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#69 移動中は上司の話に耳を傾けること

「やはり今年は実りが良いな……!」

「この調子でいけば、歴代で最高のワインができるぞ!」


 宝石と見紛うほどの艶を持つ濃紫の葡萄。やまほど積まれ、水滴を纏ったそれらはみずみずしい香りを放ち、農民たちの顔を自然とほころばせる。


「あのお方のおかげだな」

「先見の明がある!」

「それに比べて東領の領主は……」


 

「とにかく、マリア様に感謝しないといけないな」



 豊作を喜ぶ西領の農民たち。

 農園に木漏れ日が落ち、青々とした芝生を照らした。



 <#69 移動中は上司の話に耳を傾けること>




「お召し物よし、茶葉とティーセットもよし……ルカ様、あのお薬はお持ちになりましたか?」

「……はい」



 せわしなく使用人たちが馬車に荷物を積んでいく。アシュフォード邸では中々見られなかった外出の準備……久しぶりに駆り出された馬車3台は、美しく磨き上げられその黒を輝かせている。



「まさかアンテさんがお薬をお持ちだなんて知りませんでした!」

「薬といっても、民間療法ですけれどね」

「すみません、アンテ。お手間をおかけしました」

「いえいえ」




 ルカの馬車酔い対策だが、この話をローワンから聞いたアンテが力になってくれた。なんでもアンテ自身馬車酔いに苛まれたことがあるらしく、その際に知った薬草の調合を教えてくれたのだ。



「大層なものではないのよ。少しミントを効かせた飴ですもの、きちんと効くかどうか……」

「いえ、十分助かります。本当にありがとうございます」



 頭を下げるルカ。ぎょっとするアンテだったが、この数か月でルカの性格は見えてきた。貴族らしくない、その生真面目さがアンテを笑顔にする。



「ルカ様いけませんよ、使用人に頭を下げては」

「あ、すみません」

「そして何度も謝るものでもありません。使用人が働くのは当然なのですから」

「す……ありがとうございます」

「よろしい」




 満足そうに笑ったアンテは、馬車に荷物を詰め込むのに苦労している使用人の元へ向かっていく。メイド長と彼女がいると場の安心感が高まるのは、彼女たちの有能さと年齢のせいだろうか?頼りがいのありすぎる二人を、ルカはぼんやりと眺めている。




「ルカ」


 後ろから聞こえたのはローワンの声。振り向けば、扉を開けた馬車の前で手を差し出している。




「そろそろ出発だそうだ」

「ああ、はい。わかりました」



 レディファーストか。どこまでも出来た人間だとルカは感心しながら、その手に左手を重ねた。

 どちらも手袋越しで一切体温を感じないそれは、ルカが階段を上りきる前に離される。



「(ブランケットにクッションに飲み物……別にここまでしなくたってよかったのに)」



 賃貸の部屋並みに寛げそうなアイテムが置かれた車内。もちろんそれは片方だけで、向かい側の座席には最低限のクッションが置かれているだけだ。もっと当主の方を豪華にしたらどうだと、婚約者は思う。



「他に欲しいものはあるか?あまり街中は通らない予定だから、今のうちに言ってくれ」

「むしろ過剰なほどですから、問題ありません。ありがとうございます」

「そうか」



 同じく、車内へ入ったローワン。ルカには十分広いと思った馬車内だったが、ローワンの身長では足元の尺が足りないらしい。長い脚を折り曲げて座る彼を見ると、こちらの方が息苦しさを感じる。

 その割に座高がさして高くないのは一体……世の不条理を感じたところで、使用人の一人が開いた扉をノックする。



「ローワン様、ルカ様。もし道中なにかございましたら遠慮なくおっしゃってください」

「ああ、わかった」



 頭を下げ、そのまま馬車の扉を閉める。少し会話しているような声が聞こえたが、そのうち馬をたたく鞭の音が聞こえ、ガクン、と馬車の動く感覚が走る。

 ガタガタと揺れながら、景色の移り変わっていく窓。離れていくアシュフォード邸を少し眺めた後、ルカは壁際にこれでもかと寄り、アンテから受け取った飴のような酔い止めを口に放り込む。



「ではローワン様、私は寝ますので」

「……わかった」

「おやすみなさいませ」



 腕を組み、頭を壁に押し付けるように寄りかかり、俯くルカ。

 そして敷地を出るか出ないかというところで規則的に動き始めた肩を見て、ローワンはその入眠速度に驚くのだった。




 ・




 

「——、——カ、ルカ」

「!」



 パチ、と目を開けるルカ。顔を上げればあの揺れは収まっており、どうやら馬車が止まったらしいことに気付く。



「よく眠っていたな」

「……昔から、こういう揺れには弱くて」


 よく使っていた対策法だと言うルカ。寝起きのせいか声は少し小さくかすれている。

 目元もまだぼんやりとしており、乾燥を紛らわすために瞬かせては窓の外に目をやるその姿は、普段気を張っている時よりも少し無防備だ。

 たまに無意識に力の入る眉間も、今はしっかり緩んでいる。




「湖……ですか?」

「ああ。丁度東の森の最西端を抜けたあたりなんだが……中々人も寄らない場所でな。昔、養父に連れられて来たことがある」

「……」



 森の木々に囲まれながらも、広く青い空の見える湖。既に紅葉を始めている木が多く、湖面には青空のほかに赤や黄が映っている。まだ紅葉し始めたばかりで落ち葉は無く、ところどころ夏の新緑を残している木も多い。



