#45 目的を忘れないこと
普通の令嬢ならば、平民の服を着ることも、平民と対等に話すことも、体力仕事をすることだって嫌がるものだ。
普通の令嬢ならば。
「土が良いな、虫が肥えてる」
「酪農もしているからね、堆肥をわけてもらってんのさ」
「……」
少し育った麦が列をなす畑に容赦なく足を突っ込み、雑草を抜いて歩くルカ。
セドリックは足に触れる粘着質な土の感覚に、若干寒気がするのだった。
<#45 目的を忘れないこと>
「——いやあ働き者だね!午前中でこんなに仕事が片付いちまった!」
調味料の香りが漂う、物の多いダイニング。キッチンで手を洗い終わったらしい恰幅の良い平民の女性は、嬉しそうに笑いながら窓の外の雑草の山を見る。そこには子供二人分はありそうなサイズの雑草の山が出来上がっており、ルカとセドリックの働きぶりが現れていた。
はじめこそ感触の悪さに嫌がっていたが、こうした単純作業が肌に合っていたのか、途中からはルカと平民を追い上げ、相当な量の雑草を抜いていた。三人で実に畑三枚分。数時間にしては相当いい成果だ。
「このままウチで手伝ってもらうのもいいねぇ」
「……」
セドリックは答えに困りルカを見る。しかしルカは女性に出されたパスタを食べるのに夢中で、気づいていないらしい。礼だと言って出されたそれはほとんど油とハーブ、少しの香味野菜で作られた質素なパスタ。アーリオ・オーリオに近いそれは、塩分を欲していたルカの体に染みわたる。
「モグ……このあたりには他に何があんだ?」
「何もないよ。酪農してる家と、私みたいに麦作をしてる家が何軒か……ああ、そういえばこの前越してきた子供がいたねぇ。やけにきれいな子で、貴族だったとかなんとかって噂が……」
「!」
ガタン、とルカが椅子から立ち上がる。テーブルに置かれていたグラスが揺れて水がこぼれかけたが、それをセドリックがおさえた。
「な、なんだい、何かあったのかい?」
「……そいつの名前は?」
「さぁ……私も詳しくは知らないよ、ほとんど会わないからね」
「どこにいる?」
「確か……ほら、あそこにサイロが見えるだろ?あそこの家で働いてるって噂さ」
「……」
じっと窓の外を見たと思えば、ルカは残っていたパスタを一気に口にかきこむ。そのままシンクに皿を置いてダイニングの裏口から直に外へ出る。振り返って平民の女性を見ると、口角を上げ言う。
「パスタあんがと、美味かった」
「え?あ、ああ……」
「ドリ、行こう」
「は、はい」
セドリックも、少しもたつきながらそのパスタを口に入れ、急いで飲み込むとルカの後をついて行く。とり残された平民の女性は、そのルカの行動に目を見開くことしかできなかった。
・
「っ突然どうしたのですか、まさか追っている人物の情報だったとでも?」
意外にも足の速いルカを追うセドリック。もはや競歩に近いそれは、ゆっくり話をするには向いていない。
「わかりません。ただ……」
「……?」
途中で言葉を止めたルカにセドリックはついて行くしかない。何がそこまでルカを突き動かすのか、サイロを見る険しい顔は一体何なのか……それがわからないまま、ふたりは目的の家へとたどり着くのだった。
・
麦畑に囲まれるそこは、牛が放牧されている柵があり、搾乳のための道具や、切り崩している途中の干し草が地面に転がっている。
ふわりと香ってくる甘い香りは牛乳を温めたものだろうか。まだ会っていないにも関わらず、家主が優しい人物であるような気がするそれらはセドリックの警戒心をいとも簡単にとかした。
不自然なほどに。
「……セドリック」
「!」
「大丈夫ですか」
静かな声だったが、ルカによって名前を呼ばれセドリックはハッとする。
目の前にはなんの変哲もない家。しかし先ほど感じたような妙な安心感は消え、代わりに肌にまとわりつくような魔力が充満していることに気づく。
溺れるのではないかと錯覚するほどのそれは気味が悪いほど多く、息苦しい。しかしここに近づくまで気づかなかったのはおかしい話だ。元とはいえ王国騎士団に身を置いていたセドリック……こんな異常、遠目からでも気づかないわけがない。
「っこの、魔力は……」
「(魔素が異様に濃い……)」
世界の魔素保有量の異常値を観測し、ルカはこの世界へ潜入した。
噂話を頼りに侵入した東の森は魔素が薄く、しかし“魔の者”と呼ばれる魔物とは別種の生命体が発生していた。索引で引っかからなかったということは、少なくともこの世界の生物として登録されていないということ。鑑定できなかったことが悔やまれるが……今は嘆いても仕方がない。
では、一体どこから膨大な量の魔素が発生していたのか。東領から近いこの農村に辿り着いた時、ルカは妙な息苦しさを感じていた。
見えはしないが、確かにそこにある。体内の魔力に侵食するようにまとわりつく魔素はサイロのある家に近づくほど増えているようで、ルカは自分の足取りの重さに眉をひそめていた。
「……魔素を取り込みすぎると何か弊害はありますか」
発熱とか、と具体例を挙げるルカだが、セドリックはそれに首を傾げる。
「……魔素ですか?魔力ではなく?」
魔法学の本には当たり前のように“魔素”という単語が使われていた。ローワンや他の者もその言葉を知っているようだったが、根本は魔力と魔素が混同していたように思う。
「聞き方を変えます。魔力の急増が起こると、体に何か異変は起こりますか?」
「魔力の……急増……?」
「……、」
頭のきれるセドリック相手でこの会話だ。ルカは舌打ちしたくなる気持ちを抑える。
自分の身に起こりうるだろう症状について確認するのを諦め、魔素の濃いその家へと近づけば、薄く開いた扉。奥から感じる異様な量の魔素がルカの体内に入り込もうと蠢いている。
不快感をあらわにしながらも、軋むドアを押してゆっくりと中に入るルカたち。
そこには、どれだけの時間暴れたかわからない荒れ果てた部屋と、赤い髪を振り乱し気を失う少女の姿があった。




