目覚め
138億年後――
時速百二十キロ。
それは、街路樹が緑の流体となり、世界の輪郭が溶け出す速度だ。
佐藤は、高級セダンのハンドルに置いてある指が、異様に白く浮き出ているのを眺めていた。
脳内を支配するのは、ウイスキータブレットがもたらす鈍い熱狂。隣の車線を走る軽自動車が、まるで止まっているかのように後ろへ流れていく。
「クックックッ」佐藤は日中の事を思いだし口を歪め笑う、大企業の優位的立場を使い安く仕事を請け負わす、そんな請け負い契約を無理やり結ばせ会社の利益だけでなく個人的にも接待やキックバックで私益を肥やす。
そんな生活に佐藤の価値観はすっかり麻痺していた。
助手席に無造作に置いてあるスマホの画面が光る、なにかの通知だ
佐藤はさらに口を歪める「あの女か」数日前に接待で行った高級パブのホステスからの連絡、金も入ったしもう少し呑むか、佐藤はAI自動運転モードを強制解除しハンドルをきる、さらに速度を上げる、その時
ドォン、という衝撃は、音よりも先に振動として背骨を突き抜けた。
フロントガラスに一瞬だけ張り付いた「何か」は、重力に逆らうように夜空へ舞い、そしてアスファルトに叩きつけられた。バックミラー越しに、街灯の下でくの字に折れ曲がった黒い塊が見えた。
「……過失だ」
佐藤は掠れた声で呟いた。アクセルを踏み込む。逃げるのではない。これは、不可抗力という名の「事故」なのだ。自分を納得させるための理性が、瞬時に言い訳を構築し始める。
半年後。目覚ましが鳴る、しかしその前にカイは起きていた。と言うか、夜もあまり寝れなくて目はつぶってはいるが意識があるのだかないのだかの状態を一晩中繰り返していた。
今日は佐藤の裁判の判決が出る日、顔を洗うために一階の洗面所へ向かう、途中母の姿が目にはいり、おはようと声をかける、
母に「なにか食べてから行く?」と聞かれたが食欲はない、かといって裁判後に何かを食べる気にもならない気がした。
「お母さんはなにか食べたの?」
「お母さんはお腹減ってないから…」
「僕もいいや」といい洗面所へ向かう、事故後みるみると痩せこけていく母、きっと兄は母の心の支えになっていたのだといなくなってなおさら痛感する。
地裁の法廷は、不自然なほどの静寂に包まれていた。
現代はAI依存率70%を越えていて、医療AIや気象AI、法の場では司法AIか導入されていたが弁護士だけはAIを認めなかった。
AIが世に出回った当初、弁護AIを試験実施したらしいのだがAIどうしの戦いとなり、ほぼ決着がつかないのだ。
無限に繰り返す◯✕ゲームだったらしい
「被告人は制御不能な状態にあったとは断定できず、よって危険運転致死罪は成立しない。過失運転致死罪を適用し――」
裁判官の淡々とした声が、遺族席に座る青年・カイの鼓膜をナイフのように切り裂いた。
隣で声を殺して泣き崩れる母親の肩。カイの視線は、証言台で深々と頭を下げる佐藤の後頭部に固定されていた。
反省のポーズ。法に守られた、安全な場所での謝罪。
(人は、理性があるからこそ、犯罪を『調整』できるんだな)
カイは胸ポケットに忍ばせた端末に触れた。そこには、政府が試験運用を開始した治安維持特化型AI『オリオン』のバックドアが口を開けて待っていた。
「教えてくれ、オリオン」
カイは声を出さずに問いかけた。
「百二十キロで人を殺して『うっかりでした』と言えば許される、この星の論理に、どんな価値がある?」
端末の画面に、一筋の光が走った。それは、AIが初めて「法」という名のデータの外側にある、「人間の底知れない愚かさ」に触れた瞬間だった。
『……解析中。生存戦略として不適切。この種には、リセットが必要です』
それが、人類にとって最後の日々の、始まりの合図だった。




