#73 拒否は必ずしも悪手ではないと知ること
「ねえローワン様、なんなのあの人!噂で聞いたよりずっとひどいわ!」
「……」
自分にべたべたとくっつき、文句を言うマリー。
美しく盛り付けられたメインディッシュが置かれた机は、ひどく広く感じられた。
<#73 拒否は必ずしも悪手ではないと知ること>
ルカが出て行った食事会場。彼女の残した言葉は、婚約者とはとても思えない冷淡なもの。そこには一切感情が見られず業務的だった。見る者によっては嫉妬から来る自己防衛的な言葉に聞こえるだろう。しかしそうではないことをローワンは良く知っている。彼女は本気で思っているのだ、何をしたって良いが明日には持ち越すなよ、と。
「食事も食べきらずに出ていくし、ローワン様を置いていくなんて!」
「(それはあなたが仕向けたことだろう……)」
あれほどルカに強く当たっていたにも関わらず、そう言ってのけるマリー。ルカが座っていた椅子にちょこんと座り、ローワンに愛くるしい目線を送る。
「ねえローワン様、せっかくだからルカ様の食べなかった分は私が食べても良い?」
「……好きにしろ」
「やった!」
わざとなのか、幼い返事をしてみせるマリー。先ほどまでの強かさはどこへやら……。
まるで”こうなると予見していた”ようにルカの席に置かれたメインディッシュ。自分の分は不要だと言ったルカの言葉を思い出し、ローワンは顔を険しくする。
そして笑顔のまま近づいてくるのはマリーの父、スコーチ。この演技臭い空気が、ローワンの神経を逆なでる。
「ローワン様申し訳ありません、マリーが大変なご無礼を……」
「……」
言葉ではそう言っているが、一切止める様子は見られない。大人しいローワンに対し、無下にされることは無いと思っているのだろう。物静かだった時期を知るスコーチは、相変わらず口数の少ないローワンに言う。
「しかし今回ローワン様がいらっしゃると聞きつけて、マリーも急遽寄宿学校から帰って来たのです。どうか一緒に過ごしてやってくださいませんか?」
「そうよ!特別に休暇をいただいて帰って来たの!あ、そうだ。この前学校でね——」
「(……どうしてやろう)」
この宿に泊まるのは二度目で、世話になった恩はもちろんある。しかし、その恩は宿泊料金という形で返しており、それ以上に返すものは無い。
その上今ローワンは、たいして仲が深くもない相手からアプローチを受けている。婚約者を差し置いてだ。この状況は誰が見たとしても許容されるものではない。許容する婚約者が変人なだけである。
しかしそんな変人が去り、ローワンは先ほどまであったはずの胸の熱が無くなったことが不思議だった。
食事中に雑談をするなど、自分らしくないとは思いつつ……しかしいつもより近い距離で見えた優し気な黒い目が、自分の口かららしくない言葉を引き出したのだ。雇用などという歪な関係に、未だ胡坐をかいている自分から。
「それでね、テストではいつも主席なの!このままいけば1学年ぐらいは飛び級できるかもって先生もおっしゃってるのよ!」
「すごいでしょう。ローワン様ほどの優秀さではなくとも、これだけ勉学にたけているのです。いやはや自慢の娘ですよ、はっはっは……」
「……」
何故、気づかないのだろうか。ローワンの表情は冷たく、相槌すら返さない。……これは明らかに拒絶である。
あれほどの嫌味をぶつけられる頭脳があるならば気づきそうなものだが、親子共々目の前の大きな獲物に夢中なのだろう。
自分たちがいかに優れているか。そんなアピールはローワンに一ミリも響かない。
何故ならローワンは、そんな自慢が霞むほどの女性を知っているからだ。公爵の立場を理解しながらも、年上である自分に頼れとさえ言う責任感がある……しかしそのくせに自分はいついなくなっても問題ないと、距離を置こうとする女性を。
どうしてだろうか?
