#72 心の平穏を保つ選択をとること
「それでは……良い夜をお過ごしください」
その言葉にどれほどの力があるのか。
言った本人が思う以上の効果を発揮したそれは、彩り豊かな皿の並んだ食卓の空気を凍り付かせた。
<#72 心の平穏を保つ選択をとること>
「改めましてローワン様、ルカ様。当ホテルへお越しいただき誠にありがとうございます。これよりディナーをお出しさせていただきます」
頭を下げた支配人を見届け、ルカはそのままあたりを見渡す。
隅々まで手入れの行き渡った梁は魔石の光を十分に受け、ニスによって現れた本来の木の色が発色している。また飾られている絵画も秋にふさわしい紅葉の風景画が多く、カーペットも朱に近い橙が使われている。まめな性格なのだろう、タイルの切れ目にピッタリと合うカーペットの角が気持ち良い。
「ルカ、どうした」
「すみません。良い内装だなと」
「?……まあ、そうだな」
理解はできるとローワンは頷く。しかしどこか落ち着かない様子で、ルカを見ては、視線をテーブルへ戻すことを繰り返している。
その理由は、いつもの食事よりもずっと近い距離のせいだろう。馬車の中も距離は近かったが、食事で考えればこれほど間近にルカが見える状態は初めてだ。その緊張はルカからもしっかり見えているが、何への緊張なのか一切わからない。
「お待たせいたしました、最初は秋茄子を使ったアミューズからお楽しみください」
「(おお……)」
ムースのかかった焼き茄子。ドレイクの作ったものとはまた違う、美味しそうな一皿はルカの食欲を刺激する。オリーブの実も形が揃い、美しい。
「いただきます……」
小さく呟き料理を口に運ぶルカ。
先ほどまでの怒りはどこへやら……ルカは出される料理に釘付けで、ローワンのことなどするりと頭から抜け落ちるのだった。
・
「食べることが好きなんだな」
「え?」
メインの料理を待つ二人。色とりどりな皿はそれぞれシェフの工夫があり、食感や食べ方など、とにかく出されたものを純粋に楽しんだルカ。減っていく銀食器は食事のカウントダウンをしているようで物悲しいが、順調に腹は満たされている。
そんな中でローワンの質問に、ルカは驚いた。食事の時は必要な会話しかしないため、そのつもりをしていたのだ。
屋敷の外だから気を張っているのか?婚約者として振る舞った方が良いかとルカは頭を切り替える。
「ええ、本当に美味しい料理ばかりで……」
「違う。あなたの話だ」
本音まじりの世辞を口にすれば、そうではないと言われる始末。何が聞きたいんだ?ルカはローワンを怪訝な顔で見たが、屋敷の外であることを思い出しハッとする。
「ええと……好きか嫌いかでいえば好きですが……」
「その程度なのか?」
「……なんですか、大食いに見えるんですか私が」
「そうではないんだが……」
あーだのうーだの、ルカに話が通じずローワンは唸るばかり。しかしルカも真剣に答えているつもりだ。なぜ伝わらないのか……言葉の足りないルカは本気で不思議がっている。
「食事中、あなたはいつも機嫌がいいだろう。だから……」
「機嫌……」
そういえば、先程までふつふつと煮えていた支配人への怒りはどこへやら。それに今までも、この世界へ来る前も、食事中はだいたい気持ちが穏やかだった。もちろん職場で栄養補給のためにとっていた食事ではなく、外食の話だが。
新人バイトが運んだ少し盛り付けの雑な皿も、嫌がらせのために作ったという魔物の肉を使った料理だって。ルカは食事を前にすれば穏やかである。
「……知りませんでした」
「湖で出されたサンドウィッチもそうだった」
「いや元々機嫌は悪くなかったですよ。寝起きだっただけで……」
「目つきが悪かっただけか」
「ローワン様?」
「……冗談だ」
機嫌がいいのはどっちだ。ルカは、楽しげに喉を鳴らして笑うローワンを見てそう思う。久しぶりの外出でテンションが上がっているのか、契約の延長なのかはまだ分からない。ただ……
「(楽しそうならいいか)」
なにかと気を張る立場だ。楽しめる余裕があるのなら、できる時にそうした方がいい。
ルカはそんな楽しげなローワンに付き合ってやるか、とグラスを手に聞く。
「ローワン様は何がお好きなんですか」
「……私は……」
「ローワン様ぁ!」
ドンッとローワンの体に衝撃が。豊満な胸に白い肌、それを彩る橙のドレスは、少女の茶髪と良く似合う。
「ずっとお会いしたかった!全然来てくれないから、私寂しかったのよ!」
「……まさか、マリーか……?」
「うふふっ」
