#04 リカバリーは迅速にすること
森に入り、初めに感じたのは“悪寒”だった。
様々な世界の管理をしてはいるが、現地に赴くのは久しぶりのことであり、ルカはこの感覚を忘れかけていた。
野生の動物が牛耳るこの森に、デスクワーカーの女が一人……決して治安が良いとは言えない夜の森には緊張感が漂っている。
そんな張り詰めた空気の中に、ほんの少しの違和感。自分を監視するような、そんな視線がルカの背筋を粟立たせる。
「(追っ手?……いや、町ではこんな視線感じなかった)」
嫌な感じだ。このまま奥に進んで襲われたら……。ルカは無意識に、先ほど準備したナイフの柄を握りこむ。
妙な生暖かさのある夜風。
ルカはアーキテクト・コンソールに目をやった。
<#04 リカバリーは迅速にすること>
「/scan」
ルカがコンソールに打ち込むと、周囲をふわりと緑の粒子が舞う。正しくは、周囲にある魔素が反応し緑色に光り、ルカはその様子を見て眉間に皺を寄せる。
「…少なすぎる」
本来ならば、もっと大量の緑が見えるはずだ。ましてやこの世界の魔素量は異常値が出るほど多い…それなら視界を塞ぐほど粒子があっていいはずだ。
この状況のちぐはぐさは一体なんだ?やはり何か嫌な予感がする。
「(仮にどこか一箇所に魔素が集中しているとしたら、単独で対処は難しい…もう少し探索したら1度戻って——)」
ルカが森の奥へと足を進めたその時。
ガサガサッと木の葉が大きく揺れ、同時に何かがルカに襲いかかる。咄嗟のことに反応が遅れたが、間一髪首元の薄皮が切られたのみで、ルカはその影から距離を取ることが出来た。
目の前に現れたその影…ルカはそれを見て目を見開く。
「グルルルル…」
「な…」
ところどころ毛が抜け落ち、ヨダレを垂らしてこちらを焦点の合わない目で睨みつける…
四つん這いのそれは、明らかに魔力によって体が変異した“人間のような化け物”であった。
「グルアァァァァァ!!!」
「くっ……!」
異常な脚力でルカに飛びかかるそれ。またもや間一髪でそれを避けたルカは、コンソールにコードを打ち込む。
「/index!」
絶え間なく攻撃をしかけてくるそれから逃げながら、ルカは目の前の化け物を睨みつける。索引とはこの世界の生物について情報を検索することで、手早く概要を知りたい時に用いられる。
だが…
ビビッ
『検索結果なし』
「……は?」
短いバイブレーションが、ルカの血の気を引かせる。
慌てて"/identify"のコードを入力するが、結果が出るまでに時間のかかるそれはたったの1%進んだところで中断された。
「がっ!?」
気を抜いた隙に、襲いかかる化け物。ルカの腹を容赦なく蹴り上げ、鋭い爪を振り回す。
理性の残ったような、しかし制御しきれていないその動きは予測が立たず、ただただルカの体を傷つけていく。
もろに一撃を食らい判断力の鈍った頭にあるのは、焦りと疑問。
世界に存在しないモノが居るとは一体どういうことなのか?魔素の増加が関係している?もしやこんな化け物が何体も存在するのでは…。
バキッ
「ッ……かん、てい…っ」
血が垂れる手で、なんとかコンソールに再度コードを打ち込む。血がぬめり上手く画面を押せず、何度も失敗の音が出る。
「くそっ」
「グルルル…」
それがいけなかったか、どうやら化け物の注意を引いてしまったらしく化け物はコンソールをルカの腕ごと鷲掴みにする。
「ぐあ、…っ」
左腕を捕まれ、宙吊りの状態になる。自重で肩が外れそうになるが、そんなことよりもメキメキと嫌な音を立てるコンソールを何とかしなければならない。
ヒビが入るような感覚が走る。それが余計にルカを焦らせた。これが壊れたら、任務の続行はおろか帰還すら————
ザシュ、と重たい斬撃の音が、止まったルカの思考を引き戻す。掴まれていた腕の痛みが和らぎ、代わりに化け物の腹が裂け血が吹き出る。真正面からそれを浴びたルカは咄嗟に目をつぶり、離された腕で自分を守るように体を丸めた。
「うっ」
地面に叩きつけられ、上手く受身を取れなかったルカ。痛みを訴える体になんとか鞭を打ってコンソールを確認すれば、画面に走る無数の亀裂。留め具も馬鹿になったようで、持ち上げた腕からずるりと落ち血溜まりに落ちた。それを見たルカはもはやなんと言い表していいかも分からない焦りのような、絶望のような感情に苛まれ、力なく腕をおろした。
「————、——」
「…最悪、だ」
これから、どうしろと言うのだ。
異世界で帰る手段も生き残る希望も失って、こんなにも体は傷だらけ。動くことすらままならない。
「——」
誰かが何か言っている。でも、もうなんだっていい。無事生還できたとしても、自分の給料なんかよりずっと高価なコンソールを破損させた始末書を書く未来しか自分には残っていないのだ。
「せき、にん……と……」
責任をとって辞職だろうか…。今後何十年の働き口はどうすれば?残した後輩や上司たちへの引き継ぎは……?
