#90 相手のことを信じること
「マリア・ロバーツ……彼女こそが、魔の者を作り出した張本人なのです」
セドリックの口から語られた、信じ難い事実。
ルカはそれを聞き、震える手で自分の顔を覆うのだった。
〈#90 相手のことを信じること〉
「……」
頭を鈍器で殴られた気分だと、ルカは今の気持ちを形容する。
セレスティン第一王子の婚約者、マリア・ロバーツ。まさか彼女が管理官だったなど考えもしなかった。
……いいや、これは後出しだが彼女はずっと怪しかった。完璧な笑みに人畜無害そうな振る舞い。そして何より……
「(オーデル教が国教なのに、聖母なんて名前はおかしいだろ……っ)」
どうして気づかなかった?
当たり前に自分以外に管理官がいると思っていなかった。当たり前に転移者は沢下ユイだけだと思っていた。……報告書を信じ切って挑んだ結果がこれだ。世界の魔素量が増えていた時点でもっと全てを疑うべきだったと、ルカは自責する。
「……ルカ」
「……なんですか」
「どうしてあなたは、すぐ自分を責めるんだ」
ルカの動きが止まる。なぜ自分を責めるのか、だと?平静でいられないルカは、その言葉に強く反応する。
「……何が言いたいんですか」
「い、いや……私はただ、あなたを……」
心配している。その言葉を言おうとしたローワンを、ルカは咎めるように睨みつけた。心配は不要だと、それよりも優先すべきことがあるだろうと黒い目は雄弁に語る。
「……セドリック、それであなたはどうしたんですか。マリア・ロバーツと遭遇した、だけで終わりではないでしょう」
「っ……!」
そして鋭い視線はセドリックにも向けられる。
ローワンは話を逸らしたルカに思うところがあったが、事件の真相についても無視することはできない。黙ってその話を聞く。
「わ……私は、彼女に交渉を持ち掛けられました。魔の者の製造を黙認すれば、アシュフォード家を襲わせることはしないと」
「っセドリック、お前は……!」
「わかっています!これが主やほかの使用人を裏切る行為だと!ですが……っその時の私は必死だったのです……!」
悔し気に奥歯を噛み締めるセドリックに、ローワンは虚しさと無力感に苛まれていた。自分がもっと自立し、強ければ……こんなことにならなかったのかもしれないと。
20にも満たない時に爵位を継ぎ、アシュフォード公爵として今も尚やっていけているのは、献身的に支えてくれたセドリックのおかげだ。
その状況に甘えていた……その結果がこれだ。自分の大事な腹心はずっと自分の不甲斐なさによって苦しんでいた。
こんなことでは、公爵と名乗ることすら……そう、ローワンが手を強く握った時。
「いいえ、あなたはまだ何か交渉しているはずです」
「!」
「ルカ、セドリックはもう十分自白しただろう。それに元はと言えば、私の不甲斐なさが……」
セドリックを庇うように立ち上がったローワン。しかしルカはそれをものともせず、固い声を被せる。
「では先ほど持っていたあの金属片は何ですか?それに、そこまで異世界のことを知りながら2年も生かされているというのは……私には“普通の交渉の結果”に見えません」
ルカは何か言いたげなローワンとセドリックに、追い打ちをかけるように冷たく言い放つ。
「管理官にとって、自分の情報を開示するというのは自殺行為なんですよ。
それを、たまたま魔の者を製造する場面を見られたからと言って明かすのか……いいえ、恐らく自滅覚悟でも得たい何かがあった。だから明かしたと考えるのが妥当です」
「それ、は……あの方は、あなたとは違うお考えを持って……」
いつにもまして冷たさのある言葉は、ルカにしては珍しく、断定の入り混じった強い言葉が使われていた。
らしくない。ローワンはそう思ったが、しかしルカの顔は険しく、口を挟む余地は無い。
「ええそのようですね。管理官が現地に新たな生物を生み出すなど、あってはならないことですし。ですがそれなら、なおさら身の上を明かすメリットが見つからない。セドリックが恐れるほどの実力差を感じたのならその場で処理できたと思います」
「わ……私は……」
「言いなさい。ここで黙れば……あなたは大事な主に秘密を打ち明ける機会を、永遠に失いますよ」
「っ……」
ルカの猛攻によって青ざめていくセドリック。それを見て、ローワンは……
パシンッ
ルカは一瞬、何が起きたかわからなかった。
ただ視界には布団。そして頬に走る熱さ。
顔を上げて見れば目くじらを立て、肩で息をするローワンが自分を見下ろしている。
「あなたは一度、頭を冷やしてくれ」
「……、」
「セドリック、詳しい話は別室で聞く」
「……はい」
部屋に残されたルカは、ただ一人項垂れる。
布団の下で情けなくも動かない右足が、自分の無能さを見せつけているように見えた。