人形のように美しい少女は、ローワンにくっついたまま上品にコロコロ笑う。そんな彼女の後ろから声が。
「こらこらマリー、ローワン様は婚約者がいらっしゃるんだぞ。申し訳ありませんルカ様、うちの娘が……」
「……いえ」
ルカが答えるなり、マリーはルカを頭の先からじっくり観察して鼻で笑う。何よこの年増。なんて音声がつくのだろうか?多少イラッとはしたが……相手は確か17。これに気を揉んでいてはキリがない。
「ねぇねぇ、私も一緒に夕食食べたい!ね、いいでしょ?昔みたいで」
「(コイツ……)」
わざとらしくルカを見て言ったマリーは、もはや少女というか女豹というか。完全にローワンを今日で自分のものにしようとしているのだろう。
ルカだって女だ、女性同士の牽制には気づくし神経は逆立つ。
「あ、ごめんなさいお姉さん。私、このホテルの支配人の娘で、マリー・アップヤード伯爵令嬢と申します」
「……ルカ・モスウッド男爵令嬢です」
貴族らしく礼をする少女。立ち上がり返せば、発育がいいのは胸だけではなく身長もまた高いらしい。ルカのような不健康な痩せ方をしていない、年相応のしなやかな体は女性のルカからも魅力的に見える。
「ローワン様、どうしてうちに来てくれたの?王城からも離れてるし……もしかしてマリーに逢いに来てくれたとか?」
「西へ行くんだ。訪問の予定があってな」
「へぇ〜、なんだお仕事かぁ」
残念、とわざとらしくしゅんとして見せるマリー。またもやローワンに体を寄せてため息をつく。
「ねえねえ、だったら今夜は私と一緒に遊んでよ!ローワン様がいない間、すっごく寂しかったの!それにね、学校でもいい成績をたくさんとってるし……」
「……」
眉間にしわを寄せるローワン。ルカはぼんやりとそれを眺めていたが、ちらりと自分に向けられた薄紫に気づいた。なんだその視線は。私にどうしろと?ルカは首をかしげる。
「あ、もしかして婚約者さんの許可が必要?」
面倒だと言いたげな口調。……これはあれだ、「え~!彼女さん厳しい!私だったらそんな束縛しないのに~!」というやつだ。ルカの脳内で副音声が補完されてピクリと眉が動く。この感情は何というか……嫉妬というよりは癇に障る、に近いだろう。
あくまでそれはルカの主観によるものだが。微細な表情の変化を見逃さなかったマリーは、ニヤリと口角をあげる。
「やだ、そんなに警戒しなくたって私だって弁えていますわ。婚約者さん……それともローワン様をそんなに信用できない?」
「す……」
すごいなコイツ!
危なくルカの口をついて出そうになった言葉だ。なんて強かなのだろう、ローワンとの関係を逆手にとってくるとは……。婚約者たるもの、を説いたカリーナとは違った罵倒に、ルカは感嘆の声を上げそうになった。
この問いを肯定すれば関係にひびが入る上、否定すれば彼女の思惑通り。どちらに転んでもマリーに都合がいい。この交渉術は見習うものがある。
(なお、その思考はおかしいと矯正してくれる人物はここにいない)
そして、その選択肢のうちルカが選ぶ方はもちろん決まっている。
今後の仕事に差支えが無く、かつ、このイライラする状況から自分が脱することのできる最善の…………
「……そうですね、いいんじゃないでしょうか」
「あらあら!信用できないとおっしゃるの!こんな方が婚約者だなんてローワン様がかわいそ……
…………え?」
「夕食はきちんと食べ終えてからにしてくださいね。明日からも長時間の移動ですから、栄養は取れる分取っておいてください」
「は……ちょ、ちょっと、いいの?ローワン様と私が一緒に過ごすのよ?夜に!」
「はい、どうぞ」
慌て始めるマリー。あれだけくっついていたローワンからも離れ、驚愕の表情でルカに迫る。
それに対しルカは出口へ向かい、控えていた従業員に声をかけた。
「ローワン様に続きの食事を。私は不要です」
「か、かしこまりました」
「なによ……ああ、もしかして強がり?そうよねぇ、あなたと私じゃ爵位も美しさも段違いで——」
「ですから」
バン、と厳かな室内に、粗暴な音が響く。ドアには白い手袋に包まれた手……じわりとルカの手のひらにしびれが走る。
「お好きになさってくださいと申しているのです。明日も早いのですから、したいことがあるならばさっさとお済ませになられては?」
「っ……!?」
じろりと睨みつけた目線にたじろぐマリー。ルカは数秒その視線を向けた後、扉を押し開ける。
「それでは……良い夜をお過ごしください。ローワン様、マリー様」
閉じた扉の奥。ルカは物足りないと鳴く腹をさすった。




