#68 不調を言い訳にしないこと
「私といるのがそんなに嫌か」
「はい?」
日が高いものの、風の爽やかさで随分過ごしやすい屋外。
少し冷めた紅茶が半分ほど残るティーカップに高い空が映る東屋で、ルカは手に持っていた本から視線を外す。
セドリックと共に現れたローワンに、気の抜けた顔を向けた。
<#68 不調を言い訳にしないこと>
相変わらず魔法に関心が強いのか、魔法について書かれた教本を読み漁っているらしいルカ。線の細いティーカップとはアンバランスな分厚い本が、白いガーデンテーブルを占有している。
「メイドたちから聞いた。西領へ向かう馬車ではなく、馬に乗りたいと言ったそうじゃないか」
「言いましたが……」
そこから一体どうして“一緒にいたくない”に変換されるのか。後ろに控えるセドリックは主と同じく険しい顔をしており、ルカの困惑は共有できないらしいことがわかる。
そして本を閉じないでいるルカが気に食わないのか、ローワンの表情は徐々に険しさを増しているような気さえする。ルカは自分に非があるとも思えないまま、釈然としないが本を閉じて立ち上がった。やはり背の高い男だ、立ち上がっても尚見上げる顔の位置は高い。
「あなたは何がしたいんだ。そんなに嫌ならば……訪問すると言わなければ良かっただろう」
「……?」
質問の意図が分からない。しかし、空気の重さはルカだってわかる。もしや、元の世界に戻ると言っておきながら訪問に同行することが気に食わないのか?と思われたが、その矛盾を気にするならばついてくるなと言えばいいだけのこと。では何が問題なのか……ルカはまず状況を整理しようと試みる。
「すみません、私はただ馬に乗って行きたいと言っただけなのですが」
「あなたはそこまで乗馬が好きというわけではないだろう」
「まあそうですが……移動手段として馬が望ましいと言ったんです。同じ空間に誰がいようが私は気にしません」
「……それは私以外がいても気に留めるほどのことではないと?」
「あの、どういう問いですかそれは?私は馬で移動したいだけですよ」
何だ今の質問は……。ルカは怪訝な顔をしているが、それ以上にキアラは信じられないという顔をセドリックに向けている。そんな顔をされたところでセドリックだって困るだけだ。現に二人の会話を聞いて頭を抱えている。
「同じ空間にいたくない以外に、馬車に乗りたくない理由があると?」
「そうです」
「……」
ローワンはルカの一貫した言い回しを聞いて、少し話を聞く気になったらしい。黙って黒い目を見つめ、目線で話してみろと言う。
それを察してルカは口を開いた。
「……第一王子のパーティに参加した時、馬車に乗りましたよね」
「ああ」
貴族のステータスともいえる馬車。身を守るためでもあるそれに一緒に乗ったことを、ローワンは思い出す。
「あの時、実は……酔いまして」
「……馬車にか?」
「……」
気まずそうに目線をそらすルカ。ローワンが思い出すのは城で見た顔色の悪かったルカの姿。あの時ははぐらかされたが、体調が悪かったのは本当だったらしい。
数か月経ってようやく明かされた、気のせいだと思っていた顔色の悪さ。ローワンはより眉間の皺を濃くして言う。
「どうして黙っていたんだ。本当に体調が悪かったんじゃないか」
「時間が経てば引くものですし……むしろ私はどうして気づいたのか不思議でしたよ」
「そ、れは」
下から見上げられ、言葉を詰まらせるローワン。顔色など化粧である程度は隠れるものだ。ましてあの日はチークも塗っていた。それにも関わらずローワンはルカの不調に気づいていた。
大した観察眼だとルカは感心し、どうしてか狼狽えているローワンを見上げている。
「その……あれは……」
「まあ、ローワン様が有能でいらっしゃることは存じているので良いのですが」
「……」
ズバ、とローワンの声を遮りルカは続ける。
「今回はさらに長い距離を移動することになりますから、少しでも酔う要素を減らそうかと。自分で制御できない分、予期せぬ揺れで酔っていたと思うんです。その点、私が馬に乗れば馬車の空いた分を荷物に回せますし、もし私が馬に酔って途中で休憩することになっても、後から追いつけます」
効率的でしょう。と語ったルカだが、これにはセドリックは胃を痛め始め、キアラは何とも言えぬ表情になり、ローワンはあっけにとられた。三人の意見がようやく合った。
いや、それはおかしいだろ……と。
「る……ルカ様、それは……」
「酔いを止められる魔法か薬があればと思ったのですが……」
「……では今ルカ殿がお読みになっていた本はまさか」
「日用魔法の本ですよ」
閉じた本の表紙には、“使用人が覚えておきたい日用魔法100選”のタイトルが。それはローワンに仕える身であるセドリックも読んだ覚えがあり、まさかそれをルカが読んでいたとは思わず絶句している。
「便利なものが多かったのですが、治癒魔法関連はそもそも属性が光であることが前提であったり、外傷に効果のあるものが多くて……」
「まあ……基本は馬車に酔いませんから……乗りなれない方には見られるようですが……」
「ルカ様はご実家にいたとき、馬車に乗らなかったんですか?」
「……機会が無かったもので」
しれっと言うルカ。横にそれた目線は、真実を語れない少しの罪悪感を表している。
そんな彼女の様子にローワンはハッとしてようやく口を開く。
「吐き気をとめる薬を買えばいいだろう」
「吐きそうな時に薬を飲んだところで、それごと吐く未来が見えますし……薬も安くないでしょう。無駄な出費は控えるべきです」
「……必要な出費だと思うのだが」
「そうですか……?」
感染の恐れがあるものや、放置して悪化するものには積極的に薬を使用した方が良いと思うが、一時の快適さのために金を出させるのはいかがなものかと思っているルカ。
契約通り給金を受け取りながら婚約者をしているため、自分の手持ちで購入できないか調べたのだが……そもそも酔い止めに該当するものが無く、準ずる吐き気止めは安くない。払えなくはないが、たかだか8日のために貯金の半分を消費するのは馬鹿げている。
「とにかく、私が馬で移動したいと申し上げたのはそういう理由です」
「……」
久しぶりにルカの突飛な言動に振り回されたローワン。いつも言葉の足りない彼女を前に、彼の恥ずかしい言葉の数々は役割を果たすことなく消えていったのだった。




