける。
その時になってようやく、足りないメンバーがいることに気が付いた。
「そういえば、部長遅いですね」
「ほんとだな。部活のある日もない日もいつも部室に居座ってんのに」
部室大好きな百瀬部長がいないなんて、何かあったのだろうかと思ったが、うしお先輩は事情を知っているようだった。
「今日は親戚の法事なんだと」
窓から外を眺めながら、うしお先輩はそう答えた。
「……そうなんですか」
部長が居ない日の先輩は、随分と物静かに見えた。
小ぶりの雨は、小さな雨音。
軒先に滴る雨粒の、ぴちゃぴちゃぴっちゃん独りごと。
規則正しい雨音と、足音すこし聞こえてる。
窓を滴る雨粒も、折り目正しく流れてく。
部室の中もぱらぱらぺらり。
静かな教室、静かな心。
ゐつき
……駄作だなぁ。
いまいち漫画に集中できなくて、僕は一人詩を考えていた。
というのも、学校にいるときはあまりダンジョンのことを考えないようにしているからだ。
最近、ダンジョンと学校生活の比率は六対四ぐらいで、ややダンジョンの占める割合が多いのだ。
それにつけても疎かになりがちな学校生活。
のめり込みすぎないようにするためにも、学校にいるときは学校のことだけを考えていたい。
だから何となく学校っぽい詩を考えていたのだった。
けど、ダンジョン関連で聞きたいこともあったのだと思い出す。
「江畑くん、安曇って苗字聞いたことある?」
漫画を読んでいた江畑くんが顔を上げる。
「安曇?……ん~何だったかな、聞いたことあるような気がする」
江畑くんは考え込むように顎に手をおく。
先日、モンスターに襲われていた鞍馬さんたちを助けたとき、彼女らは安曇家の所属だと言っていた。
ダンジョンを管理しようとする組織であるなら、その規模は大きなものであるはずだ。
にもかかわらず、隊や組織の名前より先に安曇家という家の名前を出していた。
どういった組織体系なのかはわからないけど、これは何かありそうだと思ったのだ。
考え込んでいる江畑くんを見つめていると、隣で漫画を読んでいたうしお先輩が答えてくれた。
「安曇と言えば、ここらで有名な大地主の名前だよ」
「大地主?そんなんだったかな……」
江畑くんは首をひねる。
「ここらって日滝森のですか」
「そうだな。正確には、昔日滝森だった土地も含めての、だ」
「ん?昔はもっと広い土地だったんですか」
「そうらしい。今の那須乃坂市の東側半分ぐらいは日滝森だったんだと」
「へぇ、それは大きいですね」
那須乃坂市はここから車で二時間以上離れたところにある。
そう考えると、随分広大な土地を持っていたことになる。
昔からある家、旧家ってやつだろうか。
僕が考えを巡らせていると、考え込んでいた江畑くんが急に大きな声を出した。
「思い出した!確かモリミツの母方の爺さん婆さんの苗字が安曇だったはずだ」
「母方の祖父母の苗字か……って、なんでそんなこと知ってるの?」
「小っちゃい頃、モリミツのじいちゃんと遊んだことがあるんだよ。うん、確かに安曇だった」
モリミツのおじいさんか。ならモリミツも安曇家と何かつながりがあるのかな。
それとも、あずみ違いか。
「モリミツ、最近どう?元気そうだった?」
「あぁ、もうだいぶ落ち着いてるよ。もうそろそろ学校にも戻ってこれるんじゃないかな」
「そっか。それはよかった」
モリミツとは一月ほどの関係だったけど、あの恰幅のいい体格が今は懐かしく感じる。
早く会いたいな。
それから少し雑談した後、うしお先輩は帰り支度を始めた。
「僕はそろそろ帰ろうかと思うけど、君らはどうする」
「俺はも少し続き読みたいんで残ります」
「なら、僕もそうしようかな」
「そう。じゃ、カギ職員室に返しておいてくれ」
「わかりま――」
うしお先輩はポケットの鍵を長机におくと、手だけで挨拶をして振り返りもせず部室から出ていった。
「……部長がいなくて寂しかったんじゃね?」
「かもね」
部室から先輩がいなくなると、どうにも静かな雰囲気になってしまった。
雨は変わらず小降りだけど、雨の音はさっきよりも大きく聞こえてくるようだった。
机に突っ伏しながら漫画を読んでいたのだが、どうにも集中できない。
なぜだかそわそわしてしまうのだ。
僕は漫画を読むふりをしながら江畑くんの顔を覗き見た。
江畑くんは集中しているのか、少し眉を寄せていた。
……変な顔なんて、してないよね。
切れ長の目元に凛々しい眉、輪郭の整った端正な顔立ち。
栗色の髪は前に見た時より少し伸び、目元を少し隠していた。
眉を寄せた表情はどこか物憂げで、ずっと見てると、なんだか胸が苦しくなってくる。
変な気持ちだ。
「ふぅ」
僕は気持ちを落ち着けるため、目を閉じて深呼吸を始めた。
人間は思い込む生き物だと、なにかに書いてあった。
なので深呼吸という行為を通してリラックスした自分を想像してみることにした。
集中して、しばらく深呼吸を続ける。
そうしてるうち、僕はいつの間にか眠ってしまっていた。
夢の中でも、雨の音が聞こえていた。
サーッと、どこか風の音に似た雨音。
寝苦しいのか、ぼんやりしているのか。起きているとも寝ているともつかない微睡のなかにいる感覚だった。
左の頬が暖かく感じる。だれかに触れられているような、優しい感覚。
暗く、世界に影がかかった。
暖かい空気が、顔にかかる。
ピシャッ!
突然の雷の音に目が覚めた。
目を開けると、すぐ近くに江畑くんの顔があった。
「あ」
どちらの声だったのだろうか。
急に眼を開けた僕に驚いたのか、江畑くんはぺたんと尻もちをついて壁によりかかった。
僕は寝ぼけ眼で座り込む江畑くんを見つめた。
なにをしていたのだろう。
江畑くんは少しの間、声も出せないほどに驚いているようだった。
「ち、ちがっ!俺は!……おれは、こんな――」
何かを弁明するように苦し気な表情を浮かべる江畑くん。
その表情を見て、僕の眠気はすっ飛んでしまった。
「え、どうしたの!?大丈夫?」
「へ――」
僕がそう聞くと、江畑くんは険しい表情から一転、素っ頓狂に目を見開いた。
「あ……いや何でもない!何でもないから!!」
それから慌てたように恥ずかしそうな顔をして、顔を真っ赤に染めた。
あ、変な顔だ。
みんなが言っていたのはこの顔だったんだ。
「ふふ」
表情のあまりの変わりように、僕は少し可笑しくて笑ってしまった。
江畑くんは笑われたのが嫌だったのか顔を背けてしまう。
けど、それから急にカバンを引っ掴むと、廊下へ駆け出していった。
「帰るから!」
「えっ」
そのまま走り去っていってしまった。
「そんなに笑われたのが嫌だったのかな」
それにしてもあの驚き様……なにをしてたんだろう。
「……落書きでもされたかな」
額をさすりさすりしながら、江畑くんの去って行った廊下を見つめる。
廊下の窓には晴れ間が見えたけど、やっぱり少し雨が降っていて。廊下の奥からは、まだかすかに足音が聞こえていた。
「小ぶりの雨は、小さな雨音」
ぴちゃぴちゃぴっちゃん、一人ごと。




