#66 好意を無下にしないこと
コンソールの紛失が発覚して数日。
ルカの部屋には紅茶の香りが漂い、そこにはアンテの姿と、紅茶を淹れるキアラの姿があった。
ルカがこの世界に転移した頃から季節は変わり、秋めいた、冷たく湿気のない風が窓から流れ込む。
「実に良いお茶会日和ですね、ルカ様」
「……そうですね」
どこか気のない返事をするルカ。
窓の外では森の木々が紅葉し始めていた。
〈#66 好意を無下にしないこと〉
「所作も随分お美しくなられましたねぇ……」
感心するように言うアンテ。目の前には背筋の伸びたもの憂げな令嬢の姿。カップの取っ手を摘む指先は綺麗に揃えられ、無駄のない所作はキアラにため息をつかせる。
「大袈裟ですよ」
「いえいえ本当ですよ。はじめの頃は粗雑でしたもの」
「……そんなにですか」
「公爵の婚約者にしてはね」
くすくす楽しげに笑うアンテ。自分では相当気を遣っている方だと思っていたが……上流階級の、しかも国内有数の公爵家ともなるとマナーは一際厳しいらしい。
その上アンテは元々王妃の教育をしていた人物だ。もしかすると公爵家以上に厳しいマナーを教えこんでいたのでは……そんなことをルカは考える。
「ところで、坊ちゃんとは最近いかがですか?」
「……いかがというのは?」
「うふふ、照れなくたっていいのよ」
「照れ……え?」
ルカが首を傾げると、また楽しそうにするアンテ。キアラを見れば目をキラキラさせるばかりで、あまり頼りにはならない。
「聞きましたよ、なんでも坊ちゃんのお仕事を手伝ったんですって?」
「……結果的には、まあ」
「素晴らしい!それを嫌がり怠惰に暮らす令嬢も多いというのに……そうだわ、この際マナーだけでなく経済論なども勉強してはどうかしら!坊ちゃんもきっと助かると思うわ!」
「……」
なにやら興奮しているアンテ。手伝った仕事とはまさか尋問の事を言っているのか?どんな伝わり方をしたのか……尋問なんて、どんな人間も嫌がりそうなもんだが。と、ルカは思う。
「(セドリックあたりがぼかして伝えたんだろうか……)」
なにせ彼はローワンが信頼する従者……あの過密なスケジュールを調整していた技量と、忠誠心、そして周囲からの見え方に意識を向けられる所はいつも感心する。
「(ローワン公爵、か)」
思い出すのは数日前、この部屋でローワンと交わした会話……彼は契約の印を見せ、コンソールについて聞いた。持ち出した者の目的を探るために、と。
しかしルカはそれを拒んだ。当然だ、あの道具はただの仕事道具ではない。世界のバランスを崩す原因にもなり得る凶器である。
権限さえあればなんでも作り出せる。世界に存在するものならばいくらでも。それはつまり……世界のバランスを意のままに出来るわけで。
使い方を誤れば世界の脅威となるコンソール。
ルカ達のような管理官が少ない理由の一つは、そういった倫理観を“異様なまでに”遵守できる人間が少ないからとも言えるだろう。
「(わかってる、過剰なことくらい)」
彼は私を心配していた。
それはある程度良心を持つ人間にとっては普通のことで、彼は特にこの半年以上婚約関係であったことを気にしているのだろう。
雇用関係を結ぼうと提案した時もやたらと責任感を吐露していたし……何より相手に決断を委ねるなんて、公爵の立場にしてはかなり弱腰……じゃない、優しいと思う。いや嫌味でなく本当に。
多分長く家に置いたから、情でも湧いたんだろう。住み着いた野良猫が可愛い、みたいな……いや例えが可愛すぎるな。捕まえた容疑者が最近大人しくなったみたいな……?
まあなんでもいいが、とにかく彼の優しさはよく分かった。従者にも命令口調をあまり使わない男だ……私と婚約したことも、それを雇用関係として続けることも、“噤黙の誓い”をたてたことも過剰に気にしてしまっているだけなんだろう。
「(別世界の、得体もしれない人間だと割り切れれば楽だろうに)」
「ルカ様?」
「……すみません、少し考え事をしていました」
「そう……?なら良いけれど……」
不思議そうにしているアンテは、その後もレッスンと言う名のお茶会を続け、ローワンとの仲について質問攻めにするのだった。
・
「はぁ……」
「どうしたのですかキアラ、そんなに大きなため息をついて」
「あ!いえ、その……」
昼食のため準備をしていたキアラたち。どこか沈んだ顔の彼女に話しかけたのはメイド長だ。公爵家のメイドとして厳しくキアラを教育する彼女だが、かけた声は優しさがある。
「実は……ルカ様のお元気が無くて……」
「ルカ様の……?」
メイド長は基本、部下であるメイド達の教育やこの家の当主であるローワンの世話をしているため、実はあまりルカとの面識は無い。
しかし挨拶をした時、他のメイドと共に身支度を手伝いに行った時など、少しの接点はある。そんな少ない接点を思い出す限り、そう易々と落ち込むような人物には見えなかった。
いつも飄々としていて、表情が乏しく、美に頓着のない女性。メイドだと言われた方がしっくりくるのは、爵位のせいだけでは無いだろう。
「なにか心当たりは?」
「それが……その、ルカ様の護衛をしていた2人が、捕らえられたじゃないですか」
「……彼らに同情していると?」
「いえ!ルカ様は一度も牢屋に行きたいとは言われていませんし……なんというか、ローワン様と距離がある、みたいな……?」
なんとも不確定な内容だ。
拾った少女の看病をしたこともあるらしい彼女は、もしや護衛の兵士を大事にしていたのかもしれないと考えたメイド長。しかしキアラが言うには、きっかけは護衛の捕縛だが、主との関係に違和感がある、と……。
最近ようやく母国語が出なくなってきたキアラの話は、ぎこちなさも相まって中々解読が難しい。この調子の彼女をよく専属のままにしておけるなと、メイド長はルカの懐の深さに感心する。
「私はルカ様とあまりお話していないのでわかりませんが……もしもそれが婚約者の仲を引き裂きかねないものならば、慎重にことを進めるべきでしょうね」
「引き裂く……」
「……ただでさえローワン様とルカ様は婚約発表のパーティをしていないのですから、この国では異例の婚約関係です。もし婚約解消がされればルカ様は今後令嬢としての幸せを掴むことは難しいでしょうね……」
「令嬢としての……幸せ……!」
さあっとキアラの顔が青くなる。
身分や出生地に関係なく、不慣れな自分を見守ってくれたルカが幸せになれない未来なんて……
そんなもの訪れて欲しくない。ほんの少し想像しただけで泣きそうになるキアラは、ギュッと下唇を噛む。
「(何とかしなきゃ……!)」
ルカが幸せになれるように。そして、ローワンも幸せになれるように。
キアラはメイド長の咎める声を無視して、大急ぎである人物の元へと走った。




