#52 相手の喜ぶものを覚えておくこと
「……その、もう良いか?」
「え?……あ。」
顔を逸らしながら言うローワン。ルカはようやく、これまでローワンと手を握ったままだったことを思い出した。
〈#52 相手の喜ぶものを覚えておくこと〉
「ええと……“以上を噤黙の誓いにより縛る”」
ルカの言葉に反応するように、魔法陣は光を一瞬強め、また痣のような状態に戻った。ようやく手を離したルカはその手の甲に走る紋様を観察する。
「(すごいな……中二の私が見たら喜んだだろうに……いや今もか、かっこいいなこれ)」
「……その痣は目立つ。手袋で隠しておけ」
「わかりました」
了承したルカ。
しかしそれならば足にしておけば良かったのでは?と思う。だって手なんて絶対に見える場所、常に紋様が残る場所としてはいちばん適さないだろう。……と、そんな考えなど露知らず、ローワンは立ち上がる。
「……不安か?」
「?」
手を見ていたルカに、ローワンは何かを感じたらしい。手袋をはめながらその声色は少し不安げだ。
「不安というのは……」
「……あなたがこれまで隠し通してきた事を、私に預けたんだ。不安にもなるだろう」
「それは……」
「……大丈夫だ、私はそもそも周囲に、あなたが管……」
その瞬間、ドアがバンッと開き一人のメイドが現れる。その頭には犬耳が、そしてしっぽがスカートに巻き付くように丸まっている。
「ルカ様!!私、ルカ様になんと言われようともあなたのお世話をしたいです!ですから……
って、あれ、ろ、ローワン様……?」
「ッ……」
口を抑え地面に膝を着くローワン。ルカはまさか、と思いそのローワンの様子を見ていたが……涙目になっているのを見て悟った。
なるほど、これは秘密がバレることは無さそうである。思わず笑いが込み上げ、肩が震える。
「ルカ様!?これはいったい……というかヴァレリー様は……」
「……ふ……き、キアラ、ヴァレリー様は少し前に帰られましたから……んふっ……手袋を一組いただけませんか?手が荒れてしまって」
「!?そんなっ私が遅かったばかりに……!急いでご用意いたします!」
バタバタと部屋をあとにしたキアラ。そして笑いを堪えるルカを睨みつけるローワン。なんとかそれを見ないように耐えたルカだが、どうにも笑いを堪えきれずしばらくはローワンの視線を感じながら肩を揺らすのだった。
・
「——ありがとうございます、キアラ」
キアラから受け取った手袋は、手を保護するための柔らかい素材のもの。いつでも人目に触れることを意識して作られたのだろう、きちんとレースのあしらいもされたそれはルカの手を美しく包み込む。
「軟膏もご用意いたしましたが……よろしかったのですか?」
「大丈夫です。……寝る前に自分でつけますから、私の部屋に置いておいてもらえますか?」
「わかりました!」
元気よく頭を下げて部屋を後にするキアラ。足音が去って行くのを見計らい、ルカは大袈裟に息を吐く。
「それで……いつまで聞き耳を立てているつもりですか?バル、グラク」
「!!……い、いつから……」
「バカッ申し訳ありませんだろ!」
「……」
冷ややかなルカの視線に気づいたか、二人は慌てて頭を下げる。
「どちらが発案者ですか?」
「その……グラクがどうしてもと……」
「おい親父!なんでバラすんだよ!」
「はぁ……」
バルを責め立てるグラクだが、そんなことだろうと思っていたルカが近づくとその体をビシッと固まらせる。さんざんルカの恐ろしさを見てきたのだ、これからどこかに連れて行かれ制裁を受ける可能性だってある。
ゆっくりとルカが近づいて、グラクの目の前で立ち止まったと思うと、見上げる形でその黒い目を鋭くする。
「どこまで聞こえたんですか?」
「な、何も……」
「本当に?」
「は、はい」
「……」
じっと、本心を探るようにグラクを見つめるルカ。グラクはこの間、ルカの冷たい視線以上に整った顔が近くにあることに緊張しており、顔が徐々に赤くなるのを感じている。形のいい唇が開き、更に近づいて詰め寄る。
「本 当 で す か ?」
「っ……け、契約って……聞こえた以外は何も……!」
「……」
聞こえていたじゃないか。ルカは不機嫌を全面に出し、文句を言おうと口を開いた。しかし……
「おい」
「?」
ローワンがそれを止める。ルカが振り向くと、なぜかこちらも不機嫌そうに立っている。腕を組み、ルカとグラクを睨みつけるようにしている姿は威厳があるというよりは……
「いつまでそうしているつもりだ」
「……そうしている……?」
何がだ、とグラクを見れば、顔を赤らめてガチガチに固まっている。状況を把握するべく観察すると、そういえば距離が近いことに気づくルカ。もう少しすればキスでもしそうな距離である。
素直に離れればグラクは胸を抑えながらバルの隣に逃げ、ローワンはまだ苛立っている。
なんだこの状況は。距離が近い程度で大袈裟ではなかろうか?これが若いということなのか……まだまだ尻の青い子供なんだなとグラクを見て思う。
「……早く持ち場に戻れ」
「「はっ」」
離れたというのに依然として機嫌の悪そうなローワン。
……まあ確かにはしたなかったか。貴族からすればこういった行動のひとつすら意味を持つのだろう。ルカは頭を下げる。
「失礼いたしました、お見苦しいところをお見せして」
「そういうことでは……」
何かを言いかけたローワン。ルカもなるべく誤解のないようにと言葉を続ける。
「貴族の振る舞いに慣れていないもので……以後気をつけます」
「……」
「……?なんでしょうか」
「いや……」
釈然としないような……まだ不機嫌を引きずっているような気はしたが、ルカはその原因がわからず首を傾げる。
「……昼食にしよう。ドレイクが料理を作っている頃だ」
「はい」
少し久しぶりに感じるドレイクの料理。ルカは心のどこかでそれを楽しみにしていたことに気づき、空腹感を覚えるのだった。
・
「——魔の者についての調査報告書だ」
「!!」
昼食を済ませ、ローワンの執務室へ呼ばれたところ、目の前に大量の書類を出された。それには事細かに魔の者について書かれており、筆記者の性格がよく表れた素晴らしい書類であることがわかる。
「私やセドリック、アシュフォードの兵が調査に出向き、このように気づいたことを書き残しているんだ。
魔の者が出現し始めたのは、およそ3年前……だからその3年分の報告書がここにある」
「おお……」
パラパラと紙をめくるルカ。筆記者によって差異はあるものの、それぞれの視点で気づいたことが書かれており、大変重要な資料であることがわかる。
「よろしいのですか主?ルカ殿にこの資料をお見せして……」
「……ルカの知恵で何か新たにわかることがあるかも知れないと思ったんだ」
「ですが……」
「セドリック。彼女の優秀さはお前も知っているだろう。……悩みの種が消えるなら、私はどんな手段だって使う」
「……そうですね」
セドリックは、自分の書いた報告書を読み込むルカをじっと見つめる。
その視線はどこか空虚で、ルカの真剣な眼差しを冷ややかに観察しているようだった。