「降りても良いですか」

「体調は大丈夫なのか?」

「ええ、しっかり寝たので」



 鍵を開けて扉を開けば、ふわりと涼しい風が車内に入り込む。肌寒ささえ感じる外だが車内の籠る空気を入れ替えるには丁度いい。

 足場を持ってこようとしていた馬車の運転手を手で制し、少し高い段差を飛び降りたルカは体を大きく伸ばした。同じ体勢で凝り固まった体がほぐれる。



 


「んん……っ」



 息を吸えば、肺に入るのは澄んだ空気。馬は水を飲んで休憩しているようで、太陽の位置を見れば出発前よりも低い。中々長い時間走ったらしいことがわかった。



「(紅葉を見ると焼き芋が食べたくなる)」



 落ち葉をまとめて火をおこし、その中にアルミホイルに包まれた芋を放り込んで……。上京してからはそんな光景は見られなかったが、幼いころに食べたあの甘い芋の記憶が頭をよぎる。

 なんなら匂いさえしてきそうだが……がぶがぶと水を飲む馬に目線をやれば、後ろから足音が聞こえてくる。





 

「体調はいかがですか」

「問題ありません。ここからあとどれぐらいですか?」

「予定通り進んでおりますので、恐らくあと4時間も走れば宿に到着するかと」




 セドリックは、予定がぎっしりと書かれた手帳を見て言う。

 

 馬車の進む速度はそこまで早くない。道の険しさも相まって、恐らく時速で言えば4km/h程度だろう。

 その上車輪が木と鉄でできているため、車輪とはいえゴムほどの滑らかな重心移動は無い。馬の体力も考え、宿をこまめに取っておくのは妥当だろう。



「私の体調は気にしなくて大丈夫ですから、スケジュールを優先してくださいね」

「元より余裕をもって設計しております。ご無理はなさらないでください」

「……流石ですね」



 ふっと笑ったルカ。口角は特に上がらず、鼻で笑ったような、少し素の見えたような笑みはセドリックに直接向けられないまま湖の方向へと消える。やはりローワンのそばで長く勤めているだけあって、上司共々優秀らしい。気遣いの見える物言いもまた、ルカは人の良さを感じていた。しかし同時に気にしすぎだとも。




「私もできる対策はしていますから、本当に気にしなくて良いですからね。というかむしろ気を遣われる方が疲れますし……もし吐きそうになったら勝手に外へ出て吐きますから」

「は、はあ……」




 任せろと言わんばかりに胸を叩くルカ。少し引いた様子のセドリックだったが、近寄ってきた主人の姿に頭を下げた。

 いつも通り黒の多い服。多少生地感は厚くなり秋を感じるものに変わっているが、手の先まで黒いそれは季節感が無い。暑苦しささえ感じられる見た目でどうして涼し気な顔をしているのか……同じ室内にいたルカは不思議だ。



 

「薬は摂ったのか?6時間ごとに1粒と言われていただろう」

「そんなに経ちましたか?」

「ああ」


 ローワンは車内に置かれていた籠を差し出して言った。飴同士がくっつかないようにとまぶされた粉が、布を開いた拍子に少し舞う。




「あ、ありがとうございます」

「気にするな」

「……」




 気まずそうに籠を受け取って湖に視線を移すルカ。隣にはローワン。こちらもまた、同じように湖を眺め始め……セドリックはその様子を見て思う。

 キアラは仲違いしたように言っていたが、むしろ距離感は近くなっていないか?と。


 昔からローワンの傍にいたセドリック。仕事熱心な彼が、一人の女性に対して自分から近づくことがそもそも意外だ。パーティに参加する度、婚約を迫る女性たちから逃げるように帰宅していた彼が。仕事の話をされた方が楽だとさえ言っていた彼が、湖を見ながらも隣の女性に意識を向けている。後ろで組んだ手が、どこか落ち着かない様子で手袋の余った布を掴んでは離しを繰り返す様子は少なくともセドリックは見たことが無い。




「腹は空いていないか?」

「……もしかして昼食はもう済まされましたか?」

「少し前にな。……セドリック、残してあったサンドウィッチを。私の分も持ってきてくれ」

「かしこまりました」




 昼食休憩の際に指示された通り残してあった、二人分の食事。布を被せておいたそれらは多少形が崩れているものの、彩り豊かな野菜と鴨肉が挟まれ食欲をそそる。



「食べていないんですか?」

「小腹が空いたんだ」

「……若いですね」



 動いていないのに、とローワンに返したルカ。その様子を見てセドリックは進言を控える。




『私はいい。彼女が起きたら共に食べる』

「(もしかしなくともローワン様は……)」


「セドリック?」

「!……失礼いたしました、椅子とテーブルをお持ちいたします」

「椅子だけで良いですよ、膝にのせて食べますから」

「……相変わらず効率重視でいらっしゃいますね」

「余計な業務は増やさないに越したことはありませんから」




 森に侵入した不審者を監視するためであったはずの婚約。いつからそうだったのかは定かでないが……セドリックはローワンよりもずっと色恋から縁遠い性格のルカを見て、道のりの長さにため息をついたのだった。

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