彼女の言動は淡白で、変人だの野蛮だのと言われるほど突飛だというのに、思い起こすほどローワンの胸を打つ。自分の迷いをいとも簡単に巻き取り解決してしまう彼女を、甘やかしたいと思ってしまう。
頼り慣れない、褒められ慣れない彼女にどんな言葉を投げかければ、あの無表情を崩せるのか……そんなことを考えるのはどうしてなのか。
この世界から去ると決めた芯のある目を、自分に向けたいと。そう思うのは…………
「……美味だった。」
「え?……ローワン、様……?」
メインディッシュに出された肉を一口も食べぬまま、椅子を引いてローワンは立ち上がる。
そのまま部屋を出ていく後ろ姿に、慌てて立ち上がりついていこうとするマリー。
「ま、まってローワン様!もういいの?まだデザートもあるのに……」
「気にするな、もう満腹だ」
「も……もしかして婚約者さんのことを気にしてるの?それなら部屋に運ばせるわ!ローワン様の分も、私がお部屋に……」
ひきつった笑顔を浮かべるマリーに、振り返ったローワンの視線が突き刺さった。
思わず動きを止めるほどの、冷たく、拒絶するような視線。取り入る隙のないその視線は、魔法など使っていないのに部屋の空気を固まらせる。
「スコーチ。君の娘は私にも、婚約者にも無礼を働いた。どうなっている?」
「は……」
その声は冷たく、行いを咎める。威厳あるその言葉にたじろいだ支配人。さぁ、と顔を青ざめさせる。
「もっ申し訳ございません……!娘にはきつく言って聞かせ……」
「言って聞かせるタイミングはいくらでもあったはずだ。なぜ父親の君が静観している?……伯爵ともあろうあなたが、娘の失態を見過ごすとはな」
「っ……!!」
悔しげに唇を嚙む支配人。ローワンならば強く咎めはしない。そう高を括っていたことが、その表情から透けて見える。
「っローワン様!やめて!お父様は……」
「何故あなたが私に気安く話しかけられるんだ?婚約者のいる男性にあからさまな態度をとるのは、とても伯爵令嬢とは思えないな」
「マリー!お前は黙っていなさい!」
「お父様……っ!?」
脂汗をにじませながら、いびつな笑顔で頭を下げる支配人。
「大っ……変、失礼いたしました。そうだ、もしよろしければ、婚約者様とご一緒に中庭でデザートをお食べになってはいかがですか?今からご用意させていただきますよ!」
「……」
その姿を見て、ローワンは黙る。顔は涼しげだが、言葉を紡ぐために溜まった息は熱い。
「わかった」
「!それではさっそく……」
「いいや、あなたの魂胆はもうわかった。
私たちは今夜出立する」
「「!?」」
「セドリック!」
「はっ」
凛とした声が響く。食事を邪魔せぬようにと壁際に控えていたセドリックは、頭を下げ部屋を出ていく。
「シェフには礼を言っておいてくれ。もちろん宿代は一晩分出す」
「お待ちください!ローワン様への非礼は謝罪いたします!ですからどうか、どうかそれだけは……!」
「謝罪……?」
ここで少しローワンの表情が動いた。良かったとすコーチが気を緩めたのもつかの間、その甘い考えは一瞬にして消え去る。
「彼女に一言も謝罪しようとしないあなたたちの言葉など、これ以上聞きたくはない」
絶望から顔を青ざめさせるアップヤード親子。
何かを騒いでいたが、ローワンは振り返ることなく部屋を出る。手入れの行き届いた廊下は、月明かりと魔石で照らされ過剰なほどに明るく情緒がない。
「……はぁ、」
初めてともいえるローワンの自発的な行動は、本人の心臓をバクバクと鳴らす。
あの細い背中を追いかけたような言葉に、ローワンは自嘲的に笑うのだった。




