#75 自分の行いには責任を持つこと
「(やっぱり静かだな)」
夜といえば、街灯や看板がやかましく光り酔っ払いが大声をあげて歩く……そんな光景がルカにとっては馴染み深い夜の光景だ。
漂うラーメンの香りに誘われて、何度店へ入ったことか。その後また職場へ戻るのだが……その瞬間だけは至福だったことを思い出す。
そんな騒がしさはここには無く、聞こえるのは鈴虫の声や夜行性の鳥の鳴き声。たまに聞こえる獣の声はずいぶん遠い。
神経質な馬すら寝息を立てるこの時間が、ルカは落ち着けて良いと思った。
<#75 自分の行いには責任を持つこと>
「……寒くはないか」
「?はい」
使用人たちを寝かせるため、不寝番を買って出たルカ。そしてそのルカに上司としての責任を果たせと駆り出されたローワン。二人は焚火を囲みながら向かい合う。
つい先ほどまでむくれて碌に声も出さなかったローワンは、心配の言葉をルカに投げかけた。ルカが問題ないと返せば、ローワンはそれでもじっとルカの顔を見つめる。よく無言でいる男だなと思うルカ。
「眠くないのか?」
「昼間に散々寝ましたから」
「……普段から夜更かしが多いらしいじゃないか、あなたは」
「まあ……否定はしませんが」
一体どこでその情報を……と思ったが、そういえば元々警戒から始まった関係だったと思い出す。
行動の報告ぐらいはあって当然か。なんてルカが考えていれば、倒木に腰掛けていたローワンはハンカチを取り出し自分の隣に置いた。ささくれ立った表皮に引っかかる綿のハンカチがもったいないとルカは少し眉間にしわを寄せる。
「座ったらどうだ」
「お気になさらず」
「東の森の外に魔物はほとんどいない。そこまで警戒せずとも……」
「魔の者などという異常個体も存在しますし、ゼロではありませんよね?それに……魔物以外にも害をなす動物はいるはずです。隙を見せて良いことはありません」
「……待て、あなたが戦おうとしているのか?」
「他に誰がいるんですか」
何がおかしい?と首を傾げるルカに、ローワンは頭を抑える。漏れるため息と滲む呆れ。
しかしルカも真剣だ。不寝番をしろとは言ったが、脅威に晒された場合には自分が盾となるのが当たり前。何せそういう契約だ。雇用主を守ろうと考えるのは当然である、と。
「あなたは女性なんだぞ」
「はあ、存じておりますが……」
「ハァ……どうしていつも意味を理解した上でこちらの意図を汲まないんだあなたは。私が婚約者を盾に腰を抜かすような人間に見えるのか?」
「……」
ふい、と黒い視線が逸れる。無言の肯定をされたローワンは信じられないというような顔をしたが、ただこのまま引き下がることはできない。
ルカがそう来るならば。ローワンは手袋を外し、天に手のひらを向け口を開く。
「“空に揺蕩う闇よ、我が願いを聞き入れよ”」
「!」
契約印の刻まれた手に紫の光が集まり、糸のように紡がれ、そして空へと伸びる。
まるで編み物でもするかのように徐々に形作られるそれ。次第に全容が見えてくると、それがドーム状に広がっていることが分かった。まるで馬車や馬たち、ルカとローワンのいる場所を包囲するような……
「"どうか我らが平穏を守りたまえ、朝焼けの熱がこの身を照らすまで"」
「……」
ローワンの手のひらから伸びていた糸が切れ、一瞬強くドームが発光したかと思うと、それはすぐに目に見えなくなった。目を凝らしても光学迷彩のような透け方はしておらず、空気中に溶けてしまったようである。ルカはしばらく観察を続けていたが……変化がないことを悟り、ローワンに視線を戻す。
「……結界、ですか?」
「害をなそうとする相手に攻撃を反射する。……これで少しは安心できるだろう」
さあ懸念は取り除いたぞ。そんな言葉が聞こえそうな顔で、ローワンは自分の傍に敷いたハンカチを手で指した。相変わらずそこに鎮座するハンカチは、ルカが座るのを今か今かと待っている。
「……ハァ……わかりましたよ……」
魔法まで使わせてしまっては、従う他ない。とんだ我儘当主だなと心の中で悪態をついてみたが、それすら見透かされそうでルカはわざとらしく咳払いをしてみる。不思議そうにこちらを見る男の隣に座れば、スカートが無い分近くに感じられる距離。ハンカチからはみ出した左の尻たぶに知らないふりをする。
「……」
「……」
パチパチと弾ける火の粉。互いに口数が少ない性分のせいか、気まずさがつのる。
「……嫌な思いをさせてすまなかった」
先に口を開いたのはローワンだった。思ったよりも近くから聞こえた声にルカは驚いたが、それよりもなぜ謝られたのか……そちらの言葉の処理に意識が向く。
「どうしてローワン様が謝られるのですか?」
