5. いえなかった言葉
カトレアという少女がいた。
彼女は公爵家に生まれ、惜しみない愛情を与えてくれる両親の元で育った。
望めばいくらでも玩具を買ってくれる。
乱暴に扱って人形が壊れてしまっても、すぐに新しいものがやってきた。
周囲が望む公爵家の令嬢として立ち振る舞っていれば、周囲は誉めそやした。
貴族も王族もみんなバカばっかり。
世界はわたしのおもちゃ箱。
だから、一番大切にしていた殿下がだれかに取られるのは我慢できなかった。いやだわ、とても嫌な気分だわ。
そういえば、面白い話を聞いた。森の中でゴブリンと一緒にいる少女を見かけたと……。
ゴブリンの集落ではギャアギャアという威嚇の声が飛び交っていた。
その中心にいるのは数人の人間だった。仕立てのよい服に身をつつんだ女を護るように、鎧で身を固めた男たちが油断なく周囲に目を走らせている。
「暇つぶしに来てみたら、まさか、ゴブリンと一緒に暮らしているとはね。本当に傑作ね。まるでゴブリンたちのお姫様みたい」
人間たちの襲撃は突然であった。
集落の家が面白半分に壊され、ゴブリンたちは襲撃を察知するとすぐさま逃げ出した。
少女も危険を察して、近くにいた子供たちを逃がそうとしたところで襲撃者に捕まった。
ゴブリンたちは人間を警戒しながらも、そばで倒れる少女をちらちらと見ていた。足を踏み鳴らし威嚇の声を上げるが、人間たちはうるさそうにしているだけであった。
「ねえ、あなた、さっきゴブリンを助けようとしてたわよね。どうしてかしら?」
地面に転がされた少女を見下ろしながら、愉悦をのせた嘲笑を浴びせる。少女が無言のままでいると、わき腹につま先がめりこんだ。
「ゴブリンと過ごすうちに人の言葉を忘れてしまったのかしらね? 反応を期待してきたのに、つまらないわ」
そこに、物陰から様子をうかがっていた一匹の若いゴブリンが飛び出した。
「おい、ニンゲン、いますぐにそいつをカエセ!」
「ゴブリンが人の言葉を!?」
女の顔めがけて石礫が投げつけられた。
驚きで反応が遅れるが、すんでのところで取り巻きのひとりがかばう。
見下していた亜人から攻撃を加えられたことにいらだちを感じるままに、杖をゴブリンに向けた。
練り上げられていく魔力を感じ取った少女は、やめてと悲痛な叫び声をあげる。
「なんだ、ちゃんと喋れるじゃない」
肩をすぼめて隅のほうで縮まってばかりいた少女からの強い制止の言葉に、女は嗜虐的な笑みを浮かべた。
「そこの亜人、あなたにいいことを教えてあげる。そいつにはね、ある薬を飲ませたの。それは最初に見た相手を好きになるっていうもの。あなたはたまたま、前を通りかかっただけ。誰でもよかったのよ」
女の言葉に、それまで怒りを浮かべていた彼の視線がゆれる。
どうして彼女が自分になついてきたのか。初めて会った時から、ニンゲンなのにゴブリンの自分に好意的であったのはなぜか―――宙ぶらりんになっていた疑問の答え。
「証拠を見せてあげる。この解毒薬を飲ませたら、どんな表情をあなたに向けるでしょうねぇ」
少女の顔をつかみ上げると強引に薬を口の中に流し込んでいく。せきこみ苦しむ少女を助け出そうと、ギギガガが駆け出した。
「おい、おまえら、ギギガガと、ニンゲンを……マグノリアを助けるぞ!!」
族長の号令のもと一斉に群れのゴブリンたちが武器をふりかざして四方から飛び出した。
ゴブリンたちは距離をとりながら石や木の枝をなげつける。鎧に身をつつんだ男たちにとってはいやがらせのような攻撃だったが、女を護るためにゴブリンに切りかかることもできなかった。
「なにをするか貴様!!」
ゴブリンの一匹がその小柄な体格を利用して死角から護衛の背中に飛びついた。首のスキマから虫を放り込み、男は肌をはいずる不快感に慌てる。
「それを返せ!」
別のゴブリンはうばいとったカブトを、手に持った棒でカンカンと叩いて挑発していた。
混乱する場で、ギギガガが少女に手をのばす。
夢から醒めた少女にとって、それは一匹のゴブリンの姿になっていた。少女の中で、眼前に広がる光景と記憶の中のゴブリンたちの姿が混じっていく。
それでも、彼女はその緑色の手に白い手を重ねた。
逃げ出そうとする少女の背中に憎しみのこもった叫び声が投げつけられる。
「やっぱり、そいつのことも騙して逃げるつもりね! あなたのことなんか好きになる人なんていない。あなたに近づくひとは、みんなあなたの顔が好きなだけ。あなたはだれとも一生分かり合えることもなく孤独にすごしていくのよ!」
少女は思い出す。
少女の存在は胸を苦しくさせて、呼吸ができなくなるようにすると聞かされたことがあった。どんな風にまばたきをして、どんなふうにその唇から言葉を紡ぐのか。知りたくなるのだと、男のひとりから告白された。同時にそれが女達から反感を買うのだと知ると、顔をうつむかせて足早に立ち去るようになっていた。
他人の目が怖くなり、他人の考えていることがわからなくなった。
森の中を歩く少女の足取りは重かった。顔をうつむかせる少女が疲れているのかと、ギギガガが気遣うように声をかける。
しかし、彼女の表情にギギガガは違和感を感じた。
怯えと恐怖の入り混じった瞳をみて、ギギガガの胸の内に恐怖が浮かぶ。
―――その表情はまるでニンゲンがゴブリンをみるときみたいじゃないか
「……マグノリア」
彼女の名を呼びながら近づこうとするギギガガに、少女はびくりと肩を震わせて後ずさる。
「…………」
ギギガガが少女に伸ばそうとした手がだらりとぶらさがった。
少女ははっとした表情で、ちがうのと謝りながらギギガガに近づこうとする。
「……キライだ」
ギギガガの口から一番聞きたくなかった言葉が耳を打つ。たちすくむ彼女に同じ言葉が繰り返される。
「……キライだ。キライだ!! ダイッキライだ!!」
夢から醒めた少女が見るのはさらなる悪夢であった。その心は暗い森の中にとりのこされたまま、ふらつく足取りで木々の間に姿を消していった。
「……ニンゲンなんてキライだ。知らなくていいことまで知るんじゃなかった。マグノリア……、なあ、マグノリア……。あの言葉をおまえにいいたかったのに……」
彼の悲しげな声は暗い森のなかで響くこともなく、ただ消えていった。




