#35 契約は内容を明確にすること
「——仕立て屋からはおおよそこの額だろうということで見積もりを貰っています。宝飾師に関しては後日こちらにいらっしゃると伺っていましたが……」
「ああ、私もそう聞いている。……それより、あなたはこういう仕事をする必要は無いだろう。セドリックに任せればいい」
「いえ、着るのは私ですから」
濃い藍色の空に月が浮かぶ夜更け。
この報告くらいはさせてくれ、と書類片手にローワンの執務室を訪れたルカ。そこにはおおよそとはいえ目安として十分機能する数字が明記されている。金銭感覚はいまいち掴めていないが、暴力的な数のゼロが敷き詰められていてルカは具合が悪い。
「……気にしすぎだ」
「いえ、私にかけるには額が大きすぎますから」
そう言い放って思い切り嫌そうな顔をするルカに、ローワンは少し目を伏せた。
<#35 契約は内容を明確にすること>
「(さて……)」
受け取った書類を静かに確認するローワン。その姿をぼんやり眺めながら、ルカはどうやってカリーナを推すか考えていた。
なにせ監視目的で婚約を結ばされた(と認識している)ルカ。婚約が解消されればその分自由に動けるようになり、妙なやっかみを受ける心配が無くなる。
カリーナの人間性は好ましいが、ローワンをめぐるライバルになりたいわけではない。そうなればカリーナと婚約してもらった方がルカとしては一石二鳥。全員がWin-Winだ。良い締めくくりである。
「(それに……)」
……なにより、惰性で続けているこの婚約生活に終止符を打ちたいのが一番の本音。
婚約破棄になれば、さんざん避けてきた仕事をせざるを得ない環境になる……それがわかっていても手放したいのは、ルカが他人の稼ぎで生活することに抵抗があるからだ。
「……つかぬ事をお伺いしますが、カリーナ様とはどういったご関係なのですか?」
「カリーナ公爵令嬢か?……ホメオ公爵家とは元々公爵家同士交流があったが、一昨年あたりから頻繁に尋ねてくるようになったな」
「一昨年?何かキッカケは……」
「年齢では無いだろうか。ちょうど社交デビューできる15歳から面識が——」
「15!?」
つまり18になろうという少女にライバル視されていたというのか?それはまずい。10も違う子供を相手に婚約者の座を争っているなんて……。
その話を聞いて明らかに沈んでいるルカ。顔を上げたローワンは、その様子からあることを思っていた。
「(やはり、婚約を解消したいのではないだろうか)」
カリーナの従者が言うように、今の自分の行動は数多の女性から気を引くためのものに見えても仕方がない。婚約を公表しないことはそれほど異例で不誠実な行動……デュートに言われてからというもの、ローワンの罪悪感は膨らみ続けている。
そこにルカから”カリーナとの関係”を聞かれてしまえば、ローワンとしては婚約解消の打診に聞こえてしまうわけで。
互いに同じ結末を望んでいる妙な空気の中、先に口を開いたのはローワンだった。
「あなたは、この婚約についてどう思う?」
「……婚約ですか?」
ルカはまさか直球に聞かれるとは思わず、目を見開く。しかし自分もそれについて話したいと思っていた手前、むしろありがたいとさえ思う。
「これまで3ヶ月間……あなたの行動を観察していた。魔の者との繋がりがあるのではと疑っていたが……そうではないと十分に判断できる」
「……」
ローワンの目は真剣そのもので、この会話によって今後自分たちの関係が変化することは明白だ。建前での会話など意味を成さない雰囲気に、ルカも居住いを正す。
「幸い、あなたとの婚約は正式に発表していない。あなたが望むならば関係を解消しよう、その際に生じる問題は私がなんとかする」
「……。」
そんな真剣な、真摯なローワンの言葉に、ルカは打算とは程遠い……何か別の気持ちを抱いていた。
もちろん婚約の解消は賛成だ。だが何かが引っ掛かる。用がなくなったから出て行けというような、その癖こちらに決定を委ねるような物言いが、ルカの琴線をつついてくる。責任を逃れたいとでもいうようなその優柔不断さが、ルカの口から思わず強い言葉を吐き出させた。
「あの……重要な決定を相手に委ねるの、やめていただけませんか?」
眉を八の字にしメンチを切るようにローワンを睨みつけるルカ。これまで見た中で最上級にガラの悪い、機嫌の悪そうな顔を見せられローワンはたじろぐ。
「あなたのご意志はどうなんですか?解消したいんですか?したくないんですか?」
「……私はただ、あなたが嫌だろうと……」
「否定はしませんが、あなたの意思はどうなんだと聞いてるんですよこっちは。婚約解消したいんですか?」
「そ……れは……」
ローワンは狼狽えていた。
相手が嫌だろうとは思っていたのだが、自分がどうかと問われるとすぐに言葉が出てこない。自分は縁談が無くなれば良いと思っていた。しかし実際は婚約を公表しなかったこともあり、これまで以上に縁談を持ち寄る貴族が増えていた。
その事実だけを見れば婚約を解消してしまったほうがいいだろう。自分は不能だとでも思わせておいて、ほとぼりが冷めるのを待てばいい。それにも関わらずまだ婚約関係でいるのはどうしてか?
