#53 人からの好意を無下にしないこと
「ルカ様、朝食のご用意が出来ましたが……」
「すみません、今いいところなんです」
後で食べます。と書類から目も離さず言うルカは、キアラの後ろの影に気づかない。
「時系列的に……ただこの分布だと……」
ぶつぶつ独り言を呟きながら、テーブルでは足りないとベッドの上に資料を敷き詰めるその姿。
ヴァレリーが忽然と姿を消しておよそ一週間……ローワンが報告書を共有して以来、ルカは魔の者の調査に夢中だった。
<#53 人からの好意を無下にしないこと>
「……いつもああなのか?」
ここ一週間、ローワンは多忙で食事の時間をずらしていた。婚約者と唯一言葉を交わすと言ってもいい食事時……それがずれたことによりしばらく姿すら見ていなかったのだが、その間に随分変化があったらしい。
「私が……私が悪いんです……」
キアラが言うには。
『(ローワン様とお食事の時間がとれないなら、ルカ様のお部屋でお夕食を取ってもらうのもいいかも)』
丁度ルカは報告書を読み込んでいて、自室からほとんど出ていない。甲斐甲斐しくルカに紅茶を出したり、菓子を出したりとメイドらしい仕事にいそしんでいたキアラは、彼女のためになるだろうとそんなことを考えていた。
『ルカ様、本日はローワン様がお夕食を別でとられるとのことでした。お部屋にお食事をお持ちしましょうか?』
『!……いいのですか?』
『もちろんです!』
キアラの思惑通り、ルカはその申し出を喜んだ。手元にはおびただしい量の書類。キアラはその手を煩わせないようにと、サンドウィッチをドレイクに頼んで作らせた。
『サンドウィッチ……』
『その、お手が汚れないようにと……』
『……ありがとうございますキアラ、助かります』
ルカの顔が少しほころぶ。よくやった、と言わんばかりのその言葉は、キアラの耳と尻尾をぽんっと出し、それはもうブンブンと震わせた。感情が高ぶると正体を現してしまうクニクルス人の性である。
そうして味を占めたキアラは、甲斐甲斐しくルカのもとへ食事や紅茶を運んだ。そのたびに自分を褒めてくれるルカ。また褒められたい!とキアラは朝昼晩、休むことなく…………
・
そうして出来上がったのが……
「……湯あみはしているんだよな?」
「な、なんてことを!きちんと入っていただいております!」
ものすごく早いですが……とキアラ。湯あみを担当するメイドが泣きたくなるほど雑に全身を洗いさっさと終わらせてしまうルカの姿を思い出し、キアラもまた苦い顔をしている。
「る、ルカ様……?あの……」
「ちゃんと食べますから、置いておいてください」
「ううう……」
キュウン、と喉から器用に悲し気な声を出すキアラに、ローワンは息を吐いた。後ろに控えるセドリックもまたこの光景に驚いている。
「……ルカ」
「……」
まだ何かを呟きながら書類を読み込んでいるルカ。その髪型は雑に結ばれ、服装もまた質素なものを選んでいる。そのおかげかいつも以上に年齢の差を感じ、ローワンは少しルカの存在を遠く感じる。
たった3歳、されど3歳。そしてルカと契約を交わし共有した、彼女の“管理官”としての背中が遠くに……
「ルカ殿!婚約者の声を無視するとはどういうことですか!」
「!……セドリック?」
セドリックが声を荒げたことで、ようやく、ルカが顔を上げる。
目元には隈、メイクを施していないせいか、意外にも幼いように見える顔立ちはローワンの意識を連れ戻す。
「ローワン様も……どうしてここに?」
「……キアラが私を呼んだのだ。ここ数日部屋から出ていないらしいな」
「数日……何日ですか?」
「い、一週間ほどです……」
「そんなに……」
意外だ、と言わんばかりにあたまをかくルカ。時間の感覚が無かったらしく、書類を広げた周囲を見回して黙り込む。
「……すみません、心配させましたね」
「ルカ様ぁ……!」
べそべそと泣きそうなキアラを、ルカは手招く。
呼ばれたままにキアラがルカに近寄れば、髪を崩さない程度に撫でられる頭。眠気もあってかとろんと閉じかけているルカの疲れた目が、キアラを見つめる。
「くぅん……」
「……いつの間に手なずけたんだ」
「手なずけたとは失礼な、喜ぶかなと思っただけです」
