#37 担当者の名刺は捨てないこと
ホワイト王国 王宮前
何台もの馬車が集まり、その中からは煌びやかに着飾った令嬢や質のいい礼服を身に纏った男性が降りる。そんな中、一際目線を引く一台の黒い馬車。車輪から馬に至るまで黒で統一されたそれは不気味なほど洗練されており、誰もがその所有者を知っていた。
「お待ちしておりました、アシュフォード公爵様」
「ああ」
黒い髪を緩く後ろに流し、いつも以上に威厳ある風格を見せるローワン。礼服に着られることなく、その上質なベルベット生地の光沢と金の刺繍がローワンによく似合っている。
周囲の令嬢は威厳も美貌も兼ね備えたローワンに、ほう、と息をついた。頬を高揚させる令嬢もいる中で……そのローワンの目線と手は馬車の中に向けられる。
「ルカ、手を」
「はい」
すらりと馬車の中から伸びた手。レースのグローブに包まれたそれは迷いなくローワンの手のひらに置かれ、ゆったりとした動きで体を乗りだす。
魔石の光に煌めくミルクティの髪。
ローワンと合わせた黒のドレスは細身の体型を美しく見せ、しかし切り返しで必要なボリュームが出されたオーダーメイドならではの意匠が施されている。
上品に輝く金の刺繍と、ブラックスピネルの宝飾さえ霞むほどの美貌。馬車から姿を現した女性へ、令嬢も、爵位ある男たちも思わず視線を向けた。
「受付はどちらに?」
「君、案内を頼む」
「はっはい!」
優雅に馬車から離れ、王宮へ足を踏み入れた二人。
今宵は、ホワイト王国第一王子の婚約発表パーティである。
<#37 担当者の名刺は捨てないこと>
ルカはこの3ヶ月間、ローワンの練習台であった。
「坊ちゃん、いつになったらルカ様を名前でお呼びになるのですか?」
じっとりした半目で責めるようにローワンを見るアンテ。ダンスの練習をと呼ばれて来てみれば、何やら妙な雰囲気だ。ルカは背の低いアンテに責められたじろぐローワンを眺めている。
「そ、それは、その」
「この数ヶ月、ずっとお二人のことを見ておりましたが……坊ちゃん!婚約者をお披露目せず、その上名前ですら呼ばないなど!そのような無作法な殿方に育てた覚えはありませんよ!」
「(そういや呼ばれたことないな、名前)」
いつもあなた、とか、三人称的にモスウッド男爵令嬢とか、そういう呼ばれ方だったなと思い出す。しかしそれで会話が成り立っていたし、ルカも特に不便を感じていなかった。そのため半年も経ってまだ名前で呼ばれたことがなかったわけだが……
「大体、パーティの場ではどうするおつもりだったのですか?今までのようにモスウッド男爵令嬢などと呼んでいては、婚約関係を疑われてしまいます!ルカ様にそんな惨めな思いをさせるおつもりですか!」
「す……すまない……」
「(完全に負けてる……)」
「ルカ様もですよ!今後お二人は互いをお名前で呼び合ってくださいませ!」
「……わかりました」
「なっ……」
そうして呼び方の矯正が始まったわけなのだが……
「も、……るっ……」
「今日はモル・カヴィの姿焼きだそうですよ」
※モル・カヴィ=モルモットに似た肉食の魔物。足が早く、歩くたびに鳴き声を発する。
「る、る……るっ」
「狐ではないのでその呼び方はちょっと……」
「……」
「視線で訴えないでください」
想像以上の難航。日常生活で呼べるようにと様子を見ていたアンテだったが、あまりにも奥手(?)なローワンに頭を抱えていた。対してルカはその様子が面白いのか助けを出すどころか遊んでいる。
挙句の果てには……
「坊ちゃん、歩幅をルカ様に合わせてください!」
「……だそうですよ、坊ちゃん」
「きっ……みは……!」
アンテの坊ちゃん呼びに乗じて相手をおちょくる始末。もはや名前で呼び合うことは絶望的なのか……そう思われていた頃だった。
・
ダンスのレッスンが終わり、薄く汗をかいていたローワン。歩幅を合わせたことで普段よりも歩数が多くなり、その分体温が上がっていたらしい。
当日に合わせ少し厚手のベストを着ていた彼は、胸元に軽く空気を入れるようにして顔を扇ぐ。
「ハァ……」
「こちらお使いください」
「ああ、ありがとう……」
「いえいえ。どういたしまして、坊ちゃん」
ハンカチーフを手渡しながら、ふっと、いつしか見たよりもいたずらっ子のように、少々見下したように笑ったルカに対し、ローワンは口をきつく結んだ。
ルカはその反応に満足したか、さっさと後ろを向いて退室の支度をする。
普段は荷物を持ち歩いていないが、今日はアンテの授業の後そのまま舞踏の練習に来たのだ。そのため既にルカの頭は勉強した内容に切り替わっており、自分を後ろから呼ぶ声には気づいていない。
「(思ってたよりホワイト王国は急成長を遂げてる国なんだな……とはいえ国教がマイナー側だから他の大国との距離感が……)」
「おい!」
「!」
ビクリと肩を跳ねさせるルカ。近くで聞こえたその声に驚いて振り向こうとすると、それよりも早くグイ、と上腕を捕まれそのまま体ごと振り向かせられる。
至近距離に見えたのは薄紫の双眼。少し怒りの見えるそれに、思わずルカも黙り込む。
「私はローワンだ!坊ちゃんじゃない!」
悔しげに、目尻を赤くさせてルカを睨みつける目の前の男。眉間に寄せられた皺の深さから、相当に恥ずかしかったことが分かる。
息が当たるほどの距離、ルカは無意識に息を止めていて、喉が引き攣る。
「子供扱いするな、ルカ!」
「……、」
自分よりも随分上にある頭。意外にも強い力。
ルカはそんなローワンを前に、ようやく口を開いた。
「……ごめんなさい、ローワン」
「っ…………もう坊ちゃんとは呼ぶな」
「はい」
「(あら……これは……)」
——これが、パーティを1週間後に控えたふたりの会話であった。
・
「(あの時は驚いた……さすがに私もいじりすぎだった自覚はあるけど……)」
「どうした、気分が優れないのか?」
「あ、いえ。……王宮に招かれるのは初めてなので」
「?いや……そうか」
「?」
案内されたホールに着くなり、既に賑わっていた会場には楽団が既に着席しており、ひと区画を豪勢な盛り付けの料理が彩っている。
その豪華絢爛さはさすが王宮と言うべきか……以前王宮の会場に入り込んだ時は恐らく別のホールだったのだろう。
「(そういえば、あの時も黒髪の男がいた気がする。顔はよく見てなかったけど)」
目線だけで辺りを見渡してみるが、該当しそうな黒髪はいない。
まあ、ほぼ喧嘩のような会話しかしていないのだ。探し当てたところで喧嘩の続きをするだけかもしれない。ルカは探索をやめて息を吐く。
「……こういう開けた場所だと、どこにいるべきか分かりませんね」
「爵位の高いものはほとんど動かないのがマナーだ。かと言って真ん中は王家に近い者が立つ……私たちはあの辺りでいいだろう」
ローワンの視線の先。そこは少しスペースが空いており、確かに立っているには丁度いい。バルコニーへの経路が確保しやすいのもポイントが高い。
「失礼いたします、乾杯のドリンクです」
「ああ、ありがとう」
「ありがとうございます」
ウェイターからドリンクを受け取り移動するローワンとルカ。すれ違いざまに彼らを見る者達の視線は、多様な感情を孕んでいた。