「……元はと言えば、私が彼らの態度を指摘しなかったことが原因だろう。もっと早い段階で咎めるべきだった」
「!……頭を上げてください、そこまでする必要は……」
ぎょっとするルカ。つむじが見えるほど頭を下げたローワンに、なんとか良い返しが無いかと思考を巡らせる。
「あー……ええと……そうだ、元々私は貴族ではありませんし。ローワン様が思っているほど私は見下されることに何も感じておりません」
「……」
「ですからどうか顔をお上げください……私が悪いことをしている気分になります」
「……貴族ではないのか」
どうやら、選んだ言葉はうまく作用したらしい。雑談の種を撒くことにはなったが……ルカは馬車にいる使用人たちに聞こえないよう、できる限り声量を抑えて話をする。
「私のいた場所では、爵位を持つ方はほとんど……同じ国にはいませんでした。……あったとして、会社という同じ業務を扱うチームがあって、そこの上下関係程度でしたね。爵位とは違いますけど……」
「そう、なのか」
「ええ」
頷くルカ。不思議そうなローワンは、知識欲が刺激されたのか質問を続ける。
「あなたの立場はどういうものだったんだ」
「……まあ中間管理職ですかね。無駄に古株だったので、過去の事例についてのアーカイブ……ちょっと詳しい人間という程度ですよ」
「部下の扱いに対してやけに厳しいのは……」
「そればかりは私も後輩が居る立場だったから、としか……」
「……後輩か」
「?」
会話の中で何に引っかかったのかがわからず、ローワンの反応を待つルカ。考えがまとまってから話す癖のあるらしい彼を待つ間、不規則に揺れる炎を眺める。
「……」
「……気掛かりか?」
「なんですか?」
「後輩を置いて来たことを……あなたなら、気にしているのではないかと」
「……」
それを聞き、ルカの頭には数名の後輩が思い浮かぶ。
長く勤めてきたルカに後輩は多い。十数名ではきかないほどの歴代の後輩、そして上司や先輩。その誰もが労働環境の悪さを理由に辞めていった。今や残るのは山本や速水、多田……そして転移者予備軍を探すため検査行脚に出ている二人の後輩と課長のみ。気がかりではない、と言えば嘘になる。
自分がいない間、案件の引継ぎはどうなっているのか。コンソールが奪われ故障したことは把握されているのか。自分の失態を、尻拭いしようと考えていないか。話すことができたなら、喝を入れられたことだろう。“最優先は異世界管理だ”と。
「……全く無いわけではありませんが、それが理由で帰還したいというわけではないです」
「……では何故帰りたいんだ」
「したい、したくないではないんです。以前言った通り私は帰らなければならない立場……この世界の異物ですから」
どうしてそんなことを聞くのか……ルカは疑問ではあったが、同時に少し嫌な予感がしていた。
冷たい風に冷やされた体を温めるのは、なにも焚火だけではない。隣から感じるその熱が、ただの体温だけではないことにルカは気づいてしまった。
それは自分がこの世界で一番避けてきたもの。そしてグラクからもぶつけられた、厄介な感情。
スラックスを照らす焚火の火から目を逸らせない。
逸らせばそこに、薄紫の双眼があることを知っているから。
「あなたは……いつも責任感に突き動かされているようで、その実誰よりも人を想って行動しているな」
「……そろそろお休みになられては?火は私が消しますから」
柔らかな声色に警鐘が鳴る。思い付きの言葉ではないことがわかるからこそ、ルカもまたそれを否定しきることができない。
「突き放す言葉を使っても、根底にはいつも合理的で、誰も損をしない選択をしようとする意思があった。それは今も……恐らくこれからも」
「憶測で断定するのは感心しませんよ、ローワン様」
自分はそんな人間ではない。否定してみるがそんなものは無駄で、ルカの心の奥底……触れられたくないとすら思う場所を、ローワンは容赦なく暴いていく。
まるで愛おしいと言わんばかりの視線は、ルカがこの世界で最も避けたかったもの。そして最も縁遠いと、気を抜いていたもの。
「それに、あなたは相手を理解しようと努力できる」
「買いかぶりすぎです」
「だから」
「!」
ルカの腰を、ローワンの手が引き寄せた。冷たい夜風が消えたかのように、ルカを高い体温が包む。
頬に触れるのはさらりと滑り落ちる黒い髪。
口に触れたのは形の良い、一切皮がむけていない唇。
ルカが身動きの取れないうちにそれは離れ、熱っぽく悲し気な視線がルカを刺す。
「……だから私は、あなたに惹かれたんだ。私に……その資格が無かったとしても」
星が瞬く秋の夜。
行動に見合わぬ弱気な言葉は、予感の的中したルカの胸に打撲のような鈍い痛みを与えるのだった。




