#62 他己評価にも耳を傾けること
「いつまであんなことを……」
「……」
苛立ちを抑えられないというようにセドリックが言う。それもそのはず、ルカが尋問の部屋に入ってから実に5時間……ローワンとドレイク、セドリックは、ルカがただ優雅に紅茶を飲んでいる姿を見せられているのだから。
<#62 他己評価にも耳を傾けること>
「……」
パラ、とルカが本をめくる音が静かな室内に響く。武骨な尋問部屋に高価な猫足の椅子と小さなテーブル。ピクニックに出向く貴族が使うようなそれらは今、バルとグラクの目の前に置かれ優雅なティータイムを演出している。
「何が目的なんですかあれは……主、これ以上はもう待てませんよ!」
多忙な主を気遣い、部屋を出ようと提案するセドリック。しかしローワンは首を振りそれを拒否する。
「いや、私は最後まで見届ける」
「は……?正気ですか?業務はどうされるのですか」
「急ぎのものは持ってくればいい。……仕事はどうとでもなる」
ローワンの言葉に、セドリックは困惑している。
あの、何よりも仕事を優先させるローワンが、仕事よりも婚約者の尋問を見届けることを優先させたのだ。ドレイクもそれには少し驚いていたが、しかしローワンの意見に同意したようにうなずく。
「セド、お前わかってねぇな」
「なんだと……こっちは5時間も待ってるんだぞ!」
「そうさ、5時間も待ってる。……ルカ様だってそうだ」
「!……しかしあの方は紅茶を飲んでいるだけで……」
「よく見ろセド。……あれがただ待ってるだけに見えんのか?」
ドレイクに言われるがまま、セドリックは窓の向こうを見る。
そこには変わらず優雅に本を読むルカがいるだけだが……しかしセドリックはあることに気付いた。
パラ、パラ、と本をめくる音。それがあまりにも一定であることに。
「……いつから……」
「俺もちゃんとは覚えてねぇが、少なくとも3時間は続けてる。区切りなく同じ光景見せられちゃ時間の感覚だって無くなってくる。
……それにあの部屋は湿気もひどいが、温度も上がりやすい。よくあんな涼しい顔できたもんだ」
「……」
バルとグラクを見れば、薄くだが汗をかいている。
にもかかわらずルカは汗ひとつかかず、一定の速度で、ゆっくりと本をめくっていく。こんな尋問の仕方は初めて見るドレイクだったが……しかし自分がされると思うと背筋が凍る。やんちゃな令嬢だと思っていたが、それ以上に恐ろしい人物であったらしい。
そしてローワンはそんな婚約者の姿を見て決断したのだ。
最後まで見届ける、と。
・
……さて、そんな三人の心境など微塵も知らぬルカ。こちらは耳が痛くなるほどの沈黙と紙をめくる音が充満している。
「……」
「……っ」
これまでルカとバル、グラクは互いに利害の関係だった。ルカは二人を見逃す代わりに情報を得た。二人は常識を教えてやる代わりにこの屋敷にとどまることができた。
しかしその関係が崩れた今、ルカが手を差し伸べる理由が無い。
これまでルカの線引きされた行動を見てきたからこそバルたちはわかる。この沈黙は慈悲ではない。二人を追いつめるための“尋問道具”だ。
「(このまま俺たちが黙ってりゃ、きっとこの嬢ちゃんも黙ってここにいるはずだ。忍耐勝負なら俺たちだって負けねぇ……だが……)」
バルの視線はグラクに向けられる。
この暑さと湿気、そして長時間の正座に近い姿勢が、まだ若く血の気盛んな息子を苦しめている。ただそれはバルとて同じ……何とか耐えてくれと願うが、グラクの目はルカを恨みがましく睨み続けていた。
「……私が憎いですか?」
「「!」」
ルカは目線を動かさないまま、グラクに問う。
これまで味方だと思っていた自分が、貴族である自分が憎いかと。
ルカのその言葉に、追い込まれ余裕のないグラクは反応する。
「っあたりまえだ!お前が黙ってるって言ったから俺たちは信頼して……」
「信頼?……あなた、私に脅されたんですよ。どこに信じる要素があるんですか」
淡々と話すルカに、いよいよグラクは頭が沸騰するほどの怒りを覚える。
その様子を見るローワンたちは、まさかルカが彼らを元々脅していたとは知らず、その会話の行く末を見守るしかない。まさか共謀して諜報活動を……?そんな考えがちらつくが、依然としてルカという女性の思考は読みづらい。
そして散々裏をかかれてきたセドリックは、ルカの言葉を待つことしかできず、事態の行く末を見守っている。
