#99 判断材料は自分で集めること
「……どうしたの?」
「……いや、あの辺に何かいた気がして」
固定されているルカの視線。
先程までロゼに向けられていた眼差しが嘘のように、その黒い目は鋭く細められていた。
<#99 判断材料は自分で集めること>
「(やばい、まじでやばいなんで見つかった!?)」
バクバクと心臓が早鐘を打つ。視界には、こちらをまっすぐ見つめる殉職認定対象の女。そしてその傍らには現地住民の子供がいる。
「(俺間違いなく/blend in使ったよな!?なんで見えてんだよアイツ……!)」
認識順位を下げる|/deprioritize《認識順位降下》とは違い、完全にその姿を見えなくさせる/blend in。対人で情報を収集する必要のなかった海野は、兵士の目をやり過ごすためにそのコードを使用した。
その効力はまだ続いているはずであり、海野から見ても体は周囲の風景に溶け込んでいる。だと言うのになぜ今あの女は自分を視認しているのか?感じたことのない焦りが、海野の呼吸を浅くする。
「えっ誰か来たの!?」
「……動物かもしれない」
「(っまずいこっちに来る……!)」
海野は、音を立てないようにその場から後ずさる。しかし容赦無く、迷いのない足取りで近寄ってくるルカの速度に敵うはずもなく、海野はただ近寄ってくるルカを見つめるしかない。
足取りは多少違和感があるものの、スリッパで地面をしっかり踏み歩いてくる。その視線は海野を見ていると言うよりも、海野の周辺を見ているに近く、気配で探っているように見える。
「ルカ、危ないよ!」
「大丈夫、犬ぐらいだったらやれる」
「何を!?」「(何をだよ……っ!)」
ハイエナと呼ばれる自分など恐るるに足らずと言うことなのか、そもそも気づいていないのか。それがわからない。しかしまるで見えているかのようにルカは海野の近くで立ち止まる。
その距離、およそ30センチ。見えていたとしてかなり近い距離だ。
「……」
「(早く戻れって……!)」
草の緑が付着した服は、長時間座っていたことを表しており、恐らくある程度の時間は子供と共に野いちごを採っていたことが推測できる。だとしたら、普通もっと気を抜いているはずではないのか?そんな思考を巡らせながら、無言のルカを前に海野はできる限り息を潜める。
「……あ」
「っ……」
震えそうになる体をなんとか抑え込み、物音を立てないよう細心の注意を払う。
「なんだ、蛇か」
「(……蛇!?)」
「この敷地にもいるんだ……まあ魔物ではないし大丈夫だと思うけど……」
「(大丈夫じゃないだろ!)」
ルカの視線は海野の後ろに向けられており、海野は一気に背筋が凍るのを感じる。
血清があるとはいえ異世界の蛇。適応した薬を生成するにも時間がかかる上、おそらく噛まれたとしてもこの女はしばらくここから動かない。何に噛み付いたのか、それを確認するまで。
「(まずいまずいまずい……っなんでこんなことになってんだよ……!)」
「でっかいなー……これ焼いたら美味しいかな」
「ルカー?」
「(子供呼んでんだろ、早くいけってば!!)」
音が聞こえず、振り向くこともできず、ただ海野は固まることしかできない。冷や汗が頬をつたい、顎に溜まってそれがこぼれ落ちた瞬間——
ズリ、と、海野が体勢を崩した。
その瞬間、ルカは海野の腕を掴み後ろで固定する。そのまま体重をかけて拘束し、手首を捻り上げた。
「っぐ……!」
「……まさかとは思いましたが、本当にいらっしゃったとは驚きました」
先程まで子供に向けられていた声色は消え、温度の無い、業務的な淡々とした声が海野の後ろから聞こえる。
そして何を操作されたかは不明だが、海野のコンソールに何かが打ち込まれる。視界は変わらず景色が自分の体を透過している。ただその不明なことが、海野に恐れを抱かせる。
「なんでっ……」
「まあまず落ち着いてください。あなた、実働部隊の方ですよね?大丈夫です抵抗はしませんから」
「抵抗だ……?こんなん立派な業務妨害っすよ!」
「落ち着いてくださいってば。係長から習いませんでしたか?どんな時も声を荒げず、冷静に……いや、あの人が一番無理か」
「てめっ……!」
体重は軽いはずだというのに、完璧に関節を固められており身動きが取れない。
海野は事務方相手に動きを封じられた悔しさで顔を歪める。
「なんの目的でいらっしゃったんですか?」
「っ……わかってんでしょ、アンタの殉職認定のために派遣されたんすよ……!」
「殉職……」
ルカが言葉を止めたことに、今の状況が気に食わない海野は牙をむく。
「ハッなんだビビってんすか?そりゃそうっすよね、殉職認定が否認されりゃアンタは強制帰還。しかも事務方がでしゃばった結果こんなことになったって係長もアンタら事務方に強く出る!アンタが報告を怠ったせいで事務方のやつら全員巻き込むんすよ!」
「……」
「ねえルカ、大丈夫ー?」
ロゼがルカを心配し立ち上がる。彼女からは見えないがルカは今傍から見れば透明な何かに乗って妙な格好をしている状態なわけで。近づけることはできない。ルカはそちらに声をかけようと口を開く。
「ろ、」
「そういやアンタ、旧体制の合格者なんすよね?旧体制の時ってもしかして現地の人間と仲良くしなさいねって教えでもあったんすか?」
言葉を遮られ、ルカは視線を下ろす。
「いやあ時代って残酷っすよね、昔の感覚で仕事してたらだめっすよ?今じゃ規定違反になっちゃうし……あれっ俺が効いてた話じゃ、昔も過度な介入しちゃダメだったと思うけどなぁ」
「……」
反応のない相手に気を大きくして、海野はにやけながら話を続ける。
「なぁんか一級とか言うから警戒してたけど、怪我してるっぽいし何より動きも鈍いしでガッカリっすわ。あーあ、事務方で級持ちって言うからもっとすごい人なんだと思っ」
「海野さん」
ぴしゃりとルカの声が冷や水のように海野に浴びせられる。
「思い出しましたよ、二級管理官の海野さん。あなた仕事はできるタイプに見えたのですが、割と馬鹿なんですね」
「は……」
「あ、ロゼ。すぐ戻るから待ってて」
「?うん……」
思考が停止した海野に、ルカは続ける。
「報告書の無駄のなさ、調査方法についても目を見張るものがあったので……私はそろそろあなたを一級にして良いのではと課長とお話ししていたんですよ」
「っんな権限、アンタには……」
「無いですよ。でも後ろ盾なしに上がれないことぐらい、あなたならご存知ですよね?」
「それは……っ」
「ですが、初対面で煽ってくる方だったのは意外性があって面白かったです」
「……面白、かった……?」
「え?はい
まあそれはそれとして、反省はしていただきますが」
ガチャン、と妙な機械音が海野の背中から鳴り響き、冷たい何かが両腕を包む感覚に目を見開く。
「あまり舐めた態度は取らないほうが良いですよ。昔の感覚が疼くので」
海野の顔を覗き込むようにして小さく低い声で脅すルカ。
その声に海野は息を飲んだ。




