朱色童子の投げたもの
朝陽から離れた場所で、朱色童子はあっさりと姿を消した。
朝陽は、朱色童子が消えたことに口をポカンと開きながら――朱色童子なら「間抜け〜!」と指をさして笑いそうな――“それ”を目で追っていた。
“それ”は、間抜け面を浮かべている朝陽なんてお構いなしに、宙に綺麗な弧を描いていた。
「わ、わーっ!?」
そして“それ”が描く綺麗な放物線の行き着く先は、朝陽の頭上だった。“それ”は朝陽の真上に落ちてきたのだった。
“それ”が自分の頭上に落ちてきたことに、朝陽はパニックになった。けれども、パニックになりながらもどうにかこうにか“それ”をがしっとキャッチし、地面へ落とさずにすみ、ふーっと大きく息を吐いた。朝陽は両手の中に“それ”を包むようにキャッチしたのだ。
体育の成績が泣きたいぐらいな評価である朝陽としては、「自分ナイスキャッチ、ナイスキャッチ!」と喜びから浮かれれたくなってしまいそうなナイスキャッチであった。
だから、内心少し浮かれぎみな朝陽は、頭上で掲げたままの両手の中にある“それ”が何かはまだ気づいていなかった。
「朝陽ーっっ!」
しばらく固まっていたセラは、ここでようやく我にかえったようで、すぐさま朝陽に駆け寄った。
柊もあたふたと駆けていくセラを追いかけようと、足を動かしかけた。
「イヒヒッ、おまえはまだこっちにいな?」
しかし、老婆に腕をがっちりと掴まれ、動きを封じられていたことを柊は失念していたのだった。
柊は先ほども朝陽と朱色童子の間に割って入りたかったのだが、老婆に止められたのだ。
そんな柊は、朝陽と朱色童子が会話をしている間、ずっと駆けつけ割って入りたくてうずうずしていたのだろう。朝陽が解放されたことで、いち早く安否を確認したくてたまらなくなり、どうやら老婆に動きを封じられている現状を忘れていたようだった。
「大丈夫さ! あの娘ッこはあのバカにナァンにも危害は加えられちゃあいないさね」
老婆はどや顔で黄ばんだ歯をぎらりんと光らせ、ばっちんとウインクをした。銀歯だった。
「…………」
「ドン引きしてんじゃアないよ!」
こほん! と咳払いをし、老婆は大きく柊の背をバシバシ叩いた。その勢いから柊は前のめりになり噎せなつつ、朝陽を見た。
セラのタックルを受け、バランスを崩しふらつきつつも、朝陽はいたって元気に見えた。
「ほら、な!」
腰に手をあて、あひゃはゃと愉快げに老婆は笑う。
「なら」
朝陽が無事ならばこそ、柊は駆けつけたい。けれども老婆はそれを止めた。柊は老婆に問うた――老婆はなぜ、柊を止めたのだろうか。老婆は先代の“次代の母”、何か考えのあってのことだろうけども。
「まあ、まあ見ておれ見ておれ」
呵々と声をあげ、老婆は朝陽とセラを指差した。
朝陽とセラは、宝木の前で何やら騒いでいる。セラは、膝だちになっている朝陽の肩に乗り、朝陽が両手のひらをゆっくりと開いていく様子を覗き込んでいる。
開かれた朝陽の手のひらの上で転がるのは、重ねられたお猪口だった。八角形の虹色に輝く水晶でできたお猪口は、もちろん空っぽ。
「………?」
朝陽は首をかしげた。朝陽はお猪口を見たことがなかったのだ。朝陽は一応あと一年で成人とはいえ、まだ未成年であるし、彼女の保護者である叔父は酒を全く嗜まないので、今の今まで見る機会がなかったのだった。
首をかしげる朝陽の疑問に答えたのは、セラだった。
「お猪口にゃ」
セラの一言通りに、お猪口だ。どこからどう見てもお猪口だ。
「おちょこ」
朝陽はお猪口の知識を頭の中で探した。お猪口といえば、お酒の席でよく登場するとかいうあれか。引きこもりに近かった朝陽は、本の虫だった。故に、文面でしかお猪口のことを知らなかった。
たしか、お猪口は杯だとか盃だとかの役割の器だ。婚姻の席で、尺を交わすときは確か――
「朝陽?」
朝陽の顔がぼふんと赤くなった。凄まじい勢いで赤さは濃くなっていき、ついに茹で上がった蛸のようになってしまった。
朝陽は、老婆の言葉を思い出して真っ赤になったのだ。
『特殊な水よ、水。ある水をな、同じ杯で飲む。それだけで、異種族同士だろうが、此岸と彼岸の住人だろうが、ひとりだけ子を授かることができるとびっきりの水さ!』
――つまり。
このお猪口で、朝陽の未来は決まるのだ。




