003:ミッドナイト・アクシデント
「拗ねてないで帰ってきたらどうだ?」
イオンはアパートの軒下で、途方に暮れたようにたたずんでいた。
勢いよく家を飛びだしたはいいものの、その後のことまでは考えていなかったらしい。
「……」
しかしイオンは俺を見るなり、逃げるように歩きはじめた。
見つけてしまった以上、放っておくわけにもいかず、俺もその後を追う。
(さっき受けた辱めを相当根に持っているらしいな。あんな恰好で外をうろつくほうがよっぽど恥ずかしい気もするが……)
イオンは家を出たときから裸にエプロン一枚という格好だったので、背後から見るとはみ出したケツ肉が歩くたびに揺れていた。
あんな格好で街に出たら、どんな目に合わされるかわかったものではない。
「一旦頭を冷やしたほうがいいぞ」
「ワタシのことはほうっておいてちょうだい」
イオンはすっかり頭に血が昇っているようで、俺の言葉など耳に入らないようだった。
追いかければ追いかけるほど早足になるようだったし、さすがに俺の足も辛くなってきたので、
「もう好きにしろ。お前が暴漢に襲われようが、知ったこっちゃないからな」
と言い放って、俺は追跡を止めることにした。
向こうの大通りに人だかりができているのが見えたので、さすがにそこまでは行かないだろうと思ったのだ。
(この道をまっすぐ行くと、商店街のような場所に繋がってるみたいだな)
アパートからここまでの道は人とすれ違うこともなかったが、奥のエリアには祭りの屋台のように露店が並んでいて、それなりに賑わっているようだった。
イオンもそれに気づいたようで、怖気づいたように足を止めている。
「……っ」
だが、イオンは後ろをふりかえって俺がいるのを確認すると、意を決したように人だかりに突っ込んでいった。
裸エプロンの美女に気づいた汚らしい身なりの通行人たちが、その横乳やケツを舐めまわすように見て、ヒュウっと口笛を吹いている。
「なんだ、新手の痴女か?」
周囲の男たちが色めき立つのを無視して、イオンは目を伏せて歩いていたが、やがてホームレス風の男がイオンに絡みはじめた。
その男はニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら、イオンを無理やり抱きよせようとしているところだった。
「おい、やめろって」
さすがに見過ごすわけにはいかず、俺が急いで駆け寄ると、その男は舌打ちをして引き下がった。
俺はイオンの手をひっぱって、人気のないところまで連れていく。
「気は済んだか?」
俺が声をかけると、イオンは恥ずかしそうにうなずいた。
ひとまず大人しくなってくれたようなので、持ってきたコートを羽織らせて、やわらかい口調で声をかける。
「お前はアンドロイドなんだろ?」
「えぇ、そのとおりよ」
「なぜいままでポンコツなロボットのフリをしてたんだ?」
「あの子に拾われたとき、パニックになってとっさに自分を偽ってしまったの。そのままズルズルと今日まで来てしまって……」
イオンはそう言って、ため息ついた。
「俺もお前と似たような状況だから、その気持ちはよくわかる」
「え……? そういえば、シーナはアナタのことをアンドロイドだと言っていたわね。もしかしてアナタもワタシと同類なの?」
「いや、それがその……」
「ワタシも正体を白状したんだから、アナタだって教えてくれてもいいじゃない」
俺が口ごもると、イオンは不服そうに腕組みをした。
「そうしたいのはやまやまなんだが、いかんせん話が長くなりそうでな……」
「それなら、ちょっとそこのお店に入りましょうよ。ワタシが一杯おごるから、アナタの身の上話ついて詳しく聞かせてちょうだい」
イオンは目の前にあったバーの看板を指さしながら言った。
断る理由もなかったので、俺はイオンに連れられるがまま、うらびれたバーに入店した。
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「まさかこんなところに来ることになるとはな……」
俺はグラスを傾けながら、バーの店内を見渡した。
先客は誰一人としておらず、貸し切りの状態だったので、俺とイオンは他人の目を気にせず、ボックス席のソファでくつろいでいた。
「いいじゃない。一度こういうところでデートをするのが夢だったのよ。まさか二二四〇年にこんなことをするだなんて思いもしなかったけど」
