灰鎖城の外側
城を攻める前に、外周の見張りと補給の流れを調べる。そのつもりで潜んだ壁の外で、俺は、壁を直し続ける大きな悪魔に目を奪われた。
甲殻魔だった。三倍の背丈に、岩のように盛り上がった背中、腕は四本。そのうち二本で石材を抱え、残る二本で漆喰を塗り込んでいる。動きは遅い。遅いのに、一度置いた石は少しも歪まなかった。
壁の崩れた箇所を、一日かけて塞ぐ。夜になれば、監督官の命令で別の崩れへ移る。それを繰り返して、おそらく何年も、この壁を保たせてきたのだ。
俺は岩陰から、見張りの巡回、荷役の動線、壁の高さを数えた。城攻めには情報が要る。だが気がつくと、観察の半分はあの大きな背中に向いていた。石を積む手つきが、革職人だった親父の手つきに似ていたのだ。
四日目、彼がこちらを見た。
気づかれたと思って身構えたが、彼は何も言わず、石の一つを叩いて音を確かめている。それから壁の隙間を指さして、低く言った。
「ここ。ずれてる」
地獄語の、ゆっくりした響きだった。俺に向けた言葉ではなく、独り言らしい。それでも、俺は隠れているのを忘れて継ぎ目を見た。たしかに、石が半指ぶん、ずれている。
「……ボルグ」
自分の名前を呟いてから、彼は首を傾げて続けた。
「おれ、ボルグ。かべ、なおす。なおしても、また、こわれる」
話しかけたくなったが、まだ早い。城の連中に見つかれば、お互いにとって面倒になる。俺はそっと岩陰を離れた。
*
骨翼竜が来たのは、六日目の夕方だった。
荷役の隊列が外周路を進んでいた。数十匹が背負子を担いで列を作り、監督官が先導している。その上空に黒い影が落ちた。翼が二対、骨だけが露出した竜が、気流に乗って音もなく滑空してくる。気づいたときには、先頭の荷役が地面に叩きつけられ、背負子ごと爪で持ち上げられていた。悲鳴が上がり、隊列が散り散りになる。
助ける義理はない。そう思いながら、俺は壁の上へ跳んでいた。
竜は降下の前に、必ず一度、翼を畳んで高度を落とす。さっきの一撃で、それが見えた。次の降下も同じ線を通る。壁の外の岩場は、その真下だ。
殻を展開した。尾が背後で長く伸びる。壁の縁を蹴り、影の線を空へ飛ばして、翼の骨に膜を絡めた。ぐい、と引く。竜の軌道がわずかに逸れ、掴んでいた荷役が爪から落ちて、這うように逃げていった。
竜がこちらを向いた。眼窩の空洞が俺を見据え、翼を畳んで一直線に降りてくる。回避はしない。前腕を立て、殻で受けた。
がん、と衝撃。足が壁の縁を滑る。受けた力が殻の内側に溜まる。
腕を振った。黒閃が翼の根元から先へ一本の筋を引き、膜が裂けて骨が露わになった。竜は悲鳴を上げて体勢を崩し、飛行の軸が狂う。
俺は壁を蹴った。影渡りで竜の背へ回る。八歩の移動が、空中に足場を作った。背骨に降り、暴れる竜に殻の爪を食い込ませ、首筋の骨の継ぎ目へ黒爪を差し入れる。
一、二、三。
巨大な骨の塊が、ぶるりと震えて、落ち始めた。落ちる先は、あらかじめ決めていた壁の外の岩場だ。俺は影の帯を空に敷いて跳び移った。
地面が揺れた。壁には、傷一つついていない。
黒殻獣には、半日の仕込みと命綱四本を使った。この竜は、受けて、返して、背へ回って、爪三本。仕込みはなしだ。
*
核は、竜の胸の奥にあった。
握ると熱が伝わった。気流を読む感覚。翼を広げる骨の構造。滑空のための形が、情報になって流れ込んでくる。今の身体には、まだ翼がない。だが、いずれ使える。
立ち上がると、壁の上から大きな影が見下ろしていた。ボルグだった。
四本の腕のうち二本で、さっき落とされた荷役を受け止めていたらしい。荷役を地面に下ろして、大きな目で俺を見る。ゆっくり、瞬きをした。
「おまえ、とんだ」
「ああ」
「かべ、こわさなかった」
「……壁の外に落とした」
「うん」
ボルグは壁の欠けた部分に手を置いた。
「ありがとう」
短い言葉だった。それから、壁の影から、掌ほどの平たい石の板を取り出した。熱を持っている。下に小さな炉が仕込んであるらしい。竜の翼の端を切って載せると、じゅう、と音がして、脂の匂いが立った。
長い間、焼けた肉に飢えていた。両手で受け取ると、熱くて、柔らかい。噛むと、骨のまわりの肉がとろりと崩れた。
尾が、壁を打った。陶器の音がかち、かち、と二度鳴った。
ボルグが首をかしげ、石のような目を細めた。笑ったのだと思う。
「おまえの、しっぽ、うれしそう」
「……黙れ」
二人で並んで、竜の肉を食べた。
*
食べ終えて壁のそばに座ると、ボルグは何も訊かなかった。俺がどこから来て何を目指すのかを。ただ、石の継ぎ目を指で撫で、崩れかけた箇所を確かめている。
壁の根元を覗くと、内側を太い導管が走っていた。金属と晶を組んだ管で、ところどころ破れて魔力が漏れている。竜の落下で、さらに一箇所壊れていた。漏れた魔力が青白い光になって管をたどり、まっすぐ城の最奥の塔へ向かっていく。
徴収塔だ。荷役から集めた核の魔力を吸い上げて、中心の魔将へ送る管。だから、あの男は補給が尽きない。
この流れを断てば、グラドは本来の力を出せなくなる。
ボルグが、壊れた導管を撫でた。
「これ、なおす。おれの、しごと」
「……なおすな」
言ってから、慌てた。石の目がこちらを向く。俺は黙った。城の力の源を切れば、彼の仕事は無駄になる。
ボルグは、しばらく導管の光を見ていた。
「こわれたもの、なおせない、のは、いやだ。でも、なおしても、つかうやつ、わるい、のも、いやだ」
独り言のようだった。巨大な手が、導管の上でゆっくり動いている。直したくて、直したくない。その矛盾を、彼は何年も抱えてきたのだろう。
「ボルグ。いつか、ここを出たくなったら、言え」
答えはなかった。ただ、壁の上の空を見上げて、小さく頷いた。
立ち去りかけた俺の背に、低い声が落ちた。
「あした、なかにわ、さわがしい。ちょうせん、ある。……ひとが、しぬ」
城の中庭で、何が起きるのか。振り返ると、ボルグはもう石を積み直していた。




