#70 向上心を忘れないこと
四日間の移動と言われると、海外へ旅行するほどの大仕事を思い浮かべるだろう。しかし実際には徒歩程度の速度で移動しているだけで、体感としては県をまたぐ程度の距離だ。
途中休憩をはさみながらの長旅……初めて屋敷を出て、美しい馬車に乗るキアラは、赤い目を輝かせながら夕暮れに染まる窓の外を眺めるのだった。
<#70 向上心を忘れないこと>
「お待ちしておりました、アシュフォード公爵、ルカ様」
「ああ」
湖で休憩を挟んでから数時間。すっかり暗くなった空には星が瞬き、昼間の温もりをさらっていくような、愁いのある風が吹く。
そんな中、ルカ達のたどり着いた宿には贅沢に魔石を使った街灯が立ち並んでいた。行燈の光にも近いような黄みの強い明りは、魔石を覆う布のような膜によって柔らかさを増している。
石造りの荘厳なホテル。階層こそ高くはないが、手入れの行き届いた庭には落ち葉の一つも落ちておらず、日ごろから爵位のある人物を迎え入れ慣れているように見える。
「遠路はるばる当ホテルへお越しいただきありがとうございます。支配人のスコーチと申します」
「世話になる」
「よろしくお願いいたします」
「はい、もちろんです」
チラリとルカを見た初老の支配人。それはほんの一瞬のことで、馬車の運転手が足場を取り出したのと同時に人当たりのよさそうな笑顔に戻る。
それに気づかぬふりをするルカは、促されるがままに馬車を降りた。
昼間よりも冷えた空気がルカの腕を冷やす。
「お荷物はどちらに?」
「あの馬車分だけだ。運ばせる。」
「ではうちの従業員も……」
「いいや、問題ない」
セドリックを呼びつけて、荷物の運搬を指示するローワン。馬車から降りていたらしい使用人たちは馬車の前に並ぶ。
「さあ皆さん、荷物を運びますよ!」
「「「はっ」」」
「スコーチ殿、部屋はどちらに?」
「あの者に案内させましょう」
指示を受け、てきぱきと仕事をしていく姿は壮観だ。屋敷から少人数で臨んだ今回の旅……もちろん外部に出ても恥ずかしくない面々が選ばれている。他領へ伺う際、“領主同士が対等の関係である”状態を保ちながら、妙な悪評が立たぬ振る舞いをすることが求められる。それは領主だけでなく婚約者のルカも、使用人であるセドリック、キアラたちもだ。
そのため彼ら彼女らは、屋敷を出る直前までアンテに礼儀作法の教育を受けていた。主の顔に泥を塗ることが無いようにと。キアラもまたそれを受けており、歩き姿が洗練されたように見受けられる。
「お二人はこちらへ。私がご案内させていただきます」
どうぞ、と低姿勢に前を歩くスコーチ。ローワンの後ろについて歩くルカは、何を考えているかわからないその目で、その後ろ姿を見つめるのだった。
・
「当館は、およそ50年前に開業した格式を重んじるホテルです。先代から引き継いだこの建物で、私共は多くのお客様をお迎えして参りました」
曲線の美しい造形が屋敷の各所にちりばめられ、職人の技術力の高さと、それを調達できる財力が見える。
磨かれた石のタイルは滑らかに魔石の光を反射し、絨毯は模様がはっきりと見えた。敷きっぱなしではないことが、ルカのヒール越しの感触で伝わってくる。
「アシュフォード前公爵とも、ずいぶん昔お越しになられましたね」
「……ああ、そうだな」
「……?」
声のトーンが低いような?ルカはローワンの生返事が気になったが、深く聞く理由も無くただ流す。
「いやはや、幼かったローワン様がこんなにも大きくなられたとは……」
「よく覚えているな」
「覚えていますとも!昔からご聡明で物静かで……」
そこで再び、ルカへ例の目線が向けられる。
「驚きましたよ、まさかこんなにお綺麗な方とご婚約されていたとは」
「……」
ルカはその言葉の裏に潜む警戒心に、少し背筋を伸ばす。あからさまに見るわけではないが、その目はルカというローワンの婚約者を品定めしていた。
「私が婚約していては不思議か?」
「いえいえ!ただどういった方とご婚約されるのかと、私も楽しみにしておったのですよ」
笑顔を浮かべて見せる支配人。ただ妙な緊張感は拭えぬまま、ルカも言葉を発することなくただ後をついていくだけ。旅の疲れを癒すためだったはずの場が無情にも社交の場へと姿を変える。
「ああ、ローワン様、もしよろしければ娘にも挨拶をさせてください。今年17になったのですがね、妻に似て美人なんです。昔一度お会いしたきりでしたから、きっと喜ぶと思います」
「……夕食の時ならば問題ない」
「ありがとうございます!」
嬉しそうな支配人。側から見れば昔の思い出を懐かしみ、親しげにする知り合いたちの会話だが……それだけでは無さそうだと感じたのは、ルカの疑り深すぎる性格故だろうか?
そうしてしばらく支配人の話を聞き、部屋の前へと案内されたローワンたち。各自指定された部屋へと入り、夕食の支度を待っていると……
「えっルカ様!?」
「キアラ?……と、皆さんもどうしたんですか?」
特にすることもなく、ぼんやりと外を眺めていたルカは立ち上がる。そこには荷物を持って現れたキアラ。その荷物は荷物用の馬車へ積まれていた衣服などの入ったトランクで、中々の大きさと重さ。二人がかりで運ばれてきたそれは、重たい音をたてて床に置かれる。
「どうしたじゃありませんよ!何かお忘れ物があったなら言って下さい!」
「忘れ物……は特に……いや、どういうことですか?」
全く意味がわからず、首を傾げるルカ。キアラもまた訳がわからないという顔だ。
「ここは荷物置き場として指示された部屋で……だから私たち、馬車の荷物を持ってきたんですよ」
「荷物置き場……」
ホテルとはいえ、わざわざ当主の部屋の隣に置くものだろうか?使用人が準備のために出入りするには隣だとうるさいだろう。
その上、これだけ格式高く歴史のあるらしいホテル……取り違えのようなことが発生するだろうか?白い手袋をはめた手が、ルカの顎に添えられる。
「あれ……ところでローワン様は……?」
「お隣にいらっしゃいますよ」
「隣!?そんな……」
信じられないという顔のキアラは、廊下で待機する使用人たちの元へ戻り、何やら話し合っている。
ルカに向けられたあの目線、昔ローワンと会ったというご令嬢。そしてルカにあてがわれた部屋とブッキングした荷物置き場……これらが指し示すものがなんなのか。人その気持ちに疎いルカだが、この手の牽制にはどうにも心がざわつく。
「どうしましょう、一度セドリックさんに指示を仰いで……」
「で、でも先にホテルの従業員さんに……ヒィッ!?」
チラリとルカを見たメイドが悲鳴をあげる。
座った目、少し俯いた顔は口角だけが上がっており、顎に添えられていた手はそれを隠そうともせず、クツクツと喉を鳴らす音が小さく響く。
「お荷物、ね。」
何が面白いのか。ルカはその凶悪な笑みをなんとか抑え、キアラたちのほうを見る。
いつしかキアラが見たような、どこか機嫌の良さそうな薄い笑顔を浮かべて言った。
「きっと客人が多い日なんでしょう。こちらに置いてしまってください」
少し肌寒い秋の夜。
室内の方がよっぽど寒いと、メイドは震える自分の体を抱きしめた。




