#31 吠える犬は
「ルカ様、おはようございます」
「おはようございます、キアラ、みなさん」
薄くラベンダーの香りがするルカ様のお部屋。私たちが来る前に起きていたルカ様は、ゆったりした動きで私たちに頭を下げる。
「るっルカ様ダメですよ!使用人に頭を下げないでください!」
「あ……すみません、癖で」
そう言ってまた頭を下げそうになるルカ様。
私は、そんなルカ様の専属メイドをしています。
<#31 吠える犬は>
「ごめんな……ごめんな……っ」
その日は、朝からお父さんたちの様子が変だった。
お祝いの日しか食べない甘いジャムをパンにたくさん塗ってくれたし、服も、お母さんがずっと大事にしてたワンピースをくれて……狩りで汚れちゃうって言っても聞かないから、満足に動けなかった。
私には兄弟が3人いて、私は一番上のお姉ちゃん。お父さんは族長のところで働いてるから、私は狩りに出かけて食料を調達する係だった。まだまだ歩くのもやっとな一番下の弟。お乳を飲ませるためにはお母さんがたくさんご飯を食べないといけないし、その上の子達は育ち盛り。特に長男は頭が良くて、お父さんのお仕事を手伝うために勉強中なんだって。私はあんまり勉強が得意じゃないから、いつもすごいすごいって褒めてた。
そんな家族が自慢だった。
だけどその日、私が狩りを終わらせて家に帰ると、そこには知らない人間がいた。クニクルスで見たことがないその大きな男たちはニヤニヤしてて、奥ではお母さんが泣いてる。お父さんは何かの袋を持っていて、私の顔を見ない。
「行くぞ」
「え?」
突然腕を掴まれて、抵抗したいのに全然腕を振り解けない。
「痛い!離して!!お父さん!お母さん!!」
「ごめんな……ごめんな……っ」
「キアラ……っ元気でね……!」
私は助けを求めた。でも、帰って来た言葉で気づいてしまった。
ああ、私は売られたんだって。
知ってたんだ、私は頭が悪いから、仕方なく狩りの仕事をさせてたって。二番目の弟の方が、もっと狩りがうまいって。
お父さんは隠してたけど、うちは貧しいからいつも長のお仕事を手伝う代わりに家賃を見逃してもらってた。だけど……
『わしも心苦しい……しかしな、他の者の不満もまた……』
『はい……』
きっとあの袋はお金だ。この国でよくある口減し。
引っ張られて痛い腕。ずっとずっと私を見て泣くお母さんたち。周りの人たちもお母さんたちを慰める。でも全然縮まらない私との距離が、出かけた涙を引っ込めた。
そんな家族が、国が、嫌いになった。
・
「奴隷が逃げたぞ!!」
「捕まえろ!!」
ホワイト王国に連れてこられてから、たくさん仕事をさせられた。重いものをたくさん運んで、魔力をたくさん奪われて……毎日へとへとだった。失敗すれば殴られるし、いつも罵倒されて、誰も褒めてなんてくれない。
お母さんにもらったワンピースなんてホワイト王国に来た瞬間ビリビリに裂かれた。その代わりに渡されたのは、首輪とボロボロの臭い麻服。血がこびりついたそれは、死んだ奴隷が着てた服だって言ってた。
もう嫌だった。毎日毎日知らない人のもとで働かされて、ご飯だってちゃんともらえない。同じ奴隷の男の人にも何度襲われかけたか。助けてくれる人なんていない。だったら逃げてしまえ。そう思って私は仕事場に連れて行かれる途中に列を飛び出してある場所に走った。
『知ってる?東の森は魔物がたくさんいて、入ったらもう2度と出てこられないんですって』
初めてその話を聞いた時、なんていい場所だと思った。魔物なら故郷でたくさん見たし、触れ合ってきた。それに私は魔物と人間の混血……むしろ森の中で過ごした方が、幸せになれるんじゃないか。そう思った。
「はぁ、はぁっ」
「待て!!」
「っ!」
思ったよりしつこい追手。もう少しで森に入れる……そう思った時。私の視界が真っ黒に染まって、ドンっと何かにぶつかった。
倒れそうになって、目をぎゅっと閉じる。だけど待ってたのは腰を支えられる感覚だけ。そして……
「無断で領地に入るとは、一体何事ですか」
「チッ……!」
「!……追いますか?」
「いや、いい。……大丈夫か?」
上から降るその優しい言葉。ローワン様は、ボロボロの私を拾ってくださったんだ。
・
「アシュフォード家のメイドたるもの、身だしなみはきちんとしてくださいね」
「は、はい……!」
スカートなんて、私には似合わないと思ってた。でもメイド長はいつも私の髪の毛を綺麗に編んでくれて、アシュフォード家のメイド仲間たちは私が混血でも気にせず接してくれた。たまに叱られたりもするけど……それが愛情だってことは私にもわかった。
