#91 仕事を完遂すること
手に残る、柔肌を叩いた感触。
手袋越しであったにも関わらず生々しく残るその感覚は、ローワンの胸中に後悔を残した。
〈#91 仕事を完遂すること〉
「……よろしかったのですか」
「何がだ」
「婚約者に手を挙げるなど……主らしくないと思いまして」
「……」
部屋を移動したローワンとセドリック。時間を置いたことで少し落ち着いたか、2人とも声のトーンが下がる。
「……私も、手をあげるつもりは無かった。ただああでもしないと彼女が止まらないと……そう判断した」
「……」
セドリックは、ローワンがルカに対し“婚約者”以上の感情を抱いていることに気づいていた。
監視の目的でルカを婚約という形で縛り付け、その結果、それをきっかけに屋敷の中が徐々に変わっていき……。
その変化は、アシュフォード家にとって良い方向に働いていた。業務量の改善はもちろん、どこか暗かった使用人たちは、今や世間話に花を咲かせることに夢中になり、メイド長の叱責を受けるほど。
直接何かをした訳では無い。ただその起点にルカがいる。ルカによって自信をつけたキアラ。そんなキアラと共に使用人たちと交流を深めたドレイク。もたらした変化の大きさをセドリックはよく理解していた。
「……私が彼女を警戒していたのは、主を害するかもしれないという他に……彼女が管理官である可能性を感じていたからなのです」
「……」
2年前、セドリックがマリアと遭遇し交渉した際、あることを言われていた。
“もしコンソールを持つ者が現れたら、それはこの世界を衰退させるために派遣された管理官だ”、と
「彼女が森に現れた時……ローワン様が魔の者を切り伏せられましたが、私は彼女が殺されるのを待っていたのです。私は主を危険に晒してまで、管理官を排除しようとした……それが過ちだと気づいたのは、ヴァレリー元公爵令嬢が現れてからですが……」
「……」
ローワンの思っていた以上に、セドリックはルカを警戒していた。しかし……ローワンとて最初は彼女を警戒していたはずだった。だというのに……。
「(衰退させるだと?……彼女はただ、守ろうとしているんじゃないか)」
転移者であるというヴァレリーも、管理官に対して“冷たい集団である”と形容した。しかしそれは、異世界転移を楽観的に捉えている者の考えだとローワンは読む。
では、それに対しルカはどうだ。どんな状況であっても自分よりこの世界を優先させた。世界に降りかかる危機を誰よりも恐れ警戒し、対策を講じた。
それに彼女は冷たい人間などではない。誰よりも優しすぎるが故に自分を押し殺しているだけだ。それでも我慢が効かず、好きに動いていた節はあったが……
目を覚まし、仕事の話をした途端あの息を吹き返したような……生き返った顔にどれだけ安堵したか。そんなことをルカは知らないだろう。彼女は仕事となれば、ローワンのことなどそっちのけなのだから。
「……セドリック」
「っ……はい」
「お前は……この世界を破壊しかねない危険な行動をした。コンソールを部屋に置いたことは、それだけ重大なことだと理解しているか」
「はい……」
静かに言葉を紡ぐローワン。セドリックは項垂れ、自分の罪を認めるように返事をする。
「その自覚があるというなら……お前には罰を与える」
「っ……」
どんな罰でも受けようと、セドリックは身構える。
「お前には……一芝居打ってもらう」
「…………芝居、ですか?」
「ああ」
ローワンの顔を見上げたセドリック。その顔は困惑に満ちている。
「元管理官が何を考えているのかはわからないが、少なくともルカの思想とは相反した行動をとっているように見える。魔の者を作ることが何になるのか……それをお前は、さも何も知らないという態度で聞くんだ」
「……それは……」
ローワンらしからぬ作戦だ。使用人に命令を出すことを好まないこの男は今、危険人物を相手に情報を取ってこいと言った。それほどの危険な行動だったことは理解できる。ただ、悪事を働いた者への容赦のなさはまるで……。
「お前がこれまで、私のためを思って行動したのは理解している。だからこれは……コンソールで彼女に怪我をさせたことへの罰だ」
「……!」
「気を引き締めろよ」
「……はっ!」
昔自分が憧れ、ついて行こうと決めたローワン。その姿が今蘇ったように、セドリックの目には映ったのだった。
・
「——はぁ、じゃあ結局爆弾を仕掛けたのは誰かわからないのか」
「すまない……」
コナーが戻り、ローワンはことの顛末を伝えた。
セドリックは怪しさこそあったが、行動に一貫性があり容疑は晴れた。しかしこのままにしておくにはことが大きいため、爆弾ではなく魔法の暴発によるものだとして公表しようという提案まで。
「で、その理由が?」
「喧嘩だ」
「……」
「彼女と口論になり、その激化が原因で魔法を使った」
「……主……」
まさかそんな暴論まで似るとは。確かに彼女の発言の説得力は見習うべき部分があるのだが、ローワンが言うとまた違う。というか喧嘩で魔法を使うとはどんな内容だったのだ。部屋を爆発させるほどの婚約者同士の喧嘩など聞いたことがない。
「……まあわかった。私がなんとか言っておく」
「助かる」
「それで?その婚約者殿は今どこにいるんだ?」
「部屋にいるはずだ」
口軽く喧嘩だなんて言ってみたローワンだったが、実際ルカとの空気はかなり悪いまま離れてしまった。彼女のことだ、納得できる言い訳を用意しなくてはこちらが理詰めされるだろう。
なんとか頭を働かせ、必死に謝罪文を組み立てるローワン。
そうして彼女のいる部屋の前に立った時……ふと、ドアの下の隙間から薄く風が吹いていることに気づいた。
「(換気をしたのか……?)」
彼女は足をずっと気にしていた。もしや上手く足が動かないのではと思っていたが……窓を開けることができる程度には回復していたのかもしれない。西領の風は心地がいいから、換気をしたくなる気持ちもわかる。
……ただ彼女のことだ、頭を冷やせと言われたからなんて可愛げのないことを言うのかもしれない。そう思うとにやけてしまう。
「……ルカ、入ってもいいか?」
返事はない。しかし彼女に謝らなければ。ローワンは、返事を聞く前に扉を開く。
「ルカ、さっきはすまなかった。私ももっと冷静に……」
そう言った瞬間、強い風がローワンの髪をなびかせ、目を開けることすら許さない。
冷たく、強い風は大きく開いた窓から吹きこみ、ローワンを拒絶するように吹き荒れる。
「……ルカ?」
ようやく風が落ち着いた頃、ローワンが目を開けるとそこには……
もぬけの殻となったベッド。ローワンがバスケットに入れて持ってきた、布に包まれたコンソールも忽然と姿を消している。
「……どういうことだ、彼女はどこへ……」
「っローワン様、書き置きが!」
セドリックが窓のサッシに挟まれていた紙を見つけ、ローワンに手渡す。
そこに書かれていたのはたった1行の短い言葉。
"少々外します"
「……っ!!」
窓に駆け寄り、外に目を凝らすローワン。
そこには、布団を繋げた手製の紐が、風に煽られ揺れていた。