「じゃあお前は……信頼もしてねぇ俺を叱ったのか!?親父に俺の面倒を見ろって叱ったのは!信頼してなきゃあんなこと言わねぇだろ!」
「……」
怒りのままに声を荒げるグラク。
その内容はルカと彼らの関係が水面下で深まっていたことをまざまざと表しており、森への侵入を黙認したドレイクも、それについて叱責したローワンも驚きで硬直している。
ローワンの手が、ギチ、と革の擦れる音を立てて強く握られた。それは単なる驚きのせいではないことを、本人は自覚しているのだろうか。
「グラク……」
「親父は黙ってろよ!いっつも黙ってるばっかの癖に、たまに思い出したみてぇに父親面して……うんざりなんだよもう!貴族に媚び売ってでも金稼ぐって言ったのは親父だろ!?なんで俺までこんな思いしなきゃいけねぇんだよ!!」
「ッお前!」
ガチン、と首につけられた枷が金属音を鳴らす。しかし二人の距離は縮まることなく止まり、そこにルカの冷静な声が浴びせられる。
「親子喧嘩は後でやってくださいませんか?……あなた方がどんな経緯で諜報員を引き受けたかなんて、どうでもいい」
「てんめぇ……っ!馬鹿にすんのも大概にしやがれ!」
掴みかかろうと激しく暴れるグラク。
それを横目で見て、ルカはようやく本を閉じた。
ゆったりとその姿勢を変えて、そのズボンに包まれた足を肩幅ほどに開く。少し屈むようにしてグラクとの距離を縮めればそのガラの悪い態度がグラクに威圧感を与え黙らせる。
「はぁ……いい加減にするのはあなたですよグラク。私はあなたを見逃したというのに、どうして好き勝手言われなければならないんですか」
「うるせぇ!お前が俺たちを裏切るから……」
「裏切った覚えはありません
仲間になった覚えも、ありません」
「……!」
ひどく、傷ついた顔をするグラク。その晴れた日の空のような青い目は揺れている。
「あなたがどんな経緯で諜報員を引き受けたかはわかりません。ですが、なってしまった以上、それを選択したのはあなたです。責任を父親に押し付けるのはおかしい。
あなたが足を踏み入れたのは、こういう世界なんですよ」
「……」
「それに、私の叱責は業務怠慢への正当な指導です。期待故のものとはき違えないでください」
「っじゃあ……じゃあ俺にエルマの実をくれたのは何だったんだよ」
「……」
「答えろよ!!」
何かを切望するような、悲痛な叫びは部屋に木霊する。
グラクは諜報員としてこの屋敷へ潜入してから、よくルカのことを観察していた。
それは監視対象であったことも理由の一つだが、キアラに向けられた優し気な眼差しが好きだったからだ。
母親が早くに亡くなり父と二人でその日暮らしを続けていたグラク。もしかすると、そんな母の愛に飢えていたのかもしれない。
しかしそれ以上にグラクの胸を締め付けたのは、ルカの真剣な、まっすぐな眼差し。強い言葉すら、彼女の芯の強さを表す指針。
例え失態に対するお咎めであったとしても、ルカは目をそらさない。平民である自分たちと同じように地べたに座る。見下したりしない。そんな些細なことが、グラクの心を確実に溶かしていた。
だからルカが知りたいと言った“常識”を教えるとき、そして仕事を任されたときも、グラクは少し得意げだった。頼られている、距離が縮まっている、そう感じられたから。
だというのに……
「(くそ……っ)」
目の前にいるご令嬢は、自分を冷たい視線で見下ろすばかりで、一切油断の隙を与えない。閉ざしたままの口からは求めた答えも何もかも出ることは無い。それがグラクは許せなかった。それはひとえに……
「……グラクやめろ」
バルは、暑さに噴き出る汗を垂らしながら顔を険しくさせる。
グラクだってわかっている。身分違いのこの想いなど、成就するわけがないことなんて。
でも我慢はできなかった。ぐらぐらと揺れるような感覚……考えるよりも先に、口が開く。
覚悟を決めたような表情のグラクは……息を吸い、少し言い淀む素振りを見せて、言った。
「……好きだ、ルカ」
「……、」
その言葉に、ルカが目を見開いたその時。
部屋を包む湿気が一瞬にして凍り付く。
比喩などではない。パキパキと亀裂の走るような音を立てて、あっと言う間に尋問部屋は冷凍室へと姿を変える。
「言いたいことはそれだけか」
部屋と同じように冷たい声が響く。
その声がした方向、尋問部屋と待機部屋を繋ぐドアの向こうには
グラクを睨みつけるローワンが立っていた。