今までは、食料を狩りに行くぐらいしかできることがなかった私も、上手に泡を立てないように紅茶を注げるようになった。洗濯だって爪で布を割くことは無くなったし、お掃除だって、みんなに教えて貰いながら覚えていって……。
・
「キアラ、お前には婚約者のメイドを頼みたい」
「婚約者様……ですか?」
めでたいことのはずなのに、全然笑顔じゃないローワン様。セドリック様もすごく嫌そうにしてるし……どんな人が婚約者になったんだろう?そう思いながら婚約者様を待っていたら、馬車から現れたのは……森に入って大怪我をしたあの女だった。
「キアラ、主の婚約者に怪しい動きがあればすぐに報告しなさい」
セドリック様に言われて、私はなんとかボロを出させてやろうと思った。変な動きをしたらすぐにでもこの爪で……。
・
「……多い」
「えっ!?」
本が読みたいと言うから沢山持ってきたら、多いと文句を言われた。これだけあったら好きなものを選べるのに……まさか全部読むわけじゃないよね?本なんて読んでも眠くなるだけだし。
「(物色してから文句言ってよ……)」
「……あの」
「?」
「ありがとうございます、キアラ」
「!!め、めめめ滅相もございませんっ」
面と向かってお礼を言われるなんて思ってもみなくて、私は驚いて変な返事をしてしまった。
声も裏返っちゃったし恥ずかしい。ちらっと婚約者様を見上げてみたら、もう本を物色し始めてた。とにかく目に入った歴史系を持ってきたけど……そういえば、言語がバラバラになっていたことに今更気づく。私の母国語のものから異国の言葉まで、本当にバラバラな本たち。でもそんなことを気にせず、婚約者様は本を数冊持った。中にはクニクルス語の本も入ってる。読めるのかな?そう思ってじっと観察していたら、婚約者様と目が合う。
「……」
「……読みますか?」
「へ!?い、いえ違うんです!私、この国の言語にはまだ疎くて……」
「ということは別の国からここへ?」
「はい……クニクルスという小さな王政国です」
婚約者様にそう伝えた時、数冊の本の中にクニクルス第一言語が見えた。私のおばあちゃんのそのまたおばあちゃん世代が使う言葉……長寿種の血が流れてる長老もたまに使うけど、私たちの代ではほとんど第三言語で会話してる。
それを選ぶなんて……まさか読めるのだろうか?もしかして、何度も私やドレイクさんが追い返してる諜報員……?私は警戒されないように気をつけながら言葉を選ぶ。
「もしかして……“ルカ様はクニクルスの言葉がわかるのですか“!?」
驚いた顔をして、少しわかると言った婚約者様。私が煽てると、気まずそうに視線を逸らす。何か隠している、とわかった私は、彼女を油断させるために大袈裟に喜んで見せる。
「ルカ様は語学が堪能なんですね……」
「いえそんな、私なんてまだまだですから」
顔を逸らし、何事もなかったように椅子に座る婚約者様。もちろんこのことはローワン様、セドリック様に報告した。クニクルスの、しかも第一言語を理解していたことを。私がわざとクニクルスの言語で話しても、それが理解できていたことを。
その後も逐一行動を報告した。森へ行く様子があったか、魔の者と何か関わりはありそうだったか。真夜中にまだ仕事をしていたローワン様の元を訪れては報告して、眠りにつき、次の日も監視を続ける。
そんな毎日を送っていた頃のことだった。
・
彼女が魔法の制御を訓練することになり、私は終わりを見計らって紅茶や軽食をお持ちした。するとまだ訓練中だったようで、ちょうど婚約者様が魔法を使おうとしているところに鉢合わせる。
微弱な光。なんだ、こんな程度か。
ドレイク様を投げ飛ばしていたからどんな魔力量を持っているのかと思えば、小さな魔石程度の光。
あんな魔力量じゃとても戦えない。森へ入ったのは自殺のためか何かだったのだろうか。そんなふうに思っていた時。
まるでどこからか魔力を吸い込むように光が強くなっていく。暖かくて、それでいて懐かしい……
「(そうだ、これは)」
私が故郷で見た、あの魔法だ。
おじいちゃんが魔法を使う時、必ず同じように体の周りが光ってた。でもやり方は全然わからなくて、どうしてああなるのか不思議だった。私は何回やってもできなかったのに、彼女はそれをやっている。
あれはただの魔法じゃない。
第一言語を理解した者にしか使えない、“魔法学”由来の魔法発動方法だ。
「ルカ様。あなたは……
なぜ魔法論ではなく、古の魔法学に造詣があるのですか」
260804 魔力・魔素の表記揺れを修正しました
260807 キアラの過去を加筆修正しました




