#82 守ると決めたものは最後まで守ること
魔石の明かりも届かず、鼻につくのは壁材の匂い。ローワンの腹部に当たる柔らかい重さが、視界がクリアになってきたローワンに現状を突きつける。
「っ……なんで、逃げないんですか」
顔に張り付く髪を避けられないルカは、薄ら笑いながらローワンを咎める。しかし彼女がよくする叱責の雰囲気は無く、どちらかと言えば茶化すような軽い声色だ。
「あなたは……あなたはどうしてそういうことをするんだ!!」
瓦礫の下。
確かに自分が守るように抱きしめたはずの小さな体は、ローワンを守るように覆い被さり、その薄いパジャマを土で汚していた。
〈#82 守ると決めたものは最後まで守ること〉
「はぁ……、結構絶望的ですね」
あは、と乾いた笑いを漏らすルカを、下から見上げるローワン。その体は密着しているがルカがなんとか腕を突っ張らせているおかげで二人の間には空間ができている。
砂埃が舞っているものの呼吸はできる。落下した感覚が無く、床は先ほどまでいた部屋のものだったため恐らく下の階までは被害が及ばなかったものと思われるが……。
「どうして笑ってられるんだ!いいから退け!私が」
「場所を変わるって?……無理でしょう。今私が動けば瓦礫が崩れますよ」
「っ……」
悔し気に下唇を噛んだローワンにルカは笑う。さっきまで生気のなかった女性とは思えないその様子は、どこか諦めにも似た自暴自棄を感じて素直に喜べない。
本来ならば見たかったはずのその破顔。自分が崩したかったと思っていた表情。最悪の形で叶ってしまった自分の願い……。
自分を瓦礫から守る女性の苦しげな息の音が、ローワンの平静をかき乱す。
背後では瓦礫の動く音が聞こえる。恐らくキアラたちが救出に来たのだろう……複数人の声も聞こえてくることに安堵したのもつかの間、パラ、と瓦礫の粒が落ちる。
「……あの結界、何とかなったみたいですね」
「……天井が崩れたんだ、壁も崩れたんだろう」
「ああ、そっか」
確かに。なんて納得する声は腑抜けていて、それが余計にローワンの琴線を掻いた。
何故こんなにも平気でいられる?今までの彼女ならばこの状況を打破しようとしたはずだ。責任に突き動かされるように信念を貫いていた彼女はどこへいったのか。
「何故……私を庇ったんだ」
「……そりゃあまあ、庇いますよ」
「どうしてわざわざ……」
体格差のある自分を押し倒し、瓦礫をその背に受け止めて耐えるルカ。シェルターのような空間は彼女の犠牲によって成り立っている。
「まあ現地住民は守らないと……いや……雇用契約を結んだ……から?」
「……これが婚約者に望まれる役割だと?」
「どうなんですかね?婚約は初めてでして」
「っ……」
ローワンが調べ尽くしたとしても出てこないルカの人生。見知らぬ場所で28年を歩んできた目の前の女性は、自らの口でこれが初めての婚約だと語る。
本当に、この状況じゃなければどれほど良かったか。ローワンは婚約者に守られ無事でいる自分が情けない。
「……あなたはもっと、悲観的な感情を出してもいいんじゃないか」
「え?」
「瓦礫に埋まって、助けが来るまでこの体勢のまま……コンソールだって目の前で爆発したんだぞ。あれは……あなたにとって命綱だったじゃないか」
「……」
この言葉にルカの表情が曇る。しかしそれは本当に一瞬のことで、また諦めたような温度のない視線に戻り、ローワンを見返す。
「あれは……いえ、もう良いんです。壊れて盗まれて、挙句目の前で爆発されて……ここまで来たらどうとでもなれって感じですよ。悲しんだって戻ってこないでしょ」
「っ……」
なんて冷たい言葉だろうか。当たり前にあった物が目の前で壊され、奪われ……もう二度と修復が出来ないと見せつけられたその時、こうも平気でいられるものか?何によって彼女の感情はこれほどまでに抑え付けられているのか。ただの年の功では説明がつかないほどの冷酷さはルカに悲しむ許可すら出さないらしい。
「だいたい大人が泣いても見苦しいというか。まあ……帰還出来ないなら、本格的にこちらの世界でどう生きるかを考えないといけないので気が遠くなりますけどね。まだまだ知らないことも多いし、働く宛も……」
「違う」
「?……何がですか」
「……違うだろう、あなたが考えるべきことは」
ギリ、とローワンの奥歯が鳴る。耐えるようなそれは、ルカの目を見開かせる。
「あなたがすべきはこの世界の均衡を保つことだ!それから目を背けるのか!?コンソールが無くてもあなたならできるはずだ!」
「なっ……」
まさかローワンの口からそう言われるとは思わず、ルカは思わず顔を顰める。
「っ何を知ったように……あなただって理解できるでしょう!私はもうどうしようもないんですよ!成果の報告もできなければ帰還することもできない!なんのために働けって言うんですか!」
「その言葉はあなたのものじゃない!どうして建前を並べる!?私の見てきたあなたはそんな人じゃない!」
「はぁ!?たかだか半年でしょう!そんな短い期間で何が……」
「短くてもわかる!!あなたがもっと悲しんで良いと言ったのは嘘じゃない。だが……あなたは一度たりとも責任を投げ出さなかった。執念深く仕事に紐付く情報を探し出し、虱潰しに調査した。変人だと言われようと、命の危険に晒されようと!
それが今のあなたは何だ!何故平気で仕事を投げ出せる!?私の知っているルカは、そんなことはしない!」
「——ま、ローワン様!……こっちです!こっちから声が!」
「本当か!?」
瓦礫がガラガラと音を立てる。その振動で崩れ始めるそれらは、ルカの腕にかかっていた負担を少しずつ減らしていく。
「……説教にしては、評価が高いですね」
「言っただろう……私はあなたの、そういうところに惹かれたんだと」
足音と瓦礫の退けられる音が、次第に近づいてくる。ルカとローワンを呼ぶ声は必死で、ルカは項垂れるように顔を伏せ、笑う。
「…………それでは、もうご期待にはお応え出来ませんね」
「……なんだ、ようやく弱音を吐く気になったのか?」
もう使用人たちに見つかってしまうというのに。どうしてこうもタイミングが悪いんだとローワンはため息と笑いの混じった息を漏らす。しかしルカの顔は見えない。照れ隠しか?そう思った時、ローワンはあることに気づいた。
密着していて気づかなかったが……やけに足元が温い。それは人肌に近く、ルカの足が当たっているにしては場所がおかしい。
「……ルカ?」
「ほんと……年下に説教されるとか、ダサいったらありゃしない……」
「ルカ様、ローワン様!ご無事ですか!!」
瓦礫が重たい音を立てて避けられる。その瞬間、キアラの持っていた魔石の光がローワンたちを照らした。眩しさに目を細めたローワン。ルカを抱きかかえるように起き上がった時、キアラは魔石を落とした。
「っ……ルカ様!!!」
悲鳴に近いキアラの声。落ちた魔石によって照らされた、ルカとローワンの足元。
「……は、」
「だから言ったじゃないですか、もう良いんですって」
黄みを帯びた魔石の光が照らしたのは、ローワンのズボンにすら染み込むほど流れ出た血溜まり。
その中心には、もはや感覚すら失われた……ガラス片の刺さったルカのふくらはぎがあった。