よしよし、と撫でられる頭。キアラは顔を赤く染めて、その手を享受しているが、ローワンの記憶ではここまで2人の距離は近くなかったはず。
というかそもそも使用人や兵士とは容易に距離を縮めるのに対し、婚約者は無視するというのはどういう事なのか。ダンスの時や契約の時は自分だって近くに……
「主……?どうされましたか?」
「……ハッ」
セドリックの声でローワンはハッとし、咳払いをする。
「っルカ!」
「はい」
「とにかくその身なりを整えろ。……話はそれからだ」
アンテ、とローワンが後ろに声をかければ、ルカの肩がびく、と震える。
「これはこれは……お支度のしがいがありますね、ルカ様」
「あ……アンテ、さん、これはその」
「あらルカ様、使用人に敬称は不要ですよ」
ふふふふ、と笑顔のままのアンテ。閉まる扉の奥、ルカの悲鳴が聞こえたとか聞こえないとか……
・
「——調査結果を読ませていただきましたが……こまめな記録のおかげで、魔の者についてある程度理解が深まってきました」
アンテにより身なりを整えられ、公爵の婚約者として恥ずかしくない服装に変わったルカ。しゃんと伸びる背筋はコルセットによりさらに美しく見せられ、先程までのボサボサの女はどこかへ消えた。メイクも施されたらしく、少し顔立ちがはっきりしている。
散らばっていた書類は全てルカの自室から持ち出され、今ルカ、ローワン、セドリックの3人は広間にいる。
ローワンの執務室でも良かったのだが、ルカは広い机が欲しいと2人をここへ連れてきていた。
仕切る立場が妙に似合う女に、2人は耳を傾ける。
「まずは確認です。……現段階で分かっていることは3つ。魔の者の出現場所、魔の者の攻撃方法、そして必ず魔石が埋め込まれていること……ですよね?」
「ああ」
報告書には外見の特徴や分布、どこを攻撃したら効果的だったかなど、戦闘に役立つ内容が事細かに書かれていた。
そのおかげで魔の者の急所がおおよそ人間と同じ心臓部分や頭部であることが判明している。
「ただ容姿はゴブリンや、オーガ、オークなど、四肢を持つ二足歩行の魔物に酷似していた、と」
「その通りです。共通点は、異常値の魔力と金の魔石。」
「……」
ルカは広げられた書類に目を向ける。
「魔石の発見は、セドリック。あなたがしたんですね」
「はい。魔の者が3、4体ほど確認された際に1体解剖した結果、魔石が腹部から確認されました」
「……魔石について質問なのですが、生物の体内で結晶化することはあるのですか?」
セドリックとローワンに目線を戻すルカ。少し考えた後、ローワンが答える。
「そういった魔物は存在するが、魔石に魔力を奪われて最後は自分が吸収される個体がほとんどだ」
「魔石の核となるものを食す魔物、ですか?」
「いいや、魔力の蓄積方法が特殊でな。内臓の一部が高濃度の魔力を溜め込んだ結果石になるんだ」
「……あの、それってガチョウか鴨のような鳥類だったりします?」
「?いや、スライムだが……」
「あ、そうですか……」
ルカの頭に一瞬フォアグラの制作過程がよぎったが、どうやら違うらしい。まあそもそもあれは人為的に餌をたらふく食わせて太らせるもの。今回の件とは少し違うか、とルカは脳内の鳥を追い払う。
「……脱線しましたね。その魔石ですが、体内にある魔の者と体外に露出している魔の者がいるとか?」
資料によれば、ルカを襲った個体は体内に魔石を持っていたらしい。種族によって偏るのかと思われたがそういうわけでもなく、しかし体外に露出した個体の方が数としては増えている。
「体外に魔石を露出させた魔の者は討伐が容易で、その魔石を体から切り離すことができればすぐに戦闘は終わります」
「逆に体内に魔石を持つ個体は厄介でな。稀に頭部を切り落とした後も攻撃してくる場合もある」
「となると魔石がキーな訳ですね」
なるほど、とルカは納得したように頷いた。
そしてゆったりとした動きで、広げられた資料をなぞる。
「それではもうひとつ。魔の者、と名前をおつけになったのはセドリックだと資料に残っておりましたが……
これは、二足歩行の魔物故ですか?それとも、人間が魔物化した可能性を加味しての命名でしょうか?」
ただの事実確認のはずだが、やけに威圧感のある黒い瞳。セドリックは、思わず固唾を飲んだ。
260916 敬称ミスを修正しました




