#50 機密情報は社外に持ち出さないこと
「説明してくれ、カンリカンとは一体なんなのか……ヴァレリー・アレキサンドリアとどんな関係なのか」
ヴァレリーが消えた部屋で、ローワンはルカに尋ねる。
「……」
もはやしらばっくれようもないこの状況。ルカは手を強く握り、ぎゅっと口を結ぶのだった。
〈#50 機密情報は社外に持ち出さないこと〉
「……」
いつもの彼女ならば、自身の行動の説明を淡々としたことだろう。しかし今のルカにそんな余裕は見られず、思い詰めた表情のまま口を閉ざしている。
そのただならぬ様子はもちろんローワンやセドリックを困惑させた。バルやグラクに至っては図々しくもこれを機にルカの弱みを握ることができないか目ざとく観察しているが……それを察することもできないほど余裕がないルカは、ギリ、と布団に埋まった手を握る。
「(どう、しよう)」
カンリカンという単語はただの聞き間違いだと誤魔化すか?それともあの時と同じように姿をくらますか……
いや、どちらも得策ではない。自分は嘘が下手な上、ローワンは探知魔法なるものを習得している。と、ルカは思考を巡らせる。
だったらいっその事————
「……ッ!!」
瞬間、ルカの目が見開かれる。
今何を考えた?いっそ全てをあけすけに話そうとしたのか、私は?
「(それだけは駄目だ、できない)」
世界の均衡を崩しかねない存在がいる上に、現地の人間に自分が異世界を管理する身であることを伝えたらどうなるか……想像を絶する影響が出ることになるだろう。自分の命の危機はもちろん、最悪の場合文明の急成長により戦争が誘発される可能性だって孕んでいるわけで……
「……」
「……いつもあなたは、肝心なことを話さないな」
静かに、ローワンが口を開く。その目はセドリックからは見えなかったが、その双眼はじっと、黙るルカを見つめている。
「貴方が森へ入った目的……果たすことができなくなったと言ったが、その目的自体は聞いていない」
苦しげに自分の手を睨むようにするルカ。ローワンは、1歩前へ出る。
「農村の視察についてもそうだ。貴方は教養のためと言っていたが……貴方は視察中、十分現地の民の事を理解していたとセドリックから聞いている」
「……買い被りすぎているだけです、ただ私は」
「それにあなたは」
カッとわざと踵を鳴らすローワン。ルカの言葉を遮り放たれたのは、怒りではない。ルカがするよりもよほど優しさのこもった事実確認だ。
「魔法を一度も使ったことがないと言った。その理由は?」
「……それ、は……家庭の、方針で……」
「……それでは辻褄が合わないんだ。あなたが以前参加した国王主催のパーティ……あれは……
寄宿学校に通ったことのある貴族だけが参加を許される会食の場だったのだから」
「——」
初めてルカは顔を上げた。その目はいつしか見た薄紫を見つめているようで、以前見た人物の面影を思い出すように思考を巡らせている。
しかしルカはあの時、問題なく仕事をしていた。森に入る前……この異世界に飛んだ時のパーティで、ルカは情報を集めバルコニーへ出て、その時貴族ひとりとで会った瞬間|/deprioritize《認識順位降下》を打ち込んだ。それを打てば大抵の場合は自分の事をすぐに忘れる。
大抵の場合は。
「(……まさか)」
コードは万能だが、曖昧な指示の場合その効果が出にくい場面がある。それは気配に鋭かったり、魔力などの影響でコードの干渉が阻害されやすい体質の場合であったり……。特にルカがその時使った|/deprioritize《認識順位降下》は効果に個人差が出やすいもの。今後二度と会わないことを前提に、または二度目に会った際はもう一度コードを使うことを前提に作られたそれは……ローワンに対し効果を発揮しなかったらしい。
「……」
「逃げようとしても無駄だ。何かあった時のために外で兵を待たせている」
ルカに近づいて、その細い手首を手袋越しに掴むローワン。改めて逃げ場が絶たれたルカは、自分の未熟さ、そしてローワンの冷静な判断力、相手を油断させる術に完敗した。
こんな時コンソールがあれば、自害のコードを打ち込めたというのに……帰ることも死ぬこともできない。
「……正直に話せ、ルカ・モスウッド。あなたは一体……何者なんだ」
「……私、は……」
ルカは、乾いた唇を開く。
「私は、モスウッドの人間ではありません。ホワイト王国の人間でも、近隣諸国の人間でも……ありません」
「……」
またか。そんなローワンの声が聞こえそうな室内の空気。ルカの手首を掴む力が強まる。
「何故はっきり言わないんだ。あなたは“カンリカン”では無いのか」
「……言えません。これは秘密などという生易しい次元の話ではないです」
ローワンの手を避けようと、ルカは空いた右手でローワンの手首を押すが、それは一切動かない。むしろ掴む力が強まりルカは眉を顰め、そのまま顔を俯かせる。
「言えないと言っているでしょう。……教えること自体が禁忌なんですよ、私の口からは明言できません」
「だめだ、答えろ」
「っ分からない人ですね、知ってどうするんですか?そんなに信用されたいんですか」
「……信用、か」
『仲良くなるには正直でいなきゃ!だって本当に異世界を想うなら、自分が仲良くならなくちゃいけない……そうでしょ?』
ヴァレリーの言葉が思い起こされる。純真無垢なあの声は、全く悪気がなく、心からそれを望んでいた。まるでルカのやり方が間違っているかのような言い方……ローワンは手の中に収まる手首を見る。
何かに耐えるように握られた手。指の先が白くなるほど力を込めたその手は、令嬢と言うには無骨で、飾り気がない。以前はレースの手袋に包まれていたが、それが無ければ“令嬢”という言葉の方が浮く。
そんな手をしている彼女が今、苦しげに顔を歪め、何も言えないと口を閉ざしている。信用が欲しいのかと、わざとらしく嘲笑うように言った。
相手を突き放すためだけの言葉はローワンに全く刺さらない。
「私からの信頼を得たところで何にもなりません。モスウッド家からなにか献上させたいのならば、男爵と……」
「ルカ」
ルカの言葉をまたもや遮るローワン。
びくりと肩を震わせたルカは、思いどおりに行かない会話への鬱憤を表すように顔を上げた。
「話をっ」
「聞かずに拒絶したのはあなただ」
「!」
「あなたが悪人でないことぐらいわかっていると前にも言っただろう……他の者は下がらせる、不安ならば契約を結んだっていい。」
「……どう、して……そこまで……」
「……それは……」
揺らいだ黒い瞳。ローワンは一呼吸置いて、ルカの手に自分の手を重ねる。
「受けた恩は、返す主義なんだ」
薄く空いた窓。カーテンがふわりと揺れる部屋で、儚げだったはずの淡い紫が、まっすぐルカを見つめていた。