イオンはすでに何杯か酒をひっかけており、締まりのない笑顔を浮かべながら机に頬杖をついていた。
「俺は遊びに来たわけじゃないんだけどな。あんまり遅くなると、シーナだって心配するぞ」
「ワタシたちは子どもじゃないんだから、大丈夫よ。……あ、でもこう見えてもイオンさんはお堅い女だから、ワンナイトはお断りよ? その気があるならまずはお付き合いから始めてちょうだいね」
「はぁ……」
どうやらイオンは話し相手に飢えていたようで、先ほどとは打って変わって、口数が多くなっていた。
アンドロイドとはいえ、ずっと無感情なフリをしているのはストレスだったのかもしれない。
「俺も念のために言っておきたいんだが、いま無一文でな。支払いは任せていいんだよな?」
「ワタシから誘ったんだから、もちろんよ」
「金は持ってるのか?」
「大丈夫よ、ときどきあの子が――シーナがワタシにお小遣いをくれてたから。ね、可愛いと思わない? シーナったら、ワタシに何か仕事をお願いするごとに、お給料としてポッケに小銭を入れてくれてたのよ。きっと貯金箱にお金を入れるような感覚だったんでしょうけど……なんだか人間として扱われてるみたいで、嬉しかったわ」
シーナについて語るイオンは、まるで我が子を誇りに思う母親のような表情をしていた。
「そこまでシーナのことが好きなら、家を飛び出さなくてもよかったんじゃないか? お前が何者だろうが、きちんと説明すれば、シーナは受け入れてくれるってわかるはずだろ」
「もちろんワタシだって、できることならそうしたいわ。でも、好きだからこそ距離を取るべきだと思ったの。この時代では、アンドロイドと暮らすのは危険が伴うみたいだから……」
そこでバーテンがやってきて、俺たちのテーブルの上にナッツを置いた。
イオンはビクッと驚いてから、再び俺のほうを向いた。
「ワタシのことはいいのよ。それよりアナタの話を聞かせてちょうだい。アナタはなぜあのゴミ捨て場に倒れていたの?」
俺はグラスの氷をからからと鳴らしながら、自問自答する。
(ここは素直に話すべきだろうか? 俺が異世界から転移してきたことはまだ誰にも伝えていないが……。万が一、コイツに頭のおかしな奴と思われても痛くもかゆくもないし、反応を見るにはちょうどいいかもな)
「わかった、正直に説明するよ。ただし途中で茶化したりドン引きするのはナシにしてくれるか?」
「もちろんよ。約束するわ」
「俺はアンドロイドじゃない。異世界からやってきた人間なんだ」
イオンは目をぱちぱちさせている。
「えっ? それってつまり……なろう小説でいう異世界転生みたいなことが現実に起きたってこと?」
そのとき、リリンとドアベルが鳴り、店内に新たな客が入ってきた。
店に入ってきたのは二人組で、一人はゴスロリ服を着た白髪ツインテールの少女で、もう片方はハンチング帽子を目深にかぶった少女だった。
「ん、俺の聞き間違いか? いまなろう小説って言葉が聞こえたような……」
「『芸術家になろう』でしょう? お人形のフリをしてるあいだは暇だったからよく読んでたわ。ワタシが好きなのは悪役令嬢モノだけれど」
なろうが異世界にまで進出しているとは思わなかったが、おかげでスムーズに話を進めることができそうだ。
「なら、話が早いな。要するにそういうことだ。別の何かに生まれ変わったわけじゃないから、厳密に言えば転生ではなく転移なのかもしれないが」
「え~っ!」
イオンは一拍置いて驚きが来たようで、マヌケな声を張りあげている。
その声に反応して向かいの二人組が怪訝な顔をしてこちらを見たので、イオンに声量を抑えるよう伝えた。
「ゴメンなさい。つい気が動転して……。けどもしその話が本当だとするなら、この物語の主人公はアナタってことになるわよね。ひょっとしてメインヒロインはワタシなのかしら? さっき胸を揉まれたのなんか序の口で、そのうちアナタとアハンうふんな関係になっちゃうのかしら!?」
「お前の脳内はお花畑かよ。というか、声がデカいって」
俺は気恥ずかしくなり、酔ってもないのに顔を赤らめた。
初対面の印象ではもっとクールな印象だったが、イオンはむしろ親しみやすいというか、ともすればうっとうしい性格のようだ。
「俺の話はもういいだろ? 早く家に帰ろう。シーナがいまごろ、血眼になって俺たちを探してるかもしれん」