ローワンが熟考している間、ルカは未だ機嫌を悪くしている。
「……私はそもそも結婚願望が薄いですし、独り身のほうが良いと思っています。ですが婚約関係を結んだからにはある程度責務は果たしたいですし、易々と解消を願い出られるような身分ではありません」
静かに、気持ちを吐露するルカ。その言葉の端端から滲み出る責任感の強さは、ローワンの目にどう映っているのか……
しかしその次に待っていた言葉は、場の空気を一変させた。
「そもそもローワン様は好みのタイプではないです」
「……なんだと?」
ローワンも思わず思考を止め、目の前で自分を堂々と好みではないと言い放つルカを見る。それはもう奇妙な生き物を見るような目で。
「まあ一例として……自分で責任を取ると言っておきながら、相手が離れるように仕向ける物言いが嫌と言いますか……」
「待て、まだ他にもあると?」
「ありますよ。年下は趣味ではありませんし、なんというか……悲壮感に溢れる薄幸美人系って刺さらないんですよね……」
ルカはここぞとばかりにローワンの好みでは無いところを羅列した。しかしそれはあくまで”私はあなたと解消したって全く構わない”と言いたかったからで、他意はない。
あるとすればどっちつかずな、自分で決断したくないという立場ある者特有のそれに腹が立っただけで。
しかしローワンは違った。
面と向かって”お前を男として見ていない”と言われ、苛立ちを覚えた。自尊心が傷つけられ、そこに加え言葉にできない心のモヤがローワンの苛立ちを助長させる。
「っ私はあなたの事を気遣ってだな」
「不要だと言っているんですよそれが。どんと構えなさいよ一邸宅の主なんだから」
「おいさっきから不敬だぞ!あなたが先に婚約解消を提案してきたんだろう!」
「ええしましたよ。ですからその上であなたが解消したいのかと聞いてるんです」
「私はっ」
ローワンの言葉がここで詰まる。
少しの静寂の後、ポツリと、小さな声でローワンがつぶやいた。
「……私は、あなたを盾代わりにしようとしたんだ。婚約を願い出る令嬢を跳ね除けるために……利用した」
「……」
初耳である。
しかしルカはローワンが溢したその真実を聞いて、むしろ納得した。何故疑いが晴れたらしい自分と婚約関係を続けているのか……それはひとえに”婚約者”がいるほうが都合が良かったからだと。
そう考えると自分もモスウッド邸に戻り見知らぬ男との縁談を持ってこられるのは面倒だなと思い出す。
「そんな非道な理由であなたを婚約者にした私が……あなたに物申す権利はない……っ」
神の前で罪を告白するようなそれは、ローワンの自責思考をまざまざとルカに見せた。大抵の場合ならここで同情が入るだろうが……そうではないのがルカという女。少し間を置いて、口を開く。
「……そうですね、権利もないですし、それを聞いて私は余計あなたの悲劇ぶる態度が気に食わないと思いました」
「っだったら、」
「ですからご提案いたします」
ぐい、とローワンの俯いた顔をあげて、ルカはまっすぐ目を見つめる。
「私を雇いませんか?あなたの盾として婚約者のふりをいたしますから、代わりに私に給金を支払って下さい。
おそらく婚約解消すれば私もまた縁談に悩まされます。それから自分で稼いだお金が無いのは非常に苦痛でして……雇用関係になればその二つが解消されるんです。お互いに良い関係だと思いませんか?」
どうだ、としたりがおのルカに、両頬を包まれたままのローワンは固まる。
「どうしますか、ローワン・アシュフォード公爵」
「……雇用、関係……」
婚約解消すべきか悩んでいた男は、婚約解消どころか雇用関係にしろと迫るこの女が理解できないと思った。
しかしその竹を割ったような、あまりに合理主義すぎる提案を前に、どこかでほっとしている自分がいた。




