異端の大悪魔
進化に入る。竜の核と守備長の核を重ねて、空を使える身体と、鎖の留め具を断てる刃を手に入れる。それが狙いだ。
三日、眠った。食べるだけ食べて傷を癒し、魔力の器を満たす。洞窟の入口は岩と骨と影の膜で三重に塞いだ。外から人が来ても、中の気配は漏れない。
竜の核を握り、次に守備長の核を握る。胸の中で枝が開いていく。翼と、刃と、重さ。三つの方向が別々に光りながら、ひとつに束ねられていった。束ねるのに、息を数えて九百ほどかかった気がする。
逸脱進化。そう呼ぶのだと、ずっと後で知る。この時はただ、また身体が変わることだけが分かっていた。
痛みは、今までで一番長かった。背骨が軋み、肩甲骨が割れるように開く。殻が一度砕けて、内側から新しい殻が生え出した。額の両側が焼けるように熱い。誰かが身体を内側から削り直しているようで、何度も気を失いかけた。気を失うたびに、石を二度叩く夢を見た。一拍置いて、一度。その音が聞こえるあいだは、死なないと思っていた。
*
目を開けると、塞いだ岩の隙間から赤黒い光が一筋差していた。それを頼りに立ち上がろうとして、天井に頭をぶつけた。今度は角だった。しかも二本。
額の左右から後ろへ、弧を描いて伸びている。滑らかで硬く、撫でると先端が鋭い。背中には肩甲骨の下から伸びる重みがあり、折り畳まれた膜が張りついている。意識を向けると、それがわずかに動いた。翼だ。
洞窟の奥の水たまりに、身を乗り出した。
水面に、背の高い誰かが映っていた。肩幅が広く、黒い殻は以前より薄く洗練されている。肩から垂れた髪は銀に近い灰色。顔だちは人間に近く、尖った耳と金色がかった瞳を除けば、鼻筋も顎の線も見覚えがあった。完全に前世の俺ではない。他人とも言いきれない、中間のような顔だった。
頬に手を触れると、水面の誰かも同じ動きをした。
ふと笑いが出た。バルトに、カチュアに、言ってやりたい。お前らが知っているユアン・フェルドは、こうなりました、と。バルトは絶句するだろう。カチュアなら、すぐ質問を始めるはずだ。「その角の素材は? 生え方は?」
笑いが引くと、少しだけ胸が重くなった。背丈は六尺ほど。人間の頃より頭ひとつ高い。つまり天井に頭をぶつけるのは、今後も続く。異端の大悪魔。そう呼ぶしかない姿だった。
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洞窟を出る前に、新しい身体を確かめた。まず翼を広げようとして、岩壁に膜を引っかけ、慌てて畳み直した。広げる場所は選ぶことにする。端から端まで四歩、洞窟の幅では二度と開かない。
黒爪を意識すると、指先から黒い光が伸びた。以前の倍以上の長さで、三呼吸が過ぎても揺らがない。そこへ圧縮した魔力を重ねる。手のひらに熱がたまり、握りしめた指のあいだから光が漏れた。爪の形だったものが薄く長く変わり、切っ先が一点に集まった。黒刃だ。
洞窟の壁を軽く撫でる。音はしなかった。黒い線が走っただけで、壁の一部がずるりと滑り落ち、切断面が鏡のように光った。昨日までの黒爪は、岩を割るのに五度は叩く必要があった。今日の黒刃は、撫でるだけで断つ。
天井から垂れた岩の塊を割り、床の大岩を縦に、壁を斜めに。刃が通った後には、静かな断面だけが残った。腹の底から押し殺せない愉快さが突き上げてきて、声を殺そうとして、できなかった。この刃があれば、鎖の留め具も断てる。
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洞窟を出ると、外に先客がいた。
八匹の守備兵が入口を囲んでいる。槍と盾を構え、後ろに隊長らしい屈強な悪魔。先日逃がした副官の一人だ。仲間を連れて、俺の隠れ家を探し当てたらしい。
岩の隙間から出た俺を見て、全員が息を呑んだ。銀灰の髪、二本の角、背中の膜翼。身の丈は彼らを超えている。それでも隊長は声を張り上げた。
「撃て!」
弩が一斉に放たれ、八本の矢が空気を裂いた。避けるまでもない。腕を振ると黒刃が走り、矢はすべて手前で真っ二つに割れて、乾いた音とともに落ちた。
「かかれ! 数で押せ!」
突っ込んできた三匹の槍を黒刃で薙ぐ。柄が穂先ごと切れて転がった。続けて盾を割る。厚い鉄の盾が、紙のように二つに別れた。三匹は武器を失った手を見つめて立ち尽くす。
あとは、ただ歩いた。一歩ごとに、目の前の武器が折れていく。盾が割れ、槍が落ち、命令板が真っ二つになる。窪地の頃は槍一本から逃げ回っていた俺が、八匹を相手に一歩も退かず、血は一滴も流れなかった。守備兵の一人が膝をつき、もう一人が尻もちをついた。
隊長だけが立っていた。剣を握る手が震え、歯が鳴っている。その前で足を止めた。
「通せ」
隊長は口を開けたまま、横へ退いた。守備兵が道を空ける。誰も追ってこなかった。
*
洞窟の少し先、崖の縁に立った。眼下に灰色の岩と赤黒い空が広がり、遠くに城の塔が見える。
背中の翼に意識を向けると、膜が広がった。左右に二歩以上。風が膜を打ち、身体がわずかに浮いた。まだ上昇はできない。だが、高いところからの滑空なら、いずれ使える。
グラドの鎖は、指一本で人を殺す。あの光景は、今も目に焼きついている。だが今の俺には、その鎖の留め具を断つ刃がある。
あとは、決行の日を決めるだけだ。その前に、一つだけ会っておきたい相手がいる。
風が、銀色の髪を揺らした。