イオンはまだ話し足りないようだったが、俺が席を立とうとしたので、店主に指でチェックの合図をした。
「ごちそうさまでした」
そして会計を済ませたイオンが出口に向かって歩きはじめると、向かいの席に座っていた二人組の内の片方が、通路にスッと足を伸ばした。
イオンはキャッと子犬が尻尾を踏まれたときのような声をあげ、転んで床に手をついてしまう。
「おっと、悪いね。うっかり足をぶつけてしまった」
黒髪の少女はちっとも悪びれていない様子だったが、帽子を取って会釈しながら、イオンに手をさしのべた。
「こちらこそ、すみません」
そして困惑したイオンがその手を取って立ちあがろうとすると、少女は片方の手でナイフを取りだして、イオンの手首をシャッと切り裂いた。
「えっ……?」
イオンは理解が追いつかないという顔で、自分の手首を見つめている。
その切断面からは、まるで墨汁のように黒い液体があふれだしていた。
「これは……驚いたな」
帽子をかぶっていた少女は、同じようにイオンの手首をながめながら感心したように嘆息を漏らした。
もう一人のツインテールの少女は、ソファに片膝を立てて座りながら目を丸くしている。
「マジかよ……」
「異世界がどうとか話しはじめたときはダメかと思ったけど、どうやらこっちの女性がアンドロイドなのは本当らしいね」
それを聞いたツインテールの少女は、興奮した様子でぐびぐびと酒を飲み干すと、持っていた酒瓶を俺に向かってさしだした。
「ったく、兄ちゃんはあたしらの救世主だな! ほら、一杯くらい飲んで乾杯しようぜ!」
俺が何と言っていいかわからず黙っていると、ツインテールの少女はイオンの頭上で酒のボトルをひっくりかえした。
イオンはずぶ濡れになりながらも、反抗せずに目を伏せている。
「なんだよ、ノリが悪ぃな。いまなら兄ちゃんのケツの穴くらいなら舐めてやってもいい気分だってのに」
ツインテールの少女は俺を見ながら、挑発するように舌を動かしている。
俺はイオンの肩に手を置いて、少女らをにらみつけた。
「いい加減にしろ、警察を呼ぶぞ」
「だははは。陰気くせぇ顔に似合わず、冗談が得意らしいな。こんなところにサツが来るわけねぇだろ」
「お前らの目的は何だ、金か?」
「あぁ、そうさ。あたしらには大金が必要なんだ、それも今日中にな。絶体絶命のピンチってときに、鴨がネギを背負って現れてくれたってわけだ」
「……家に貯金がいくらかある。一度俺たちを帰らせてくれれば、その貯金をお前らに譲ってもいい」
「そんな見え透いた嘘には引っかからないよ。おじさんが億万長者だって言うなら話は別だけど」
「あいにく引きこもりのオタクにしか見えねぇな」
二人組は顔を見合わせて笑っている。
「この人たちの狙いはワタシよ、アナタは逃げて!」
イオンの叫び声を聞いた俺は、反射的に店の出口に向かって走りだした。
転生したとはいえ、俺はただの凡人なのだ。ナイフを持っている相手に勝てるとは思えなかった。
「アッハッハッ。女を見捨ててとんずらこいてやんの」
足がもつれそうになりながらも、なんとか出口にたどりついた俺は、木製の扉を開けて外に出ようとした。
だが、扉はビクともしない。
(扉の外側からかんぬきをかけられているのか? そういえば、店主の姿が見えないが……あの店主もグルだったのか)
ドアノブを夢中で回している最中に、ジジジジジ、という音が背後からしてうなじに激痛が走った。
ふりかえると、帽子の少女が俺にスタンガンを押しあてていた。
「みすみす獲物を逃すほどボクらはバカじゃないよ」
全身の関節を焼かれているような痛みで、俺は陸に打ちあげられた魚のように床をのたうちまわった。
しばらくして俺が動かなくなると、帽子の少女が静かに口を開いた。
「良いニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい?」
俺はぜえぜえと息を吐きながら答える。
「……じゃあ、良いニュースから」
「取立人がこの店に来るまで、あと三十分ある。それまで大人しくしてくれるなら、これ以上の危害は加えないよ」
「なら、悪いニュースってのは?」
俺がたずねると、ツインテールの少女がニヤッと意地の悪い笑みをうかべた。
「残念ながら、その三十分が経過したら、アンドロイドの姉ちゃんとはオサラバすることになる。せいぜい悔いのないように、残りの時間を過ごすこった」