「(せめて…せめて死ぬ時は、ベッドの上が良かった)」
長らく使っていない自室のくたびれた布団に思いを馳せる。
体が揺らされる感覚に身を任せたまま、ルカはその意識を手放すのだった。
・
「……?」
ぱち、と目が覚める。…目が覚めるとは?私は確か化け物と対峙してボロボロに負けて……
ルカはふと、自分の腕に巻き付く包帯に気がついた。腕を上げるとどうにも痛むが適切に処置されたらしい。見たことの無い布地の包帯。まるで、衣服にも使う布を使ったような……
「っ!?」
弾かれるように体を起こす。腹部に強い痛みが走ったがそれどころではない。包帯が巻かれた腕にあったはずのコンソールが無い……つまり何者かの手によって、それが奪われたかもしくは捨て置かれたか……どちらにせよこの世界にコンソールの存在が知れ渡るのは非常にまずい。
ルカはなんとかベッドを這い出て、部屋中を探す。
やけに豪華な意匠の部屋は、置かれているクローゼットや寝具、ドアノブに至るまで美しい紫と濃い灰色、金で装飾が施されており、こんな時でなければ見惚れていたことだろう。
しかし余裕のないルカは乱雑に家具を開けてはその中を引っ張り出し、ベッドの下、カーペットの裏、とにかく考えられる限りの"ものを隠せる場所"を虱潰しにひっかきまわした。
おかげで部屋の中は強盗でも入ったような状態であり、それまで整然としていた室内の面影はない。
そうやって床に這いつくばり、汗で額を濡らしながらコンソールを探していたルカの耳に扉のノック音が聞こえた。
コンコン、と静かに叩かれたそれは、ルカの警戒心を存分に刺激し突飛な行動をさせる。
痛い体で無理やりにカーテンを開け、窓を開き城壁のよくわからない突起の上に足をかけて忍者よろしくそこに立った。しばらくして、扉を開ける音がする。ルカはバクバクとうるさい心臓を抑えることもできないまま、ただ無言で城壁につかまっている。
「——一体どこに……」
「!」
窓が完全に閉まっていなかったこともあり、揺らめくカーテンを怪しんだ声の主が窓に近づく。ルカはあたりを見渡し、飛び移ることができそうなベランダを見つけた。
一か八か……高さに差のないそこに届くかはわからないが、ともかく逃げて、コンソールを探さなければ。
ルカは全く見覚えのないひらひらとした寝間着の裾をたくし上げて、思い切り足場を蹴った。危うく落ちるところでなんとか柵を掴み、這うように柵の内側へ体を滑り込ませる。
「おい!」
中々大きな音がしたこともあってか気づかれたらしい。ルカは慌ててベランダから続く室内へと侵入したが、相手は恐らくすぐに追ってくる。なんなら隣の部屋であろうここはもはや安全なわけが無く、ルカはどうしようかとあたりを見渡す。
するとどうだ。恐らく執務用の机の上に、血が拭き取られたコンソールがあるではないか。
ところどころ破損し、割れている部分もあるが……。だが贅沢は言っていられない。ルカがそれを手に取ったタイミングで、バンッと大きな音を立てて部屋の扉が開いた。
反射的に、ルカはコンソールを抱えてベランダへと逃げ込む。
「おい待て、どこへ行く!」
「チッ……!」
逃げ場はない。しかし、コンソールを見られた以上関わるのは得策ではない。
だからルカは意を決して、飛んだ。
ふわりと靡いた髪の向こう。
いつしか見た薄紫の目が、見開かれていた。
意外とアクティブ
260804 魔力・魔素の表記揺れを修正しました




